「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「(読売時代は)ポジションはいわゆるボランチ、あるいはスイーパー」【利重取締役インタビュー第1回】 <無料>

 

実施日:4月27日(木)
インタビュアー:藤井 雅彦
カメラマン:星 智徳
協力:横浜F・マリノス広報室

 


シティ・フットボール・ジャパンの代表である利重孝夫氏は、昨年4月にF・マリノスのエグゼクティブ・アドバイザーに就任した。その後、7月からはチーム統括本部長に肩書きを変え、激動の時期を迎える。

独占インタビュー第1回は、読売サッカークラブに所属した高校時代から楽天株式会社時代のエピソードなど、利重氏のルーツに迫る。


 

 

――利重さんの経歴には読売サッカークラブに所属していたことが記されています。サッカーを始めたのは何歳の時なのですか?

「小学校3年生です。それまではずっと野球をやっていたのですが、サッカーに熱心な先生が赴任してきて『3年生の男子はこれから全員サッカーをやるよ』と言われて始めたのがきっかけです。それからすっかりサッカーの虜になってしまいました」

 

――では、緑色のユニフォームを初めて着たのは?

「読売は高校からです。学校のサッカー部では物足りなくて、もっとレベルの高いサッカーがやりたいとの思いで門戸を叩きました。当時は練習が自由参加だったので、その中で練習に残っていける者だけがメンバーとして認められる、といった環境でした。

 読売の選手たちはボール扱いの上手さは当たり前として、それ以外でも例えば競り合いの際の体の入れ方、使い方など、それまで自分が経験してきた部活のサッカーとは全く異質のものでした。最初の練習では何度も股抜きされましたし、ファウルぎりぎりの接触プレーもたくさんありました(苦笑)。その後、いろいろな高校生が武者修行にやって来るたびに元からいる選手たちは新入りを徹底的に“削って”いましたね。そこで気持ちが萎えてしまったら終わりで、クラブとしても、その厳しさに耐えられるかどうかを見ていたんでしょう。自分の場合、普段の生活とは違ったカルチャーやアイデンティティを吸収できるという思いが強くて、競争は厳しかったですが、刺激的で楽しい毎日でした」

 

――利重さんはどんなプレーヤーだったのですか?  あるいはポジションは?

「特別な身体能力は持ち得てはなかったのですが、長距離走は速かったです。プレースタイルとしては、読みで勝負するタイプの選手と言えばいいでしょうか。ポジションはいわゆるボランチ、あるいはスイーパー。スタミナがあったのでいろいろなところに顔を出して、タメを作りながら味方の選手を生かす、といった役どころでしたね」

 

――その後、東京大学に進学します。

「高校時代は読売クラブへの行き帰りの小田急線の中でも勉強していました。やるからには越えるべき壁は高いほうがいいということで、サッカーも勉強も拘って取り組んでいました」

 

――東京大学でもサッカー部に?

「はい、これでまた思う存分サッカーが出来るということで入学前の3月の春合宿から練習に参加していました。東大は関東大学リーグの下にあたる東京都リーグに属していて、3年生の時に入れ替え戦まで行きましたが、結局関東リーグには上がれませんでした」

 

 

――卒業後、銀行に就職したというわけですね。

「はい。大学サッカー部の先輩が誘ってくれた日本興業銀行(現・みずほ銀行)に就職しました。銀行リーグでもしばらくサッカーを楽しんでいました」

 

――銀行には何年間勤められたのですか?

「入行4年目の時に、米国のビジネススクールに留学させてもらう機会があったのですが、そこでいろいろな世界が広がっていることを知りました。プロスポーツビジネスを知ったのもこの時です。結局留学から帰って1年ほど経った後、外の世界に飛び出しました」

 

――三木谷さんとはどのような間柄だったのでしょうか?

「銀行の同期です。内定、新人研修、そして留学時代に多くの時間を共にした仲間の一人でした」

 

――その後、三木谷さんが代表を務める楽天株式会社へ。

「ずっと誘われていた楽天に入ったのが2000年でその後、古巣のヴェルディの胸スポンサーになる機会に巡り合うことができました。三木谷さんにはそれ以前から楽天の成長ステージの中で、スポーツマーケティングという部門は検討に値するのではないかという話をしていました。それが、自分がスポーツビジネスと関わり、サッカーの世界に戻ってきた第一歩ですね。

 次に、ヴィッセル神戸の神戸市からの事業譲渡というプロジェクトにも深く関わることができました」

 

――ヴェルディ、そしてヴィッセル神戸とサッカー界のビジネスに関わりましたが、シティ・フットボール・グループ(以下、CFG)や横浜F・マリノスとの接点は?

「まずはFCバルセロナとの付き合いからです。当時のバルサの会長はジョアン・ラポルタで、選手にはロナウジーニョがいて、メッシも活躍していました。楽天(楽天カード)でバルセロナのオフィシャルカードを発行したことで、経営陣との関係が出来ました。今でこそ広く知られている楽天カードですが、当時はまだまだで、プロ野球球団と提携して枚数を増やす戦略も取っていて、その一環として欧州のビッグクラブすべてに声をかけ、その中で具体的に話がまとまったのが、あのバルセロナだったという訳です」

 

――バルセロナの経営陣と言えば、マンチェスター・シティとの接点が見えてきそうです。

「当時のバルセロナ経営陣の一人が、現CFGの最高経営責任者であるフェラン・ソリアーノでした。“チキ”の愛称で知られるベギリスタインもいました。フェランはバルサから退いた後、その経験に基づいた『ゴールは偶然の産物ではない』という本を出版し、日本語版を出すときには私がプロモーションを手伝ったのですが、日本語版は特に売れ行きが良かったそうです」

 

――いよいよCFGとのビジネスが始まる、と。

「フェランとは、私が今から5年ほど前に楽天を退職した後も定期的にやり取りをしていて、彼がマンチェスター・シティに行くということも把握していました。その後、2014年5月に日産とCFGがパートナーシップ契約を締結するわけですが、私も個人のコンサルタントの立場でこのプロジェクトに関わっており、同年11月にはCFGの日本オフィスを立ち上げ、CFGの日本企業に対するスポンサー営業や、マリノスのサポートを行っていくことになりました」

 

――2016年からはマリノスに直接かかわる立場になりました。

「マリノスの少数株主であるCFGから派遣された役員という立ち位置です。そして昨年7月から今年2月まではチーム統括本部長として、よりマリノスの一員として強化のマネジメントを務めさせてもらいました」

 

――同時にシティ・フットボール・ジャパンの代表という立場でもあったのですよね?

「それは変わらぬままです。ただ、昨年末はチーム編成という仕事に圧倒的に多くの時間を費やすことになりました」

 

 

 

(第2回につづく)

 

 

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