赤鯱新報

【赤鯱探訪】杉本恵太編②「尾張名古屋にJを目指すチーム、というものを作りたい」

Hikari FC代表兼アンバサダー、春日井クラブGM兼選手 杉本恵太(2005~2010 名古屋グランパス在籍)

いやはや、息の長い選手になったものである。2005年に名古屋グランパスに加入し、Jリーグでも屈指の俊足FWとして多くのインパクトを残した。2010年、悲願のリーグ優勝を決めた玉田圭司のゴールをアシストした、その年に出場機会を激減させていた背番号19の右足クロスはその最たるものか。2009年のACLで惨敗のゲームに一矢を報いたオーバーヘッドキックもインパクトとしては強い。名古屋を出た後はJ2の徳島やJFL、タイでもプレーし、昨年まではマルヤス岡崎でも活躍した。そして2020年、彼は一人4役という激務へと自らを駆り立てている。春日井をその活動拠点とし、新たな一歩を踏み出した韋駄天は、「楽しくて仕方ない」と変わらぬ笑顔を見せてくれた。

①はこちら

「尾張名古屋にJを目指すチーム、というものを作りたい」

Q:キャリアはヴェルスパ大分からマルヤス岡崎を経て今に至るわけですが、ここの経緯というと?
「ヴェルスパからマルヤスに行った経緯には、マルヤスが愛知のチームであり、グランパスのパートナー企業であったご縁や、前の年に僕がヴェルスパでマルヤス相手に得点をしていたこともあって、『杉本恵太、欲しいな』と思ってくれていたことなどがありました。やっぱり愛知でプレーしたい、愛知に自分の経験を還元したいという気持ちもありましたしね。マルヤスからは『何だったら去年の段階でも欲しかった』とまで評価していただけました。それから3年間プレーして、今回、契約満了となりました。それからですね、Hikari FCとのつながりが始まったのは。今年の初蹴りイベントに僕をゲストで呼んでいただけたんです。そこにはHikariのOBでグランパスで活躍する藤井陽也選手も来ていて、一緒にプレーもしたんですが、何より重要だったのは、Hikari FCの方と出会えたことでした。それがHikari FCとのご縁の始まりでしたし、僕は愛知県をもっと盛り上げたい、いまチームを探している、という話をそこでさせてもらったところから今の状況があります。実はその少し前には、違う話もあったんですよ。JFLのFC ISE-SHIMAとFC刈谷の試合をたまたま見に行って、そこで小倉(隆史)さんにも挨拶させてもらいました。小倉さんは『他を探すんならISE-SHIMAに来いよ』と言ってくれてもいたんです。その一方でHikari FCからは『子どもたちを成長させてほしいし、指導者たちも成長させてほしい』という話を頂いていました。そして僕はHikari FCの方で、僕がやれることや子どもたちに夢を与えられることがあれば、と思ったんです。春日井クラブもこのグラウンドを借りて練習をしているんですが、以前は東海リーグにいたのに、今は県リーグ2部にまで落ちてしまっている。だったら、自分もそこでプレーして春日井クラブを東海へと引き上げて、Hikari FCで子どもたちの指導も含め両方やろう、と思いました」

(残り 3381文字/全文: 4652文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ