赤鯱新報

レジェンドマッチ出場選手インタビュー 小川佳純 「チーム最年少として、一番走らないと」【後編】

※昨日、クラブより公式のリリースがありました通り、小川佳純さんはけがのためレジェンドマッチ出場が見送られました。今回の試合に小川さんは出場しませんが、インタビュー後編はこんな意気込みだったんだ!ということで引き続きお楽しみください。

前編はこちら

【後編】引退してもすごく上手いな、とは対戦相手に思わせたい。

Q:これまでにも何度かお聞きしていますが、せっかくなのでタイトルを獲った当時の話も少しお聞きします。2010年のチームは、改めてどんなチームでしたか。
「やっぱり個々の能力が高かったです。実力的に中程度の選手たちが集まって頑張って、良い結果を出したのではなく、それぞれの粒がデカい選手たちの集まりでした。体格も、実力的にもデカかった。そうやって強い個がこれだけ集まると、これだけ強いチームになるんだなって、優勝したシーズンには感じていました。その中で僕は個人的な実力のなさを、このシーズンには感じていましたね。全試合には出場しているんですが、スタメンは半分くらいしかなくて。個人としては悔しさの多い1年で、いまだによく覚えています。優勝したことは嬉しかったし、このクラブに携わる人や環境、名古屋という街自体が喜んでくれたから、優勝するのって素晴らしいなって思いましたけど、その反面で自分は不完全燃焼だった。それは今、引退してからも自分が将来、Jリーグのチームに戻ってタイトル獲得に貢献したいっていう目標に対して、その時にやり残したことがあるからって思わせてくれるものです。そういう当時の良い思い出も、まだ引退後にも自分に目標を持ち続けさせてくれる、意味があるのが2010年です。いろいろなインパクトを僕に残してくれました」

Q:あの当時のメンバーを監督をやっている今の自分が率いるとして、何をしますか。
「いや、あの選手たちの特徴を生かせるようにやるだけです。あまり言い過ぎなくてもよかった年ではないかな、と思うんです。大まかに『こうやってやろう』ということだけ作っておけば、あのシーズンの選手たちであれば、ピッチの中で自分たちで何とかしてくれそうなチームの編成だったように今は思います。監督として楽ではないけど(笑)、ピクシーやボスコには当時は当時で苦労もあったんだろうけど、でもあれだけの選手たちがいたら、いろいろなことをしなくても良い結果を出せる気はしますよ。それだけの選手たちが揃っていたと思います」

Q:それだけの選手編成の中で、逆に監督やスタッフの重要性を感じたことはありましたか。
「その年の前からですけど、2008年にストイコビッチ監督が就任して、優勝する、タイトルを獲るということを明確に言っていたことですね。メディアにもサポーターにも、タイトルを獲る、と。それまでは特にリーグ戦のタイトルに縁がなかったチームでしたが、そういうチームに『タイトルを獲らせる』と宣言して、言い続けた。監督も、久米さんも、先頭に立つ人間が最後まで諦めない姿勢やタイトルを獲るという強いメンタリティを持っていてくれた。それはあの監督やスタッフでなければ、できなかったと思います。そこにあれだけの選手が集まったことで、クラブ全体としても優勝を目指す雰囲気ができて、サポーターやスポンサーの方たちがいて、みんなが優勝に向かって突き進んだのが2010年というシーズンでした」

Q:2010年の自分を振り返って、もっとこうしておけば、という何かを考えることはありますか。
「そのシーズンのことを振り返ると、システムが4-3-3や4-2-3-1でやっているんですね。そこでポジションを変わりながら、選手の配置を変えながらもやっていた。僕は2008年、09年とサイドハーフで出ていて、結果も08年は特に出せたんですが、それが4-3-3になってインサイドハーフをやるようになって。自分はそれまで外で張っているプレーヤーだったのが、中でのプレーが増えたことで、ボランチのようなプレーもできなければ、とチャレンジしていたんですが、サイドハーフの時の自分の良さは出せなかった気はしています。ゲームを作る仕事をやらなければと思いすぎて、相手が嫌がる裏へのランニングとか、ゴールにつながるプレーを生かしていなかった。そういうものは2010年の自分にはあった気がしています。自分にできることをやるしかないのに、苦手なことまでやろうとしていたんですね。それでミスが増えたり、パフォーマンスの良くない試合も増えた。2010年当時の自分は、その意味で下手だったなって思います」

Q:いろいろなポジションができるのも強みでしたが、その意味では自分のベストポジションはどこだったと思いますか。やはり4-4-2のサイドハーフですか?
「それは当時はそうでしたけど、年齢を重ねていくとやれなくなってくるプレーも出てきたりするので。その当時はサイドハーフがベストだったと思います。でも、年齢を重ねてからは、だんだんスプリントができなくなったりして、ポジションが変わっていくものです。中盤の選手は特に、FWやDFの選手のようにそこしかできない、というよりも、時には監督に気に入られることだってあるし、なかなか自分のベストポジションが定まらないこともある」

Q:個人的に好きだったのが、サイドチェンジを多用するストイコビッチ監督のチームで、それをしっかり収めて次のプレーにスピーディーにつなげていく小川さんのプレーでした。
「僕はやっぱりパスを受ける側の人間だって、ずっと思っています。10番って自分がボールを持って、オンザボールで仕事をする選手と思われるんです。でもタマさんや淳吾さんのように力を発揮する選手がいる一方で、自分はオフザボールで力を発揮する選手だって、グランパスに入る時から思っていました。そこは年齢を重ねていくにつれ、強く思ったところでしたね。2010年はオンザボールをやろうとして、インサイドハーフだからボールをもらって組み立てなきゃ、みたいなところに意識が行き過ぎていました。自分の持ち味が出せていなかったなって反省もしました。パスを出せる選手がたくさんいたんですよ。動けば阿部ちゃんから出てくるし、タマさんもそう、優勝したシーズンならヨシさんもそうだし、マギヌンもそう。ジョシュアも自分がクロスの折り返しに対して動けば、良いパスを出してくれました。そこでインサイドハーフとして良い動き出しをして、相手の危険な場所でボールを受けるということをすればよかったなと。自分が活躍できている時は、そういう動きができているので。現役当時も言ってましたけど、僕はチームが良い動きをしている時に結果が出せる。もちろんそこは変えたい部分でもあって、チームの動きが悪い時には、自分のオンザボールのプレーで展開を変えられるようになりたいって思ってもいました。でも冷静に、客観的に振り返ると、チームがうまくいっていて、良いボールが出ている時に、自分がオフザボールで動き出すと、僕は輝けていたんです」

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