長谷川社長だけの判断と決断でマリノスの方向性を決められないことを、中村は知っていた [中村俊輔の去就について]
周知のとおり、中村俊輔がジュビロ磐田に完全移籍する。横浜F・マリノスの象徴とも呼べる存在で、クラブ周辺だけでなく日本サッカー界に大きな激震が走った。善し悪しではなく、今オフ最大の関心事と言っていいだろう。
移籍の理由については、さまざまな見解がある。世の中には憶測に偏った記事も飛び交っており、そのすべてを安直に信じてはいけない。一部始終を知っているメディアは限られた担当記者のみであり、周辺情報だけで執筆されている原稿も多い。ネームバリューを考えたときに影響力が大きいため、上辺をなぞった記事でもインターネット上でクリックされてしまうのは仕方ないこと。だが真実を知っている記者からすれば陳腐な内容に過ぎない。
とはいえ筆者もすべてを知っているわけではなく、知っている情報をそのまま書けるわけでもない。間違いなく言えるのは、マリノスは慰留に努めていたということ。それでも新たな道を選んだのは中村自身であるということ。そして、この結末は仕方のない結論だったということ。すべてが真実であり、どこか一つをスケープゴートのように扱うのは誤りだと伝えたい。
ただし過程を見ていくと問題はたくさんあった。特に交渉の序盤、首脳陣は選手それぞれとしっかり向き合えていなかったように見えた。例えば慰留交渉にあたる際の応対はどうだったのか。マリノス単体だけでなく日産自動車とシティ・フットボール・グループと絡み合う中で、首尾一貫した交渉ができていたとは言い難い。最初からできていれば、と思うことは実のところとても多い。
カレンダーが年末に向かうにつれて、長谷川亨前社長や利重孝夫チーム統括本部長はさまざまなことを学んでいった。逆に言うと、当初はチーム編成において素人だったと言わざるをえない。それが選手と直に触れていくことで、少しずつ気持ちの部分で寄り添えるようになっていった。栗原勇蔵がJ1クラブからの好条件オファーを断って最後の最後で残留を決めたのは「自分がマリノスに必要とされているから。金ではなく愛を感じたから」である。
同じことが最初から中村に対してできていれば、結果は違ったかもしれない。せめてあと2ヵ月早く気づくことができれば…。
(残り 597文字/全文: 1528文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
タグマ!アカウントでログイン
tags: 長谷川亨
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ