赤鯱新報

【赤鯱探訪】杉本恵太編①「確か試合後にトラメガで話し始めたのは、僕が最初じゃないかな(笑)」

Hikari FC代表兼アンバサダー、春日井クラブGM兼選手 杉本恵太(2005~2010 名古屋グランパス在籍)

いやはや、息の長い選手になったものである。2005年に名古屋グランパスに加入し、Jリーグでも屈指の俊足FWとして多くのインパクトを残した。2010年、悲願のリーグ優勝を決めた玉田圭司のゴールをアシストした、その年に出場機会を激減させていた背番号19の右足クロスはその最たるものか。2009年のACLで惨敗のゲームに一矢を報いたオーバーヘッドキックもインパクトとしては強い。名古屋を出た後はJ2の徳島やJFL、タイでもプレーし、昨年まではマルヤス岡崎でも活躍した。そして2020年、彼は一人4役という激務へと自らを駆り立てている。春日井をその活動拠点とし、新たな一歩を踏み出した韋駄天は、「楽しくて仕方ない」と変わらぬ笑顔を見せてくれた。

「確か試合後にトラメガで話し始めたのは、僕が最初じゃないかな(笑)」

Q:お元気そうで何よりです。でも、グランパスを離れてもう10年になるんですね。
「お久しぶりです(笑)。そうですね、優勝してからも10年ということになりますね」

Q:そこから色々なところでサッカーをされてきました。その10年間はもちろん一言では表現できないとは思いますが、どのようなサッカー人生でしたか。
「そうですね…最初に徳島に移籍をして2年間、なかなか出場機会も得られませんでした。その間にはグロインペインもあって、徳島での2年間は公式戦で1点も取れなかった。そのことが僕の中での一番の心残りというか、悔しく思っているところです。もちろん結果が出せなかったので、そのまま上のレベルでサッカーを続けることも難しくなりました。でも同期の鴨川奨がHOYO大分の強化にいて、最初は冗談交じりで『来てよ』なんて話をしていたところ、『本当に来られるんだったら、プロ契約でやってくれないか』と誘ってもらった。大分に行ったのはそういう経緯からでした。もちろん良い給料だったわけではないので、生活はガラッと変わりましたね。徳島の時とは別の意味で苦労の多い1年になったし、名古屋を出てから苦労に苦労を重ねたということにはなりました」

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