柳下毅一郎の皆殺し映画通信

『アルプス』 [監督:ヨルゴス・ランティモス] -家族そのものの不可能性- (柳下毅一郎)

 

アルプス Alps(2011)

監督:ヨルゴス・ランティモス

 

 昨年公開された籠の中の乙女は邦題のせいでいろいろ損したのではないかと思われる。そもそもタイトルが覚えにくい(かくいうぼくも毎回「籠の中の小鳥」だったっけ?と頭をひねりつつ検索している)うえに、このタイトルでこのヴィジュアルから、あんな中身を想像しろという方が難しい。見ていない人のためにお教えすると、これは三人の兄妹を外界からまったく隔絶したままで育てようとする両親の話である。一見すると当たり前の富豪の家庭のように見えるのだが、中身はおぞましく歪んでいるのだ。存在しないことになっている映画を見てしまった子供たちが、ジェスチャーだけで映画を再現してみせる場面が興味深い。だがグロテスクさをわかりやすく見せようとするわけではないので、たいていの人は困惑したままで終わってしまうのだ。

さて、その監督ヨルゴス・ランティモスが2011年に発表したのがAlpsである。これまたたいへん難しい映画で、要約もきわめて困難なのだが……

 荘厳に「カルミナ・ブラーナ」が流れる中、新体操の練習をする少女。途中で中断してコーチと口論になる。

「もっと……ポップなものがやりたいのに!」
「おまえにはまだそんな準備はできてない」
「コーチはそんなことばっかり言うけど、あたしのことをわかってないんだわ」
「おれの言うことにさからうのか。おれに逆らうような奴はマレットで頭と手足の関節を砕いて、ポップな奴だろうとそうでなかろうと踊れないようにしてやる!」

 といきなり不穏なオープニング。一方、自動車事故で重傷を負い救急車で運ばれる少女。付き添う看護婦(『籠の中の乙女』にも出演しているアンゲリキ・パプーリァ)が本編の主人公である。重傷を負った娘を献身的に介護する看護婦は、家に帰ると今度は父親の世話をする。また別の日、彼女は老婦人の元を訪れ、まるで家族のように会話をする。これは離婚した両親か何かなのだろうか? 説明のないままに物語は進んでゆく。

やがてコーチ、新体操少女、看護婦らが一同に介する会合がおこなわれる。リーダー曰く。

「このグループの名前を“アルプス”にすることにした。それは我々がやっていることと直接的にはなんの関わりもないからであり、純粋にシンボルとしての意味からでもある。アルプスの山々と比べれば、他の山はすべて低く、印象も残せない。ちなみにオレはアルプス最高峰モンブランをコードネームにすることにした」

と何やら不穏な雰囲気だけがただよう。いったいなんの組織なのか?テロリストか破壊分子のたぐいだろうか? だが、こんな凸凹グループにどんなテロができるというのか?

(残り 641文字/全文: 1754文字)

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tags: ヨルゴス・ランティモス 洋画

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