赤鯱新報

【年末年始特別企画】楢崎正剛クラブスペシャルフェローのゆく鯱くる鯱:その1「子どもたちとのサッカーは、やりがいを感じた」

2019年もあとわずか。いよいよ東京オリンピックイヤーの2020年が明けようとしています。
しかし名古屋サポーターにとっては2019年は楢崎正剛が選手から“クラブスペシャルフェロー”に転身した忘れがたい年であり、「それで、クラブスペシャルフェローって何をしていたの?」という素朴な疑問をお持ちの方も中にはいるのではないでしょうか。
そこで今回は年末年始をまたぐ特別企画として、セカンドキャリアを踏み出した楢崎CSFに1年を振り返っていただき、次の年への意気込みなどを語っていただこうと目論んだ次第。果たして目論見通りの内容になったかどうかは読んでのお楽しみということで、特別インタビュー、スタートです!

その1「子どもたちとのサッカーは、やりがいを感じた」

Q:それではよろしくお願いします。まずはざっくばらんに2019年のことを振り返っていただければと思います。
「ザック・バランスキーってバスケの選手がいたよね※」

※Bリーグ・アルバルク東京所属の現役選手。

Q:そうなんですね。まずは“クラブスペシャルフェロー”という役割、役目はどのようなものだったかという部分からお聞きしたいのですが。
「役割というほどのものでは、ないですよ」

Q:毎日クラブハウスに通勤していたのですか?
「そうではないです。常勤のようなものではなく、その日によって行く場所も仕事も違うという感じでした」

Q:最初はやはり、クラブのスタッフたちの前で挨拶などしたのですか?
「特にはしてないですけど、アカデミーに関わることは増えるというのは決まっていたことだったので、アカデミーでは挨拶をしましたね。それぐらいです」

Q:アカデミーに関わる割合が増えるというのは、クラブスペシャルフェローとしての活動内容にそもそも入っていたと。
「そう。育成のところと普及のところ、は入っていました。それ以外は自分でいろいろと、サッカーやキーパーに関することだったら、ということでしたね」

Q:様々な依頼を受けての仕事以外に、自分でやりたいと思って取り組んだものもあったのですか。
「自分がやりたくて、ということはそんなに多かったわけではないですね。依頼を受けてのものの方が断然多かったので。割合としてはよくわかっていませんけど」

Q:活動の種類としては、サッカー教室的なものが多かったように思えますが。
「いや、けっこういろいろと、満遍なくやりましたね。サッカー教室といってもそんなに頻繁にあるわけではなく、月に1回ぐらいで。アカデミーでの指導の方が多かったですよ、そういうことで言えば。スクールの方にもシーズンの終盤になってからけっこう行きましたしね。あとは講演とかそういうものもありましたから」

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