【赤鯱探訪】高木義成編①「この1年は、“高木義成”という人間を見つめ直した1年だった」
日本体育大学 学友会 サッカー部
高木義成GKコーチ @takagiGKCoach
(2010~2015 名古屋グランパス所属)記念すべき探訪の10回目は狙ったわけではないが、これもまた巡り合わせか。筆者と同い年の1979年生まれ、2010年リーグ優勝の間違いなく立役者のひとり、高木義成である。今年9月に“脱サラ”し、日本体育大学サッカーカー部のGKコーチに就任し、晴れてサッカー界の現場に戻ってきた彼は後身の育成だけでなく、実はもっと大きな野望を抱えて今の仕事に日々モチベーション高く臨んでいるという。その意気込み、半端ないということだけは先に言っておく。それだけに今回の探訪もまた大長編になりそうな予感。なのでまずは引退後から現在に至るまで、そして伝説の“藤が丘会”などについて前編的な部分を今回はお届けする。
「この1年は、“高木義成”という人間を見つめ直した1年だった」
Q:お久しぶりです。高木さんについては名古屋から移籍した以降もいろいろと情報を伝えてきたところがあったので、引退後のことから話を聞いていこうと思います。最初はサッカー界で色々な選択肢があったと聞いていましたが。
「おれ何やるって言ってたっけ?」
Q:最初は選手のエージェントをやるとも言っていました。
「ああ、最初はエージェントで会社からは話が来ていたので。でも色々あってその話はなくなって、『KAMO』の外商部に配属になったと。結局はそれがとても良かったとは思っているんだけど。サラリーマンになった方が、現場に慣れ親しんだエージェントをやるよりも、まったく知らない世界だったし、そこに38歳で飛び込めたわけだからね。でも、キツかったよ」
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