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ブレックス 長島蓮「本当に感謝しかありません」インタビュー【無料記事】

 

監督の言葉が心の支えに

Bチームからスタートした大学生活だったが、1年の途中でトライアウトがあり、Aチームに上がれるといううれしい出来事もあった。ところが、2年生の時には再びBチームに落とされてしまう。監督との面談では、自分のダメな部分を指摘された上で、最後にこう言われたという。

「今話した部分を改善しろ。それを俺はずっと見てるから」。それは長島にとっては、うれしい言葉だった。

Bチームに落ちても、ずっと見てるから―。

その後も腐らずにやって来れたのは、この言葉を信じて頑張って来たからだ。

「その頃は自分の良いところも分からず、大学のシステムも理解していませんでした」

Bチームに落ちたことで、長島は自分に足りないことに気づき、そこから一念発起して体育館に通い詰めた。

「気持ちが落ちないことが大事だなと思ったので、空いてる時間に家でダラダラするんじゃなくて、『とにかく体育館で何かをする』と決めたんです」

白鷗大学男子バスケットボール部の練習は、AチームとBチームで分かれて行う。BチームはAチームの練習が終わった後に練習がスタートするため、Aチームの練習で体育館が使えない時は、外を走ったりウェイトトレーニングをして体を鍛え、Aチームの練習が終わる夜9時頃にやっと体育館に来て、毎日11時近くまで練習に励んだ。

 

 

切っていけるガードに…

もう一つ、積極的に取り組んだことがある。それは、分からないことがあったら、すぐに先輩方に聞きに行くということ。これは現在にも通じることだが、先輩方に聞いて教えてもらうことの重要性は、この時に学んだことだった。

そんな日々を送る中で、ふと思うことがあった。

「切っていけるガードって、強いよな…」

いつしか、そのための技術を強化していきたいと思うようになり、重点的に練習に励むうちにドライブが自分の武器になっていった。

同じ頃、栃木国体のメンバーに入る機会にも恵まれる。

当時、国体出場チームの監督だったのは、かつてブレックスの下部組織「DRISE」でキャプテンを務めていた荒井尚光氏。また、荒井監督がDRISEの選手としてプレーしていた時、HC(ヘッドコーチ)だったのが、自分の大学の監督である落合氏だった。当然、2人のバスケットはよく似ており、そこでプレーするうちに、少しずつ感覚が掴めていった。

こうした努力が実を結び再びAチームに戻ると、3年次からは試合でも活躍するようになり、同時に、ある感情が芽生え始めた。

プロに行きたい―。

 

 

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