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栗原貴宏「手術をしても、これだけできるんだと証明したい」【コラム・無料記事】

選手生命に関わる大きな決断

この時に栗原に提示されたのは、「足関節固定術」という手術だ。栗原の足首は、本来、骨と骨の間でクッション役を果たす軟骨がなくなってしまったため、骨同士がぶつかって、削れ、めり込んでしまっている状態にある。そこで隙間の軟骨を取ってしまい隙間を埋めて、上の骨と下の骨をくっつけて一つにしてしまうことで、痛みを失くすという手術だった。

しかし、こうした手術をプロのバスケットボール選手が受けた事例がなく、術後には本当に痛みがなくなるのか、これまでのようなプレーができるのかという点において、どうしても不安を払拭することができないでいた。その手術をするのかしないのかは、まさに選手生命に関わる、大きな決断でもあったのだ。

「そもそも若い人でここまで末期になる人は、滅多にいないそうなんです。例えば前十字靭帯断裂なども大きなケガですが、たくさん前例があるので、おそらく復帰はできるだろうと。あとは、どれだけいい状態で復帰できるかという部分を考えて手術の決断をすると思うんです。けど僕の場合、そういった前例が全くなかったので不安でしかなくて、最初は手術はしないかなと思っていたんです」

 

これでダメだったらしょうがない

トレーナーなど周りにいる人たちにこうした状況を相談すると、前向きな意見を言ってくれる人もいた一方で、「そもそもスポーツ選手でそういう手術をやっている人を聞いたことがないから、手術はしない方がいいんじゃないか」と言う人も少なくなかった。

「めちゃくちゃ迷いましたけど、僕の中では答えは一つしかなくて。手術をしないで、この痛みをずっと抱えて生きていくのかと考えたら、もう、本当にきつくて…。だから、手術はすると決めました。先生からは、『今はいいけど40歳、50歳と年齢を重ねるにつれて骨が弱くなってくるし、そうなってからだと最後の手術もできなくなるよ。もし手術するとなったら、もっと大がかりになるよ』と、後々のリスクの話もされました。それに『手術をした後もプレーはできると思う』と言ってくれたので、これでダメだったらしょうがないんじゃないかなという気持ちになったんです。これがラストチャンスだから、もうやるしかないという感じでしたね。あとは、それを『よし、やろう!』という気持ちにどう持っていくかだけでした」

最終的に栗原の背中を押したのは、家族の言葉だった。

「妻はいつも僕の様子を間近で見ていたし、僕は生きているうちの半分以上をその痛みのストレスと向き合っていて、常にそればっかりだったんです。朝起きて、『あ~、今日はどれだけ痛いんだろう』って。しまいには子供にも気を遣わせてしまって。家族で出掛けたりすると、子供に『抱っこして』って言われることがあるじゃないですか。でも、そんな時にも、『パパ、今日は足痛い? 大丈夫?』と聞かれて…。あ~、このままじゃダメだなって、本当に思いました」

最後は、自分でとことん調べて、納得して決めた。

 思い切って手術を受けると決断したものの、シーズン終盤に右足をケガしてしまったため、左足首の手術は右足の回復を待ってからとなった。

手術は、東京・八王子の病院で受けたのだが、主治医の勤務先は奈良の病院ということもあり、術後は奈良の病院に入院してリハビリを続けた。

「本当に稀な手術なので、先生の下で、よく分かっている理学療法士さんに診てもらいたいとお願いしました」

奈良は新幹線を使っても、宇都宮から4時間半は掛かる。2人の子供を連れて奈良まで来てもらうのも申し訳ないと、入院中は家族の見舞いを断っていたという。だが、一人の時間が続けば気分が滅入ることもある。

そんな時に救いとなったのは、大学の同期がたまに見舞いに来てくれることだった。

「バンビシャッス奈良にいる種市(幸祐)に連絡をしたら、見舞いに来てくれて。休みの日は車で来てもらって、外食に連れ出してもらったりしました。それがあったから、頑張れたというのはありますね」

手術後、1カ月半はギプスをして過ごし、ギプスが外れてからは奈良の病院に入院。こうしてトータルで56日間の入院生活を送った。

 

 

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