バスケットボール・クラッチ

バスケットスクール、3×3運営、アリーナ運営 菊原敬一郎「いろんな形でバスケットの楽しさを広めていきたい」インタビュー

宇都宮ブレックス バスケットスクール、3×3運営、アリーナ運営 菊原敬一郎さん

 

バスケットスクールや3×3運営など、いくつかの業務を兼務する菊原敬一郎さん。多忙な生活の中でもONOFFをしっかり切り替えて、多くの趣味を楽しんでいるようです。自分の時間を大切にすることが、仕事にもいい結果をもたらしているのかもしれませんね。(スタッフさんのお仕事紹介は、今後もしばらく続きます。 文・藤井洋子)

 

スクール生を増やしたい

—現在の仕事内容を教えてください。

バスケットボールスクールで、指導と運営全体の管理、3×3のチームの運営、アリーナ運営を担当しています。今後、まだまだスクールを拡大していきたいので、新しい校舎を増やすために会場を探したりもしています。

現在はすべてのクラスをあわせて550人強の生徒に通ってもらっています。スクールは、毎年4月に年度が変わるので、来年はさらに100人ぐらいスクール生を増やしたいなと思っています。

 

—これだけ生徒数も多いと管理が大変ですね。さらに3×3の運営もされているんですよね。

3×3(UTSUNOMIYA BREX.EXE)の運営に関しては2019シーズンから担当になりました。SNSを使って試合や選手の情報を発信したり、シーズン中は遠征に帯同して選手の捕食や氷を買ったり、当日の試合状況によって遅れたり早まったりということもあるので、当日の時間の管理もしています。

3×3は5人制バスケと違ってチームに専属コーチがいない競技なので、自分たちで状況を把握して自ら動かないといけないという特性があります。

 

—チームマネジャーのような仕事もしているのですね。

試合がない時は、ユニフォームなど選手の備品を管理したり、外国籍選手もいるので、ケガや病気をした時は病院などに付き添ったりもします。確かにチームマネジャーのような仕事でもありますね。

2018シーズンまでは3×3.EXE PREMIERという大会だけに出ていたのですが、2019シーズンからはさまざまな大会にも出場するようになったので、Bリーグのシーズンと重なる時期も発生するようになりました。例えば、土曜日に県北体育館でBリーグの試合があり、日曜日には朝から大阪に行って3×3の試合ということもありました。

 

—ということはブレックスのホームゲームの際も、会場でお仕事をされているのですか。

競技担当でもあるので、ホームゲームに関してはモッパーやテーブルオフィシャル、会場ドクターの手配をしています。

 

—モッパーの方の手配までされているのですか。

選手がより安全に集中してプレーができるよう、2シーズン前ぐらいから競技への理解度が高いアルバイトの方にお願いすることになりました。その方たちの採用、シフトを組んだりということも僕が担当しています。

今は6人ぐらいメンバーがいるのですが、彼らはもう何回も経験しているので、こちらから指示を出さなくても行っていいタイミング、行かなければいけないタイミングが分かっていて僕も安心して任せられますし、選手も安心してプレーできていると思います。

あと、ホームゲームの時は、いつもMC(関さん)の横に座り、誰がファウルして、誰がシュートを決めましたなどの情報をMCに伝えてスムーズにアナウンスしてもらうためのアシスタントをしたり、試合中のイベントの際は、ゲストや参加されるお客さまのサポートなどもしています。

 

—スタッフの方のお話を聞くと、皆さんいろんなお仕事を兼務されていますが、会社の方針でそうしているのですか。

僕はバスケットチームでスタッフとして働くのはブレックスで3チーム目になるのですが、ほかのチームに比べると、ブレックスは分業されている方だと思います。僕自身は三つぐらい業務を兼務していますが、ほかのスタッフは二つぐらいが多いと思います。

一つの業務を極める良さもあると思いますが、個人的にはさまざまな業務に取り組めた方が今後の役にも立つと思っているので、僕の希望でいろいろやらせてもらっているところもありますね。

 

 

念願のバスケット業界へ

—菊原さんは、元々はプレーヤーだったのですか。

元々バスケが好きで、本格的に始めたのは中学生からです。高校を卒業する時に、スポーツ関係の仕事に就きたいと思い、トレーナーの専門学校に行きました。そこで2年間トレーナーの勉強をしたのですが、実習をするうちに、トレーナーという仕事は自分には合わないなと感じるようになりました。

bjリーグがスタートしたのは、ちょうどその頃だったと思います。当時、僕は大阪にいたのですが、バスケットの専門学校にプロ選手を目指すコースと、コーチを目指すコースが新設されたので、就職せずにその学校に進み、コーチの勉強をすることにしました。それが本格的にバスケット業界に行きたいと思うようになったきっかけです。

 

—そうして卒業後に京都のチームに行かれたのですか。

いえ、当時はプロチームで働くための窓口ってそれほど広くなくて…。僕が通っていた学校を創ったのは明治大学のヘッドコーチの方で、その人にお願いして、明治大学のバスケ部で勉強をさせてもらいながら1年ほど東京にいました。

バスケチームも徐々に増えてきたので、3チームぐらいに履歴書を送ったところ、その中で一番早く連絡をもらえた京都に入社させていただきました。

その後、埼玉のチームに行き、しばらくした時に、知人からブレックスがスクールコーチを探しているということを聞いて…という流れです。

 

—ブレックスは3チーム目ということですが、ブレックス独特だなと感じる部分はありましたか。

たくさん、ありました。栃木に来る前は、ブレックスは強くて、お客さんがたくさん入っているチームというイメージだったのですが、実際に来てみると、宇都宮市内にはブレックスのポスターが至るところに貼ってありますし、ブレックスやブレッキーの看板や広告も多くて、すごいなと思いました。

あとは、社員数が多いな、と。それが一番びっくりしましたね。スタッフとファンの方々が一緒になってポスター貼りをしたり、イベントの規模に関わらずブレッキーやブレクシーが参加したりと、あれだけお客さんが入るというのは、こうした地道な活動をやっているからなんだなと感じました。

個人的なことで言えば、僕はずっとバスケをやっていたので、田臥(勇太)選手のことはずっと観ていましたし、ブレックスは “あの田臥選手がいるチーム” というイメージが強かったです。栃木に行こうと決めたのは、実はそれもありました。

 

—田臥選手がいたことも入社の決め手になったんですね。

そうです、田臥選手の存在が決め手でした。

 

—やはり、田臥選手は憧れのプレーヤーという存在だったのでしょうか。

憧れというか、すごすぎて憧れもできないレベルという感じです(笑)。

 

—そうするとチームに入って初めてお会いした瞬間は、相当感動したんじゃないですか。

足利市民体育館のプレシーズンゲームで初めてあいさつをしたんですけど、ものすごく緊張しました。「うわ、本物だ!」と(笑)。そこは、もうファンの方々と一緒です(笑)。

 

—スタッフさんもバスケットをやっていた方が多いので、田臥選手に初めて会う瞬間は、やっぱりファンの方と同じ感覚になるんですね。

最初はみんなそうだと思います。顔は平然を装ってますけど、内心は「あの田臥選手だ!」みたいな(笑)。

 

 

スターティングファイブの紹介は今でも鳥肌

―ブレックスで仕事をする中で大変だったこと、嬉しかったことをそれぞれ教えてもらえますか。

ブレックスに来てからは大変だと思ったことは特にありません。同じ仕事をしている同僚や上司がいるので、分からなければ教えてくれますし、本当に楽しく仕事をさせてもらっています。

嬉しかったことは、スクール生から手紙をもらった時や、ホームゲームが満員になった時です。スターティングファイブの紹介の時に、お客さんがみんな立ってくださるじゃないですか。あの時の雰囲気がすごく好きで、今でも鳥肌が立ちます。

でも、一番嬉しかったのは、やはりBリーグ1年目で優勝した時ですね。3×3も昨シーズン優勝できたので、その時もすごくうれしかったです。

 

—この仕事のやりがいはどんなところに感じますか。

プロバスケットボールチームは、最終的にはホームゲームにどれだけの人に会場に来ていただけるかだと思うので、会場が満員になった時や、ブレアリが揺れてるんじゃないかと思うぐらいファンの方たちが声を出して応援してくださっている瞬間が一番好きです。

 

—特に印象に残っているファンの声援は、どんな瞬間でしたか。

Bリーグ1年目のセミファイナルの三河戦です。ブレアリで行ったGAME3です。(ライアン)ロシター選手がシュートを決めて逆転した試合の終盤の応援はすごかった。試合の内容はもちろんですが、あの会場の雰囲気は本当にすごかったです。

 

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