「奥さんは『好きなサッカーをやってほしい』と。でも自分の中には葛藤があって“引退”を考え始めました」 [トリコロールを纏った男たち : 天野貴史インタビュー(前編)]
©Y.F.M
実施日:4月5日(木)
インタビュー・文:藤井 雅彦
協力:INTEREST(現所属会社)
写真提供 : 横浜マリノス株式会社
3月15日、一人の男がスパイクを脱ぐことを発表した。
『天野貴史、現役を引退する』
マリノスの育成組織で育ち、2005年にトップチーム昇格。マリノスで10年間、期限付き移籍したジェフユナイテッド千葉で1年間、そしてAC長野パルセイロで2年間を過ごし、計13年間の現役生活にピリオドを打った。
サッカーを愛し、誰からも愛された163cmの小兵は、いつも全力でピッチを走っていた。どんな時も笑みを絶やさないムードメーカーだった。しかし2月になっても所属先が見つからず、決断の時を迫られる。
両親に引退を伝える電話で、自然と涙が出てきた。
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――最初に、13年間のプロサッカー生活を終えた率直な心境を聞かせてください。
「やり切りました。後悔はまったくありません。僕は常に練習を100%の力でやってきました。そうしないとついていけなかったから(笑)。試合はもちろん、練習も100%でやってきたから、こうしておけばよかったという後悔はありません。でも奇跡ですよね」
――奇跡?
「はい、奇跡です! まずマリノスのトップチームに入れたのが奇跡です。加入したのが2005年で、03~04年の連覇直後だったので代表クラスの選手ばかりいました。そんな中で自分は何もできなかった。でも、みんながイジってくれて、可愛がってくれた。そのおかげでマリノスに長く在籍できました。もちろんサッカーも頑張っていましたよ(笑)ただ、お世話になった先輩やスタッフの名前を挙げたらキリがない。本当に自分は人に恵まれていたと思います」
――マリノス在籍10年間でリーグ戦45試合出場4得点という記録については?
「10年間で45試合しか出場していないって、すごいことですよね(笑)。最後のシーズンの終わりに、シュンさん(中村俊輔/現ジュビロ磐田)が『試合数は関係ない。10年間在籍したことがすごい』と言ってくれて、すごく嬉しかった。サッカー選手としてだけでなく、人としても成長できた10年間でした」
――思い出をひとつだけ挙げるとすれば?
「印象に残っている試合を挙げることもできるけど、僕はとにかく毎日が楽しかった。試合に出ることや点を取ったこと、それは最高の思い出です。でも、毎日クラブハウスに行って、レベルの高い人たちとサッカーをするのは最高の時間でした。反対に辛い思い出はケガをしたこと。試合に出られないことよりも、ケガで大好きなサッカーができないのは辛かった。自分はリハビリしかできず、グラウンドでサッカーをしている仲間を見るのは辛かったです。30人いるチームの一番後ろだとしても、そこにいてサッカーができることが幸せでした」
――人生の大きな節目である『引退』を決意するのは大変だったのでは?
「2015年にマリノスを契約満了になって、J3の長野パルセイロでお世話になると決まった時から、J2に昇格できなかったらどうなるか分からないという思いがありました。J1のマリノスから戦力として加入したわけだから、昇格できなかった時は長く在籍するのは難しくなる。昇格できれば戦力として重宝してもらえるけど、できなかった場合は立場が難しくなると思いました」
――長野パルセイロには2年間在籍しました。
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