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川本梅花 フットボールタクティクス

【ノンフィクション】ラインメール青森の背番号10番 ―笑ったウイングバック奥山泰裕―【無料記事】

ラインメール青森の背番号10番
―笑ったウイングバック奥山泰裕―

「僕は、まだ終わっていない」と何度も叫んだ

彼は笑っていた。

奥山泰裕は、確かに笑っていたのだ。

2015年8月29日、第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会で、東北社会人リーグ1部のラインメール青森は、J2リーグの水戸ホーリーホックと対戦した。試合前半、ラインメール青森の選手が奥山にボールを預ける。「よし!」と彼が声を出す。ホーリーホックの選手が、ボールを持つ奥山にプレッシャーを掛ける。彼は間合いを計って、プレスから抜け出そうとドリブルを始める。相手はドリブルを阻止するために前に立つ。奥山は、縦にドリブルで突破しようと見せかけて、サポートにきた味方にいったんボールを渡す。相手がボールに視線を向けた瞬間に、奥山は水戸の選手をかわして前へと走りだす。味方からボールが再び彼に戻ってきて、きれいなワン・ツーが決まった瞬間だった。

このプレーの流れの中で、最初に味方から奥山にボールが渡った時、彼は心の中でこんな風に呟(つぶや)いた。

「僕はまだ終わっていない。僕はまだやれるんだ」

そして、ワン・ツーが決まって混雑した地帯から抜け出した際、奥山は笑ってプレーをしていたのだ。

彼の「笑い」を、私はどう捉えたらいいのだろうか?

奥山は、2009年シーズンから2014年までJリーグに属するガイナーレ鳥取でプレーしていた。この日の彼は、東北社会人1部リーグのクラブでプレーしている。彼は、今までいたカテゴリーよりも下のクラスに所属しているという現実を肌で感じている。彼は、Jリーガーだったというプライドだけでは生きていけないという事実に、いや応なしに向き合わされる。ここまで歩んできたサッカー人生に悔いはなかったはずだ。いや、悔いなどあってたまるか、と自分に言い聞かせて生きているのかもしれない。しかし突然に、奥山を襲う感情。情けなさ。むなしさ。孤独感が奥山を押しつぶそうとする。

奥山は天皇杯の水戸戦を前に、こんな風に告白している。

「水戸のサポーターの中には、『あれ、鳥取にいた奥山か!?』と僕のことを覚えている人がいると思うんです。そうした人たちに、『まだ奥山ってやれるじゃん。なんで地域リーグにいるんだ?』と思わせるようなパフォーマンスを見せたい。僕は『もう終わった選手で過去の選手だ』と思われているかもしれない。だからこそ、水戸戦では『ああ、奥山って全然やれるじゃん』という姿を見せたいです」

私が見た奥山の「笑い」は、「サッカーができる喜び」とか「自分のプレーに満足している楽しさ」とか、そういった単純な喜びや楽しみから生まれた「笑い」ではない。確かなことは、自分の存在証明を賭けた戦いに勝利した「笑い」だったということだ。つまり、「僕はまだ終わっていない」という魂からの叫びが、試合での奥山のプレーに現されたので、彼はそうした感覚を実感して「笑った」のではないのか、と私には思えた。

鳥取から青森への旅路

ラインメール青森の事務局は、青森市にある親会社の東和電材株式会社の中に設けられている。私は取材のために事務局を訪れた。予定の取材時間ちょうどに奥山はやって来る。私と奥山の対話は、こんな風に始まった。

――ラインメール青森に来ることを決めた理由は何だったの。

奥山 ラインメールは鳥取からすればカテゴリーが下ですが、プロ契約で誘ってくれたんです。鳥取を契約満了になった時はJFLのあるチームから話があって、(Jリーグ合同)トライアウトに出てどうなるのかという経緯でした。そのトライアウトで足首をケガしてしまって。タイやシンガポールでプレーしている知り合いもいたので、頭の中では東南アジアのクラブに練習参加する手もあると考えていたんですが、ケガが長引きそうだったので、海外ですぐにチャレンジするのは無理ということになった。結婚もして子供も生まれたばかりだったので、サッカーを続けるかどうか悩んでいました。

――サッカーを辞めて就職しようと考えたんだね。

奥山 いい話があればサッカーをやりたいし、もし、いい話がなければ仕事をするしかないと決めていたので、チームを探すのは2月までと期間を設けました。2月までに決まらなければ、社会人として働こうと。そんな時に、鳥取のコーチの高木理己(現ガイナーレ鳥取U-18監督)さんがラインメールを紹介してくれたんです。鳥取を解雇されて下のカテゴリーですけど、頑張っている選手がいて、そういった選手からも「このまま辞めていいんですか」というメールをもらった。もちろん、自分の中でも鳥取でやり切ったとか、ポジション争いで負けてアウトになったとか、自分はもうできないと納得した上でアウトになったわけじゃなかったので。

――鳥取では試合に出られない日々が続いたよね。ケガが原因ではなかった?

奥山 はい、ケガではないです。僕はサイドハーフでプレーしていたんですが、シーズンが始まる前に、何の説明もなしに「サイドバッグの練習をしてくれ」と言われた。それで、リーグ戦が始まると練習生の後に自分が立たされる。自分が構想外になっていくのが手に取るように分かった。このままの状況が続けばいずれアウトになると思ったし、監督が続投となれば仕方ないと覚悟はしていました。

――試合に出られない時に、監督とかチームメイトとか誰かの所為(せい)にして自分を甘やかして、ダメになっていった選手を何人も見てきたんだけど、試合で使ってもらえないのに挫(くじ)けなかった奥山くんを支えていたのは、一体何だったんだろうね。

奥山 自分が試合に使ってもらえないからと言って、「それで終わったら不完全燃焼だよな」っていうのがあったんです。プレーヤーとして自分の質が下がったので試合に出られないっていうのを信じたくなかった。ほかのチームに行ったらやれるっていう根拠のない自信ですけど、持っていたんです。チームメイトの何人かが「なんで奥ちゃんを使わないんだろう」とか、「ヤスくんが出られへんの、僕は分かりませんね」って言ってもらえたことが僕の救いになりました。鳥取がJ3に降格した時に、実は、VONDS市原(関東社会人1部リーグ)の監督だった西村卓朗(現水戸ホーリホック強化部長)さんに誘われたんです。声を掛けてもらった時は、鳥取を絶対J2に上げる、という決意があったので、その気持ちを無駄にしたくないから、いったん決めた決意を途中で投げ出して、困難に見える状況から逃げ出したくなかった。自分のサッカーに対する強い意志が、当時鳥取に残った理由ですかね。

雪国青森での厳しいサッカー環境

――青森に来てサッカーをやってみて、環境はどうだった?

奥山 冬は、グラウンドではやれないということで体育館です。気候的に難しいってことはあったんです。春にリーグ戦が始まりますよね。でも、体育館でしか練習できないから、準備不足で引き分けの試合が多い。雪が溶けて試合数を重ねてくると、連係も取れて結果が出てくる。やっと手応えを感じてきているところです。環境に関して、厳しさはあるけど、自分が思っていたよりも悪くなかったと思います。地域リーグでプレーする経験がなかったので、初めは土のグラウンドでやるのかなと覚悟はしていたんです。でも、夏になると、天然芝でやらせてもらえる。ラインメールは、プレーしやすい環境を作ってもらっているので、その期待に応えて頑張ってやらないと。将来的には「人工芝のグラウンドを作ろう」という署名活動もあるんです。だから、どこよりも早く結果を出して、JFL、J3、J2と階段を一気に上がっていけば、県や市も協力してくれるようになると思っています。

エゴを捨ててチームのためにプレーをする

――鳥取にいた時とプレースタイルは変わったところがあるの?

奥山 そうですね……。僕はドリブルが好きなんです。鳥取では「自分が自分が」っていうプレースタイルだった。青森に来て、そこは変わったような気がしますね。味方に点を取らせてやろう、と思えるようになりました。だから、得点よりもアシストの方が圧倒的に多くなっている。チームが始動した時、なかなか点が取れなかったんです。「俺が点を取りたい」という気持ちを出して僕自身空回りしていた。そんな時に、なぜか、客観的に自分自身を俯瞰(ふかん)して見られたんです。「ああ、自分が勝手にやり出したら、チームがおかしくなる」。そう感じたんです。あいつらが点を取りたがっているなら、僕はパッサーに徹しようじゃないか。そう考えられるようになりました。もし僕が若かったら、「お前らじゃ点を取れないから、僕が行くよ」ってガツガツしていたらチームはバラバラになっていたかもしれない。

――奥山くんのポジションは上下の運動量が求められる。特に、守備に関しては重要な役割があるよね。

奥山 僕は、ディフェンスが嫌いってわけじゃないんです。嫌いってわけじゃないと言ったのは、鳥取にいた時に、監督からディフェンス面に難があると言われたからで、そういう風に見られていた。だから試合で使われなかったと僕は解釈している。でも、使ってもらったらやれる、という自信は当時あったんですけど。僕は攻撃が好きで、攻めている際に、味方がボールを奪われたらすぐに戻って切り替えを早くする。そこは自分の課題だと思っています。

――サッカー選手が現役でプレーできる時間は限られている。奥山くん自身、青森が最後の戦いの場所だという考えがあるの?

奥山 いやあ、それはもう、その通りというか、年齢的にもラストチャレンジだと思っています。青森で行けるところまで行く。そう言えば、この間、こんなことがあったんですよ。若手が住んでいる寮というか一軒家で何人かがシェアして住んでいる場所があって、そこにちょっと寄ったんです。そうしたら、近所のおばあちゃんが、「この間TVで見たよ」と言ってくれて。頑張って結果を出せば、見てくれている人がいるんだ、とあらためて実感したんです。サッカーをやらせてもらえる場所を与えてくれたこのチームに、僕はとても感謝しているんです。

水戸戦の後、ロッカールームの中で

試合に敗れた奥山の顔は、敗者の表情ではなかった。悔しさが込み上げてくる感情を抑えながら、チームがどのように明日へ歩むべきなのかを知って、確信をつかみ取った自信に溢(あふ)れた表情だった。

「自分たちがやれる最大限全てを出し切っての結果だと思います。だから、チームの課題がすごくはっきりしました。もう、チームとしてやることが、次の段階に行くにはどうすればいいのかが分かった試合でした」

――奥山くんのプレーは自分自身ではどうだった。

奥山 前半からいつもよりは飛ばしていましたね。僕自身、そうした感覚を持ってプレーしていました。前半、相手が中に切り込んでプレーしてきたので、僕が中に絞ってプレーさせられた分、けっこう動きは忙しかったですね。引いてばかりいると逆に得点を与えてしまう、と思ったので、行ける時は積極的に前に出て行こうと考えていた。だから、いつもよりも運動量は多くて、後半は、ちょっとしんどかったですね。水戸は切り替えが早かったので、うちがボールをうまくつなげなかった場面があったんです。それは、選手の場数の問題というか、経験値の差でしかないと思いました。シンプルにクリアすればいいところを無理につないで、その結果焦ってボールを失う。それも、経験していけば解決する課題なんですよね。だからこそ、チームは勝ち続けてJFLに行って、1つでも高いレベルで試合をしていかないといけないんです。

――水戸よりも青森の方が優れているという点は何があった?

奥山 やっぱりハードワークの部分です。ボールへの執着心とか。シュートがポストに当たってはじかれた場面があったんですが、思いっきりの良さは、相手よりはあると思いました。

――上のカテゴリーを目指すための今後の課題は何?

奥山 ビルドアップに関することですね。相手の攻撃をシャットアウトした時に、ディフェンスがすぐにボールを前に出すのではなく、近くにいる選手とトライアングルでボールを回して、追いかけてくる相手の圧力を逃がす。そこからビルドアップを開始するという形が作れれば、自分たちがボールを持っている時間を長くなり、効率の良い点の取り方ができるようになる。

――この試合に対して、奥山くんはチームメイトになんて声を掛けたの?

奥山 しっかり対応していこう。俺らは失うものはない。いつもやっていないことをやって、もったいない失点だけはやめようよ。少しずつ成長しながらやろう、と言いました。

奥山が伝えた「少しずつ成長しながらやろう」という言葉が、ラインメール青森の現状を言い当てている。少しずつだけれども、1歩1歩、確実に力をつけていく。経験値を増やして実力をつける。簡単に手に入れられるものは、簡単に手放してしまえる。本当に大切なものは、簡単に手には入らない。たとえ、本当に大切なものがある、ということが幻想の産物だとしても、人は本当に大切なものがあると信じてしか前へは進めないのだ。

奥山は確かに、試合中に笑っていた。

それは、人が何かに気付いて、何かを始めることには、遅すぎることはない、と確信したから笑ったのだった。

彼が、何に確信をしたのか?

もちろん、自分自身が成長しているということに確信したのだ。

川本梅花

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