▽[今週の殺し屋日記] 柳下毅一郎の3/16 -3/31 『映画の生体解剖 』『場末のシネマ・パラダイス―本宮映画劇場という奇跡』『ライブ』『The Congress』『死ぬまでセックスしてみたかった』
3/16(日)
今日は渋谷wwwで松江哲明くんの結婚パーティ。なんだけどライブが5組もあって都合6時間オールスタンディングのフェスみたいなもんだった。途中で抜けるつもりだったんだけど結局最後までいることに。疲れた。
なお出演者は・・・・
GOMA
NRQ
あらかじめ決められた恋人たちへ
町あかり
前野健太とDAVID BOWIEたち
以上五組。前野さんは『ライブテープ』のつながりで「前野健太とDAVID BOWIEたち」での出演。親友同士だけに圧倒的に盛り上げていたんですが、出し物としては町あかり嬢が最高でファンになってしまいました。あとあら恋が素晴らしかったなあ。
なお、このほかに山下敦弘監督の結婚記念新作撮りおろし映画があって、ここには山下監督がとんでもない隠し玉をぶちこできて一同呆然(松江くんがいちばん呆然)だったんだけど、そのビデオでもいちばんいいところを持っていく梅沢くんは真のスターだと思いました。あの可愛らしさはなんだろう。そういうわけで、たいへんいい日でした。疲れましたが。
3/17(月)
渋谷TOEIにて『偉大なる、しゅららぽん』。
万城目学について思っていたことをすべてぶちまけてしまいました。
3/19(水)
遠藤賢司実況録音大全第三巻 買う。
そろそろ過去に行ったことあるライブの音源とか出てきそうだ。さらに石橋英子のCar and Freezerも。相変わらず素晴らしい。
3/20(木)
coredo室町とやらのTOHOシネマズ日本橋へ。なんかクールジャパンぽいアニメ映画祭でアリ・フォルマンの”The Congress “を見る。『戦場でワルツを』のアリ・フォルマンがスタニスワフ・レムの『泰平ヨンの未来学会議』を映画化したもので、去年のカンヌに出たっきりとんと音沙汰のなかった映画。どうなのよ……と見に行くと知り合いばっかりだった。これが驚くべき傑作! 俳優の終わりと映画の終わりを冷徹に見つめながらドラッグ映画の高揚があり、最終的にはレム的な哀感にいたるという。原作とはほぼ関係ないんだけど、どこかレムっぽいというのが素晴らしい。公開予定がどうなってるのか知りませんが、どこかやってほしいなあ。ちなみに主人公(ヨン様役)のロビン・ライトは「オーストラリアの農場で育ったような女優なんか信用できない!きみはテキサス出身だからな」と言われる「昔はものすごい可能性があったのに、気分屋で映画をぶちこわしてばかりいるうちに仕事がなくなってしまったロビン・ライト本人」を演じて素晴らしいのだが、本当はこの役は彼女ではないと思う。それってウィノナ・ライダーのことだろ!って言ったら「それは『スキャナー・ダークリー』だ」と……
3/21(金)
新宿ケイズシネマにて『乙女のレシピ』。
3/22(土)
松濤美術館のハイレッドセンター展へ出かける。図録が安すぎて思わず買ってしまう。
その後オーディトリアム渋谷で『ケルアック/キング・オブ・ビート』の上映後トークを青山南先生と。終了後、来てくれた滝本誠さんらも加えて飲みにいく。ハイレッドセンター展の話になって、あの展覧会がすばらしいのは、見る側が『もはやアクションあるのみ!』『東京ミキサー計画』という赤瀬川原平の名著の記憶によって見ているからであり、ハプニングと現代アートが鑑賞者の視点によってしか芸術たりえない以上、その観察者が赤瀬川原平という天才だったことは何よりも幸運なことであった……と滝本誠さんと話しました。
その後オーディトリアムに戻って『テレクラキャノンボール6D』へ。テレキャノ出演監督の作品を上映するオールナイトなのだが『死ぬまでセックスしてみたかった』を見て、この世にこれを越える映像などありえないと確信したので、中座して帰宅。ほぼ半日松濤近辺をうろついていたのだなあ。
3/23(日)
高円寺Punditにて『皆殺し映画通信』発行記念イベント。多数の御来場どうもでした。立ち見の方には本当申し訳ありませんでした。チラシ大喜利という新しい芸が開発されたとかなんとか……
3/25(火)
角川シネマ試写室にて井口昇監督の新作『ライブ』を見る。
3/28(金)
シネマート新宿にて『ねこみかん』。
また、説明しても信じてもらえない映画を見てしまった……
3/29(土)
十条のシネマカフェ・ソトで都築響一さんと本宮映画劇場イベント『場末のシネマ・パラダイス―本宮映画劇場という奇跡』。本宮映画劇場館主・田村氏によるピンク映画remixを上映し、トークするイベント。早々に定員になってしまってあまり告知できなかったのだが、田村館主によるピンク映画再編集版クリップがあまりにすばらしく、「ここに映画の本質がある!」とひたすら一人で興奮していた。何をそんなに感動したのかって説明しだすと長いのだが、要するに映画というのは監督のものでも俳優のものでももちろんプロデューサーのものでもなく、神か悪魔か知らないけどそんな誰か他者のものであること。映画を作る、それを上映するという行為は、その何者かに向けての捧げ物以外の何者でもないのだ、ということをこれほど切実に教えてくれるフィルムはない、というべきか。ぜひ、高橋洋氏に見て欲しい、と強く思った。
今回、お借りして上映したのが「歌謡シーン集」「入浴場面」「ストリップ」だったわけなんだけど、このことを考えていてはっとしたんだけど、つまり歌と裸と踊り。これこそ呪術的な儀式そのものではないか。映画の向こうにある何かを呼び下ろそうとしているとしか思えない、とどんどん高橋洋的な物言いになってしまうのだが、その「ストリップ」編のクライマックス、『ピカピカハレンチ』という謎の映画からのクリップが入っていて、それがヌード女性の局部が光っているのである。ピカピカと。女陰から!光が!我々に降り注いでいる!山崎邦紀監督の傑作『変態未亡人 喪服を乱して』でも里見瑶子の女陰から光がほとばしっていた。いろんなものがつながって、ぼくの頭の中でもピカピカ何かが光っている。
3/31(月)
稲生平太郎+高橋洋の『映画の生体解剖~恐怖と恍惚のシネマガイド~ 』読む。すばらしい。
「どうでもよくなる」というのは、我を忘れるということ。つまり、一番大事なのは、恍惚感、忘我感を与えてくれるかどうか、ってことなんです。文学は文字を使いますよね。映画は、映像と音。でも、一番根本のところは、実は言語でも映像でも音でも絶対に表せない。どのメディアを使っても、世界の真理にはたどりつけない。ただし、ごくまれに、メディアの限界を超える瞬間を呼び起こせることがある。言い換えると、現実を乗り越える瞬間を呼び込むこと。ある媒体を使って、現実を乗り越える何かをそこに引き寄せること。それが起きる瞬間を召喚するのが芸術の目的だと思う。それ以外はおまけ。九九・九パーセントの作品では、何も起きないですよ。でも、〇・一パーセントぐらい、フィルムという媒体の中に、何らかのものが引きこまれる瞬間というのが存在すると思う。千枚の写真があれば、一枚ぐらいね。何か、あってはならない、ありえないものが、かすかに痕跡を残しうると。僕を恍惚とさせる映画というのは、いわば、動く心霊写真、心霊動画みたいなもんだよね」
今年の映画本オブ・ザ・イヤー!を早々にお贈りしたい。しかしやっぱり稲生先生の頭の中はわからない。高橋洋さんのほうは比較的納得できるんだけれども。映画秘宝に書評を書きました。