「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

「人身売買」大国ニッポン 2 〜 日本生まれ、日本育ちの息子だけは「助けて」 一縷の望みをかけた母の帰国

母子が生まれてはじめてはなればなれになる日

 母子はずっと手を握り合っていた。
 時間を惜しむように、ゆっくり歩く。時々、見つめあう。
 出国ゲートの手前で二人は立ち止まった。息子は両手で母親を抱きしめた。じっと抱き合ったまま動かない。
 そして意を決したように母親は息子の肩に乗せた手をほどき、出国ゲートの向こう側に足を進めた。何度も振り返る。互いに手を振る。
 母親の姿が消えても、息子はしばらくの間、そこに立ち続けた。唇をかみしめ、微動だにしない。必死に悲しみと闘っているようにも見えた。
「一緒に行けばよかったのかな。せめて、飛行機に乗るまでそばにいたかった」
 近寄った私に、彼はそう漏らした。
 離れて暮らすことは、母子が悩みぬいた末の決断だった。
 ましてや17歳の少年にとって、それはどれほどに重たく、そして苦痛を伴ったものであっただろうか。疑念も後悔もあったに違いない。
 以前、彼は「誰であっても、いつかは親と離れて生きていかなければならない。僕の場合、それが少し早くなっただけ」と私に話していた。
 だが、成田空港での彼は、ただの子どもだった。母親にしがみついて離れない、幼子のようだった。
 日本での滞在資格を持たない二人は、人の目を避けるように、逃げるように、各地を転々としながら生きてきたのだ。肩を寄せ合い、脅えながら暮らしてきたのだ。
 そんな二人が初めて、別々の場所で、別々の国で、生きていくことになる。


母は帰国、子は日本での裁判継続を選択

 「不法滞在」で強制退去処分を受けたタイ人で甲府市(山梨県)に住む高校生ウォン・ウティナン君(17際)と母親のロンサーンさん(44歳)のこれまでの経緯については既報の通りだ。

「人身売買」大国ニッポン 2〜 日本で生まれ育った高校生に「帰れ」という司法
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 滞在資格を求めて裁判を闘った母子は、一審の東京地裁で敗訴し、母親は帰国、日本で生まれ育ったウティナン君のみが甲府にとどまり、さらに裁判を続けるという選択をした。

 9月15日早朝、母親のロンサーンさんはタイに戻るため、成田空港に姿を現した。息子のウティナン君もこの日は学校を休み、母親に付き添った。
 搭乗時間が近づくまで、二人はまるで恋人同士のようだった。手をしっかりとつなぎ、片時も離れることはなかった。
 駆け付けた地元メディアがロンサーンさんをインタビューしている間も、彼女はウティナン君のシャツの裾をつかんで離さなかった。
 ロンサーンさんが出国ゲートに消えると、ウティナン君は母親が乗った飛行機を見届けたいと私に訴えた。

ひとりになっても、ちゃんと生きて

 滑走路を見渡すことのできる展望デッキに案内すると、ウティナン君は金網越しにバンコク行きのスクート航空機を見つけ、それから1時間余り、ひたすら駐機場を凝視し続けた。
  設置された有料の望遠鏡に何度も100円玉を投入し、機内の母親の姿を確認しようとする。
「見えない、見えない。お母さんがどこにいるかわからない」
 さすがに見学者用の望遠鏡では、機内の様子までは映るはずがない。無理だよ、と言っても、彼は望遠鏡から目を離さなかった。
 そのうち飛行機がゆっくりと動き出す。ウティナン君はそれを目で追う。いや、からだで追いかけた。
 滑走路を移動する飛行機に合わせて見学デッキを速足で歩く。どうなるわけでもない。だが、彼は飛行機を追いかける。
「飛んじゃった」
 飛行機が離陸すると、ウティナン君は気が抜けたような表情でつぶやいた。

──行っちゃったね、お母さん。
「行っちゃいましたね」

──残念だね。
「寂しいです。これまで、ずっと一緒にいたから」

──出国ゲートの前でどんな会話をしたの?
「僕はただ、寂しいとしか伝えられなかった。お母さんは『ひとりになっても、ちゃんと生きて』って」

 空港の中を歩きながら、ウティナン君は何度も周囲をきょろきょろと見まわした。
「お母さん、日本語も不自由だし、おっちょこちょいだし、もしかしたら飛行機に乗り損ねて、そこらへんで僕のことを探し回ってるんじゃないかなあって、心配になるんです」
  彼は雑踏の中に母親の姿を探し求めた。何度も何度も後ろを振り返った。

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