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赤鯱新報

【赤鯱短信】竹内彬が現役引退を発表。律儀で熱い漢の引き際は、新たな旅へのスタートも含んで。

2021年11月15日、竹内彬が現役引退を発表した。11日の玉田圭司に続き、かつて名古屋でプレーした選手がスパイクを脱ぐという報に触れ、お疲れ様の気持ちとまだまだやれるよ、の気持ちの二つが心に同居している。だが、これは彼らの決断であって、我々はただただ尊重することしかできないし、すべきだと思う。41歳と38歳、サッカー選手の“寿命”を思えばとても長寿で、真のプロフェッショナルでしか成し得ないキャリアだ。強靭に鍛え上げられた肉体と、飽くなきサッカーへの探求心、そして好奇心。一つの区切りに思い浮かぶことは尽きず、それが寂しさを加速させもする。

竹内から連絡をもらったのは、引退発表の少し前のことだった。第一声は「やりきりましたよ」。引退します、という直接的な報告ではなく、もう10年以上の知己としては、連絡を受けたところから互いに察するところを探り合うような会話の中で、悟った。社交辞令ではなく、本気で「現役の道もあったんでしょ?」と聞けば、「次にやりたいことへのワクワクが勝りました」と力強い。ワクワク感に満ちた、弾んだ声が悔いのないキャリアの終わりを教えてくれて、ホッとしたようなところもあった。それにしても名古屋時代に何度も取材したとはいえ、一介のライターにまで連絡をくれるなんて律儀なものである。「人とのつながりは大事ですからね。これからの仕事をしていく上でも」。どこにいても愛されるキャラクターは、来年から讃岐の強化担当兼地域連携リーダーという肩書で、さらなる人と人とのつながりを探し、紡ぎ、大きなものにしていく役割を担う。

ちなみに、というか余談、でもないのだが、実は竹内は赤鯱新報にとって重要人物である。これで435回目を数える「赤鯱短信」の第1回は、何を隠そう竹内のエピソードだった。2015年、千葉から5年ぶりに名古屋に復帰を果たした彼は、若々しかった前回所属時のイメージをかなり落ち着いた佇まいに変えていたが、見た目も性格もご存知“竹内彬”のままに帰ってきてくれていた。そこで聞いた千葉時代の4年間、中村直志さんの運転手を務めてきたという話をコラムに仕立てたのだが、これがその後の赤鯱短信の方向性、引いては赤鯱新報が何を伝えたいかを決めたといっても過言ではない。最近は取材機会自体がめっきりと減り、あの頃のような話をご提供できていないのが心苦しい限り。そういうわけで、竹内彬の功績はとかく筆者にとってはものすごく大きかったのである。

竹内と言えばすぐに思い出すのは2015年、選手層が若手に傾きすぎて苦しんでいた西野朗体制の名古屋守備陣を救った働きだ。これは何度でも書くが、ボランチ起用の際にはあの楢﨑正剛が「アイツみたいに闘志があって、器用ではないけどDFの感覚を持っていて、カバーリングしようという積極性を持った選手は、できれば近くにいてほしいんですけどね。シュートのこぼれ球にも反応してくれる生粋のDFで、ちゃんとした守備の感覚を持っている選手です」と信頼を口にした。もちろん本人にも伝え、彼は照れくさそうに笑った。とある試合の失点シーンについて話した時、こちらがうまく状況を飲み込めていなかった部分をリプレーを見せながら「ほらね!?」ときっちり説明してくれたことも、今となっては微笑ましい記憶だ。前述の中村さん引退の報に触れ、電話口で号泣したという逸話も残る。とにかく真っ直ぐで、熱くて、心のある男。それが竹内彬なのだ。

でも一つだけ、彼は嘘をついた。38歳の誕生日に「38歳はまだ若い」のメッセージを贈ったところ、「引退の時は感動的な記事を書いてください」とお願いされたのだが、それが「今年でないことは確か」と言っていたのだ。今年じゃないか、まったく。これが感動的な記事になったかはわからないけど、できるだけ想いを込めて書いたつもりなので勘弁してほしい。大卒で17年間のキャリアを築ける選手はそう多くはない。その一人に竹内彬がなれたことはひとりの友人として実に嬉しく、誇らしいことである。ファン感謝デーでモノマネを滑らせていたあの男が…。

とにかくお疲れ様でした。またシーズンオフにはしっかり話を聞かせてもらうつもりなので、その時は、そしてこれからもよろしくお願いします。それにしても、良い経験が滲み出ているような、良い顔になりましたよね。

reported by 今井雄一朗

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