赤鯱新報

【赤鯱探訪】酒井隆介編① 「最初はパーソナルトレーナーになりたかったんです」

インテルナシオナルジャパンサッカースクール・コーチ
酒井隆介
(2016~2017 名古屋グランパス所属)

所属したのはわずかに1年半。しかし彼の雄姿を強く覚えているサポーターの方もいるのではないだろうか。吉田麻也はじめ、新川織部、福島新太、長谷川徹らアカデミー黄金世代の一人として、トップ昇格こそ叶わなかったが、駒澤大を経て京都、松本、そして名古屋へと返り咲いた不屈の男である。昨季限りでの引退後はセカンドキャリアに少し悩んだ時期もあったようだが、いまは再び大好きなサッカーで道を切り拓こうとしているとのこと。そこにはとあるキーマンの存在もありつつ、彼は今あの屈託のない笑顔でもって、少年たちと接している。

赤鯱探訪・酒井隆介編①
「最初はパーソナルトレーナーになりたかったんです」

Q:お久しぶりです。まずは2021年限りでの引退についてお聞きしますが、やりきった現役引退にはなりましたか。
「そうすね、やりきったといえば、やりきりましたね。ただやっぱり、今までずっと上を目指してやってきたところがあって、J1でやりたい、もっと上でやりたい、という欲の下にずっとやってきたんで、自分でそこに限界を感じたところもあったんですね。それが引退を決めた一番大きな理由でした。今までこうしてやってきて、自分を出しきって、終わることができた。常に自分の全力を出しきるってことをテーマに置いてやっていたので、選手への未練はないですね。やりきった感覚はあります。
あとは、実は今年も行けるチームはあったにはあったんですけど、今は次へと向けての部分で奥さんも働いていて、しかも奥さんはずっと働きたいって言っていたんですよ。それをオレが止めていた。選手でいる間は家にいてくれと。そういう感じもあって、引退を決めてからは奥さんも働き始めていて、仕事に慣れてきたところでもあったので。去年の夏ぐらいには引退も含めてこういうことを考えているって話を家族としていたんです。そこでもう奥さんは働き始めることにして。その状況で行けるチームがまだあるってなっても、オレは一人でそこに行く決断はできなかったです。家族が大好きだから。一人で行って、サッカーはできないと思った。
そういうこともありましたし、純粋に上を目指してサッカーをやる、という感覚が自分に持てなかった。上にあがるために経験のある選手やベテランの力をチームに還元してほしいっていうオファーでもあったんですけど、その気持ちが自分にないのに、行っても迷惑をかけるだけ。期待には応えられないという気持ちだったということもあります」

Q:納得のいくプレーができないし、モヤモヤしたままやることもできないと。
「そうそう。そうやって中途半端にやるくらいなら、もう見切りをつけて。次のステップに進もうかなって決めました」

Q:引退の報告はいろいろな人にしたんですか。
「いろんな人にはしなかったんですよね…あんまり。誰にしたんだっけな…家族くらいかもしれない」

Q:では町田からの引退のリリースが出て、自分の知り合いも引退を知るみたいな?
「そう、それで知ったって感じ。…ちゃんとやらなきゃいけなかったですね(苦笑)。それは少し後悔しています」

Q:それは現役中の夏に決めたから、何というか自然な形で連絡をしなかったということですか。
「(山口)慶くんとか、ユースの先輩には少し言ったかなあ…。何だろう、何でだったんだろう。そこは自分でもよくわからないんですけど、まあ自分なんかに興味ないだろうみたいな気持ちも少しあったりして(笑)。本当に自然な感じで特に報告しなかったです」

Q:ではリリースが出た時の反響はあったのでは。

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