【特別インタビュー】渡邉柊斗「僕はこの左足一本で生きてきた」第1回
名古屋に来季の加入が内定している渡邉柊斗は、“サッカーの上手な選手”である。
昨年11月、そして今年1月の練習参加を見て、誰もがそう思ったはずだ。
上手くて、巧い。それでいてハードワーカー。現代サッカーのトレンドにも合致している。
名古屋生まれの逸材はいま、タイキャンプで負ったケガの治療の折り返し地点を過ぎたところだ。
着々と歩む復帰への道の途上で、彼は何を思い、その左足に力を込めるのか。
今回は、間もなく生まれる“名古屋グランパスの渡邉柊斗”のあらすじを、お届けしたいと思う。
第1回:「大学でやっと思い描いているサッカーがやれた」
Q:まずはせっかくなので、基本的なサッカー歴から聞いてみようと思います。
「サッカーを始めたのは小学校…いや、5歳ぐらいですかね。でも3歳とか4歳でボールは蹴っていたと思います。お父さんがサッカーをやっていたので。それで名前が“シュート”なんですけど(笑)。チームに入ったのは小学校に入ってからだったと思います」
Q:その当時に入っていたチームは?
「その時は港区に住んでいたので、最初は港FCという地域のクラブに入っていました。小学校3年生の途中くらいまでそこでプレーして、それから愛知FCに入って、でも1年ぐらいで辞めて、次に緑東FCに行って。でもそこも数ヵ月で辞めて、5年生の頭から名古屋FCに入って、中学校3年生まではずっと名古屋FCでした」
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