「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

8月15日、民族派青年が靖国に行かなかった理由 山口祐二郎(全日本憂国者連合会議・憂国我道会)インタビュー

靖国だけが祈りの場所じゃない」

 815日──。民族派を自認する彼にとっては特別な日だ。右翼団体に加入した2007年からの9年間、靖国神社への参拝を欠かしたことはなかった。
 だが、今年の終戦記念日を彼は自宅で過ごした。あえて靖国の喧騒から身を遠ざけた。
 一人で祈った。
「そうすべきだと思ったんです」
 山口祐二郎氏(30歳)の決断である。
 新右翼団体「統一戦線義勇軍」の元幹部だ。これまで右翼・民族派の道を歩んできた。2007年には「米国の傭兵」と化した自衛隊に憤慨し、防衛省に火炎瓶を投げ込んで逮捕されている。現在も「全日本憂国者連合会議」の議長にして、「憂国我道会」会長といった肩書を持つ。
 その山口氏が、靖国に行かなかった。
 理由を問う私に、彼はこう答えた。
「追悼は、それぞれの立場ですればよいと思う。靖国だけが祈りの場所じゃない。実際、靖国に合祀されることを拒む人もいる。そして何よりも、結果として靖国が戦争賛美の場所になってしまっていることは否定できません」
 慎重に言葉を運ぶ。普段とは違う、どこか思いつめたような表情が浮かんでいたのは、彼なりの覚悟があったからだろう。
 さらにこう続けた。
「やはり、韓国に出かけたことの意味は大きかった」
 彼のなかで何かが動いている。蠢いている。少しずつ、そして確実に変わっていくものがある。それを自覚したときに、毎夏の恒例だった靖国参拝を断念した。
 それほどまでに韓国行きの影響は大きかった。
 いったい、彼は何を見たのか。何を感じて、何を胸奥に抱えることになったのか。

 山口氏が韓国を訪ねたのは今月初旬のことである。初めての韓国だった。
 その少し前に日本国内で活動する慰安婦支援団体の関係者と話をする機会があり、その過程で山口氏のほうから韓国に行って元慰安婦に会いたいとの意向を伝えた。
「最近も、元慰安婦のおばあさんがひとり亡くなったと聞いたことがきっかけです」
 元慰安婦はいずれも高齢で、長い時間が残されているわけではない。いまのうちに、会えるときに、言葉を交わす機会があるときに、急いで韓国に行かなければ、と強く感じたという。
 彼は民族派団体の会長を務めているだけでなく、出会いと経験を滋養とする作家でもある。興味と関心に逆らうことはできない。それ以上に、ここ数年間、数多くの在日コリアンと接するなかで、慰安婦問題を自分なりにきちんととらえてみたいという思いがあった。
 よく知られているように、山口氏は差別集団と対峙するカウンターの一人でもある。
 民族派の立場から、在特会をはじめとする差別者集団の存在が許せなかった。人間を排除し、人と社会の尊厳を毀損するヘイトスピーチを容認することができなかった。だから彼は街頭で、差別者集団との闘いの前線に立ち続けている。
「そうしたなかで、多くの在日コリアンと接する機会を持ちました。単に知り合ったというだけでなく、同じ社会を生きる者として、その歴史的背景をも考えるようになりました。民族派という視点だけでは見えていなかった植民地支配の問題、そして慰安婦問題についても当然、僕のなかでは避けて通ることができなくなったのです」
 右翼の先輩のなかには慰安婦を「嘘つき」だと罵る者もいる。「ただの売春婦じゃないか」と突き放す者もいる。
 あるいは「戦争の被害者」として同情しつつも、あえてこの問題に触れることのない右翼関係者も少なくなかった。やっかいで、面倒で、右翼や民族派にとって、慰安婦という存在はけっして「寄り添う」対象ではなかったのだ。
 そこにあえて飛び込むのが彼らしいところである。
「僕は当事者の思いを抜きにして、この問題を語ることはできないと思っていたんです。だから、会いたいと思った。できることならば言葉を交わしてみたいと思った。そして僕なりに、いや、日本人の一人として、少なくとも慰安婦の女性を苦しめてきた歴史への反省を示したいと思いました」

(残り 2391文字/全文: 4006文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ