「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「海外で挑戦する気持ちが固まっていた中でチャンスが巡ってきた。その試合で結果が出なかったら今頃は海外でプレーしていたかも」 [天野純インタビュー(2)]

【天野純選手インタビュー】
実施日:12月14日
インタビュアー・写真:藤井 雅彦
協力:横浜F・マリノス広報室

 

 

プロ3年目の今年、開幕戦のピッチに初めて先発の一員として立った。ポジションは念願のトップ下だった。しかし自身の脳裏には、ほろ苦い記憶として刻まれるゲームに。

それ以降、出番はなかなかやってこない。練習だけの日々に、腐りそうになる瞬間もあった。夏には海の外に飛び出そうかとも考えた。

だが、巡ってきたチャンスをようやくモノにする。試合に出続けることで「殻を破った」。さらにリーグ戦終了後の天皇杯4回戦で、見事な直接FKを叩き込んだ。

天野純、25歳。F・マリノスのど真ん中を目指す挑戦が、ようやく始まった。

 

 

 

前回からつづく

 

――なかなか出番を得られなかった1stステージはどんな気持ちで過ごしていた?

「あまり思い出したくないです。正直言って腐りかけていたかもしれない。公式戦のピッチに立てず、スタンドから見ることしかできなかった。そんな状況が歯がゆかったし、自分の力不足がとにかく悔しかった。どうしたら試合に出られるだろうと考えながら試合を見ていました」

 

――開幕戦はトップ下で先発したけど、結果が出なかった。

「キャンプで調子が良くて、もしシュンさん(中村俊輔)が離脱していなくても、右サイドで先発できていたと思います。結果的にトップ下でチャンスをもらえたのはうれしかった。それなのに仙台との開幕戦では何もできなくて…」

 

――第2節のアビスパ福岡戦は中村俊輔がトップ下で先発した。

「復帰したシュンさんがそのポジションに戻るのは当然だと思います。自分はベンチスタートどころかメンバー外だった。試合をどこで見たのかは覚えていません。でもハイライトも含めてシュンさんが決めたFKは何度も見たし、試合結果を変えるワンプレーをあの状況で出せるのは本当にすごいとあらためて感じました」

 

――それからはリーグ戦での出番がなくなり、ナビスコカップグループリーグが主戦場になった。

「試合出場のチャンスがあるのは良かったです。でもリーグ戦とは違うメンバーで試合に出ていたし、自分自身も本来のパフォーマンスの3割くらいしか出せていない感覚でした。90分出場しても消化不良というか…。その時の自分は24歳だったけど、試合に出たことで逆に危機感が強くなりました」

 

――手ごたえはなかった?

「全然ありませんでした。いつも見えていたはずの景色が見えなくなっていた。相手にプレッシャーをかけられた場面で簡単にパスに逃げてしまった。それは自分本来のプレーではない。自信や達成感のようなものはまったくありませんでした」

 

――リーグ戦の出場機会がないことで、夏に移籍することも考えた?

「代理人とは話をしていて、夏の移籍市場を視野に入れていました。移籍先についてはいろいろな可能性がある中で、一度海外に飛び出して、私生活も含めた厳しさを学ぼうと思ったんです。それでマリノスを離れるとしたら行き先は海外のチームに絞って、実際に欧州の2部リーグのクラブから話がありました」

 

 

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