「ノンフィクションの筆圧」安田浩一ウェブマガジン

関東大震災の朝鮮人虐殺から94年目の2017年、犠牲者は再度「殺された」

 京成電鉄の検見川駅(千葉市)を降りて住宅街を抜ける。視界に飛び込んでくるのは、風景を断ち切るように流れる澱んだ川面だ。鉛色の筋は静かに川波を泡立てながら東京湾に向かって伸びている。
 正確には印旛放水路という。上流に位置する印旛沼の排水を目的とした河川だが、千葉市内を抜けたあたりから花見川と名称を変える。
 護岸上のサイクリングロードを自転車が行き交う。犬の散歩をする人の姿も目立つ。
 長閑な光景に、この場所で起きた凄惨な事件を重ね合わせるのは難しい。
 94年前の9月5日──関東大震災の4日後である。ここに3人の男性の遺体が浮かんだ。
「報知新聞」(19231017日・夕刊)は、「三名の避難民を青年団が虐殺・検見川の惨事」との見出しを掲げ、事件を次のように報じている。

先月五日午後二時頃、秋田県横手町・藤井金蔵(二六)、三重県河芸郡・真弓二郎(二二)、沖縄県中城郡・儀間次郎(二二)の三名が東京より避難して同地海岸を通行の際、青年団員三十数名がこれを包囲し、警察署の身元証明までをも出して哀訴嘆願するも、これをきかず、乱暴にも棍棒および日本刀をもって、三名の顔もわからぬ程、めちゃめちゃに惨殺したのである

 この結果、「青年団」の中心メンバー4名が殺人容疑で検挙された。ここで述べられている「青年団」とは、地元青年からなる急ごしらえの自警団のことである。逮捕された4名は、いずれも20代、30代の男性だった。
「法律新聞」(1923113日)も同事件を「千葉県下の暴行自警団」なる見出しで次のように報じた。

(被害者)三名を不逞鮮人の疑いありと巡査駐在所に同行、付近に居住する人々は数百人が鳶口、竹やり、日本刀などの武器を携え、三名を鮮人と誤信し、同駐在所を襲い、窓硝子、壁を破壊し、騒擾を極めた際、三名を針金にて縛り、殺したものである

 当時の記録によれば、犠牲となった地方出身者3名は、いずれも東京都内で働いていたが、震災で家と職場を失い、千葉方面に避難。検見川駅近くまでたどり着いたときに、地元の自警団に捕らえられた。明らかに地元の人間でないことから誰何され、そのやりとりのなかで方言交じり言葉のせいで朝鮮人だと誤認されたという。
「朝鮮人逮捕」の報は、口コミで一帯に広まった。
 3名は検見川駅近くの派出所に連行されたが、自警団をはじめとする地域住民が続々と押しかけてくる。住民らの多くは武装していた。いや、物理的な「武器」以上に、差別と偏見で身を固めていたことが問題だった。
 新聞報道の通りであれば、3名は針金で縛られて身動きできなくなったところを、棍棒で殴られた。日本刀で斬りつけられた。命乞いをしても容赦なかった。
 巡査は3名が地方出身者である旨を説明したようだが、集団ヒステリーは容易に鎮火しなかった。
 「顔もわからぬほど、めちゃめちゃ」にしたうえ、3名の遺体を近くの花見川に投げ込んだという。
 これが「検見川事件」の顛末だ。

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