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赤鯱新報

【赤鯱探訪】田鍋陵太編③「プロの頃の自分に追いつきたいんです」

ピースユナイテッドFC
田鍋陵太 コーチ
(2012~2017 名古屋グランパス所属)

あれは昨年のクリスマスのこと。2021年の関東社会人リーグ昇格を決めた南葛SCから現役引退選手のリリースが発表された。選手の名前は田鍋陵太。名古屋グランパスでプロになり、西野朗監督の下では主力としてプレーしたサイドアタッカーだ。名古屋での最終年となる2017年はシーズン途中で熊本に期限付き移籍をし、翌年からは地元の東京に帰って社会人リーグに戦いの舞台を移していた。その時から普段は営業社員として働き、サッカーとの二足の草鞋を履く生活を続けてきたが、この度、現役生活にピリオドを打つことになった。名古屋在籍時は“おバカキャラ”としても愛された男は引退後の人生をどう考えているのか。今回は筆者も驚きの変貌を遂げた、野心家・田鍋陵太の姿に読者の皆さんも驚いて欲しいと思う。

赤鯱探訪・田鍋陵太編③「プロの頃の自分に追いつきたいんです」

Q:ところで名古屋グランパスでのキャリアについても少し振り返りましょう。5年半のキャリアはいかがでしたか。
「正直、最初の1年目、2年目はふわふわしてましたね。当時のメンツが凄すぎたというのもあるんですけど、なかなか入り込めなかった。練習していても全然敵わなかった。だってあの頃ってスタメンのほとんどが代表選手だったじゃないですか。そういうメンツに比べると、やっぱり高卒レベルだったし、不甲斐ない2年間でしたね。それで2年目が終わった時、実は期限付きで移籍したいって言ってたんです。でも巻佑樹くんがちょうどフロントに入った時で、おそらく内部情報もあったんでしょうね。『もう1年だけ待て』と。そうしたら監督が西野(朗)さんになって、開幕戦にも出られて。3年目は試合に出られたシーズンでしたし、4年目もケガがあってコンスタントには出られなかったかもしれないけど、基本的にはメンバーには入れてもらえて途中出場はしていた感じだったから。選手としてやっと身になってきたというか、サッカー選手になれたっていう実感が出てきましたね。で、それが終わってからの膝の手術だったから…。小倉さんの時はほぼほぼチームと一緒にはやっていませんよね。それで復帰した5年目は、なかなか思い切り走ることもできず、怖さがすごくあったし、ちょっと対人もきつくて。苦労しましたね。そこから風間さんになって選手の大きな入れ替えもあって、自分も選手としてどうなのかな、って思う時期がありました。でも若かったから、どこかやれるところはあるだろうと思ってたら、なくて。名古屋には5年半いたけど、みんなに『よく5年半もいられたね』って言われるんですよ。それなりにというか、多少は評価されていたのかなって思う。西野さんの時に試合に出られていたということもあったんだろうけど」

2016年、右ひざの大手術から無事に退院した後の田鍋陵太さん(2016年1月撮影)

Q:高卒で入ってきた時、すごく身体ができているように見えていたんですが、プロに備えて鍛えてきていたんですか?
「いや、何もしてないですよ。何もしてない。ナチュラル。僕ね、全然筋トレしてなかったんですよ。練習生から合わせると7年くらいになるんですね、名古屋では。キャンプに行ってましたから。指宿が最初で、別府も行っていたので」

Q:キャリアは大小のケガとの戦いでもありました。
「多かったですね。でも、ケアしてないからだって思われがちなんですけど、けっこう見えないところで自分でのケアもしていたんですよ。ストレッチも治療もしっかりしていたし。でも聞いていると筋肉の使い方が悪かったみたいで、力の入れるところ、尻に力が入れられていないからモモ前やモモ裏に負担がかかって肉離れしてしまうことが多かったと。ほとんど肉離れでしたけど、高校時代は肉離れなんてしたことなかったんです。変な力が入っていたところもあったのかもしれないですね。なんてことないスプリントでも余計に力が入っていたりとか、見えないストレスや緊張感が、『やらないといけない!』みたいにかかっていたことも、あったかもしれないです」

Q:ポジションもいろいろやりました。
「やりましたね。サイドバックは自分でもけっこうはまってたんですよ」

Q:田鍋さんのサイドバックは好きでした。速いし強いし空中戦も得意だし。
「オレもそう思ってたんです。そういう意味でも西野さんには助けられましたよ。だってオレのことなんて全然知らないのに、タイキャンプぐらいからずっとスタメン組で使ってもらって。逆に自分が『何でオレなんだろう?』って思ってたくらいですから(笑)。他にもいっぱい選手がいるのに、オレなのかと。タイキャンプの最終日にはカップ戦があったんですけど、そこで勝ちはしたけど自分は良いプレーできなくて、これは代えられるかもしれないって思っていたら、日本に帰ってきて『陵太、サイドバックできるか』と西野さんから直接言われて。自分も『高校の時やっていたので大丈夫かもしれないです』みたいな変な回答をして(笑)。そうしたら最初は3バックでやっていたんだけど、それが4バックになって良かったからそのまま開幕に入ったんです」

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