柳下毅一郎の皆殺し映画通信

『きいろいゾウ』 チンコの生えていない男と聖処女のメルヘン、てか電波(柳下毅一郎)

『きいろいゾウ』

監督 廣木隆一
脚本 黒沢久子、片岡翔
原作 西加奈子
撮影 鍋島淳裕
音楽 大友良英
出演 宮崎あおい、向井理、柄本明、松原智恵子、緒川たまき、リリー・フランキー

文化庁文化芸術振興費補助

 

「チンコの生えてない男」向井理「聖処女」宮崎あおいが夫婦役。しかも役名が「ムコ」と「ツマ」!こんな夫婦がセックスをするわけがない!と思ったのだが、あにはからんやしっかり濡れ場が存在して逆の意味でびっくり。何も見えないくせに妙に生々しい濡れ場で、廣木隆一の面目躍如。この映画、そこだけじゃなくいろいろと謎に満ちていて、一筋縄ではいかないのである。なぜこんな映画ができあがってしまったのかいまいちわからないのだが、たぶん原作の不気味なところだけを抽出してしまったのかなあ。

作家の「ムコ」向井理はたまたま入った喫茶店のウェイトレス宮崎あおいを見初めて「ツマ」にする。二人のなれそめがすごくて、満月が怖いという宮崎あおいに対して、初対面の向井理が「欠けていってるんだから、大丈夫ですよ」となぐさめの言葉をかける。そして次の科白で「結婚してくれませんか」「はい」あまりの無計画さに両親からは反対され、駆け落ち同然に「ムコ」の田舎である村に引っ越してきて、半農生活を続けているのである。

向井くんは小説を書くかたわら、介護施設〈しらかば園〉でも働き、合間に菜園もこなす。さすがにできる奴だ。「ツマ」が水をまくと「やさしい」「きもちいい」「ありがとー」と感謝の声が聞こえる。???と思っていると野良犬がやってくる。「なんか肉っぽいもんくれやー」そう、この「ツマ」は動植物と会話できる人だったのだ。め、めるへんてか電波な人である。だが「ムコ」はそんな「ツマ」を優しく見守り、用もないのにしょっちゅう顔を出していく「アレチ」(柄本明)さんと、ボケてしまって冷や奴にミロをかけて食べようとするその妻「セイカ」(松原智恵子)らと筋肉マンドンジャラをしたりして、ちょっと不思議で楽しい田舎暮らしを繰りひろげているのである。

あ、今、「……気持ち悪い!」と思った人いるでしょ? 実は「ムコ」と「ツマ」というのは本名なのである。ムコが「武辜歩」、ツマが「妻利愛子」だったので、おたがい結婚前から「ムコさん」、「ツマさん」と呼び合っていたという。いろいろ無理がある設定だが、このファンタジックな世界を力業で成立させようとするネタなのだろう。つまり、この話、はじめはファンタジックで幸せなラブストーリーとしてはじまるかに見えて、実はその裏にはいろいろとどす黒いものがただよっている……という仕掛けで書かれた小説なのである。なのだが、映画で見ると最初から非現実的なメルヘンなので、そのあとの展開まですべて頭で作ったものにしか見えない……なお、原作は未読なので、小説でその仕掛けがどのくらい機能しているのかは知らない。たぶん、ぼくにはついていけない世界のような気がするな。

「ムコ」と「ツマ」の幸せな生活だが、実はお互いの内面には決して触れようとしない上っ面だけの幸福でもある。お互いの過去は何も知らないし、「ムコ」はいつもオウム返しばかりで「ツマ」の話を真面目に聞いている様子がない。二人で海に出かけようとなったとき、ついに「ツマ」は「ムコさんはわたしなんかより毎日書いてる日記の方が大事なんや!」と爆発。まあこれは「ツマ」の方に理があるな。そこで「大丈夫、大丈夫だよ」と例によって上っ面だけで慰める向井理。それだけではまずいと思ったのか、海辺で昔話をはじめる。

 

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