赤鯱新報

レジェンドマッチ出場選手インタビュー:玉田圭司「名古屋時代の自分を、それ以上のプレーを」前編

Q:興味があるので少しお聞きしたいんですが、当時のチームメイトってどんな風に見えていたのでしょうか?
「一人ひとり個性が強くて、その集合体だったと思うし、2010年とかは特にね。強い個性が組み合わさってチームになれたと思うから、やっぱり個性って大事だなって今も思う」

Q:強い個性が11人並んでいるようなチームというのはなかなか珍しいというか。戦術以前に個性が噛み合っているような。ある意味奇跡的でしたね。
「おれが気を遣ってたんだよ(笑)。それは冗談だけど」

Q:もちろん戦術はあって、個人の判断やグループの判断もあって。その割合はどんなものでしたか。
「個性がある中にも犠牲心をみんなが持ってやれていたと思うし、みんなの特徴があったからこそ、いろいろな選手でカムフラージュしたところももちろんあって」

Q:弱点や欠点はあったけど、覆い隠すことができたと。
「それはあったでしょ、もちろん。でもみんな賢かったんだと思う。頭が良かった」

Q:言わなくてもやれる、ぐらいに?
「そういう部分もあったと思う。そこに自分の特徴と、自分の弱点も理解してやっていたんだと思う。自分の良さを出すためには、あの選手の良さを出すには、というね」

Q:そこで玉田さんは気を遣っていたと。
「そういうところもあったよ(笑)。そうしていなかったら、もっとわがままなプレーになっていたと思う。もっとドリブルをして、シュートを打っているとか。でも、わがままな部分がなかったとも言わない。それは必要なことでもあったから。ただ、自分も犠牲心をもってプレーしていた」

Q:ただ、そのためには味方への信頼感が欠かせません。それは練習で積み上げていったものでしょうか。試合などで互いを認めるようなことだったのでしょうか。
「練習をやりながらだったかな。『アイツの良さを出さなきゃな』とかもちろん考えていたし、日々考えてサッカーをするようにはなったよね」

Q:2010年のチームの攻守の強みとは、どんなところにあったのでしょうか。
「守りに関しては本当に、ブロック率がものすごく高かったと思うし、シュートされる回数はおそらく多かったと思う。そこを取られない、という強みはあったよね。ナラさんを中心に。攻撃にかんしても、おそらくチャンスの数は1試合の中でそんなに多くなかったと思うんだけど、でも相手に恐怖を与えてる、恐れさせている、みたいな。何ならチャンスをつくらなくても。そういう威圧感はあったんじゃないかなって思う」

Q:それは自分たちでも意識できている部分だったのですか。
「いや、意識はしていない。でも、そう思う。意識としては、絶対にオレたちは勝てる、みたいなものは試合前からあったし、それを植え付けてくれたのが、ストイコビッチ監督だったんだと思う」

Q:それは想像するに、相手がもう一歩奪いに来れる場面でも来ないとか、相手のプレーにも表れることだったのですか?
「うーん、今思えば、そういうことがあった試合もあったと思う」

Q:10年、11年はケネディが得点王、玉田さんもそれぞれキャリアハイの得点数を挙げました。自分たちが得点をたくさん取れた理由はどんなところにあったのでしょうか。
「形だったんじゃないかな、ちょっとした。その一つはケネディと自分のコンビネーションであったりとか、二人の関係性は築けていたし、お互いが理解し合っていたというのがすごく大事で。ケネディとは二人で点を取るイメージも持てていたし、もちろんそれは結果にも表れている」

Q:キャリアの中で得点の取り方は変わってもくるものですが、当時の得点の仕方というのはどんなイメージがありますか。
「ケネディが基本的には中央にドン、といてくれるから、そこを衛星のように自分が動いてこぼれ球を拾ったりとかは、意識してやっていたことだった。その中で自分にとっての良い形のシュートも打てていた。コンディションが悪いシーズンはなかなか難しいこともあったけど、何より点を取るためには良き理解者がいないとダメだと思うから、全部が全部、良い時期にできたとは言えない部分もあったかな」

後編へ続く

reported by 今井雄一朗

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