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川本梅花 フットボールタクティクス

【言葉のパス】第3回:異国の地で取り戻した原点―シンガポールでサッカーと向き合った新井健二―

第3回:異国の地で取り戻した原点
―シンガポールでサッカーと向き合った新井健二―

プロローグ

本サイト「川本梅花 フットボールタクティクス」で守備戦術の解説やセンターバックの心理面にも言及してくれている、新井健二の物語をお届けします。

新井と初めて会ったのは、いまから7年前のこと。私は彼から、渋谷のファミリーレストランで話をうかがった。新井を紹介してくれたのは、現在、水戸ホーリーホックにいる西村卓朗強化部長である。西村強化部長が現役選手だった時、シンガポールのクラブへ移籍を考え、シンガポールに短期間滞在していた際に、案内役をしていたのが新井だった、と聞かされていた。

私は新井に、一度、西村強化部長のプレーについて尋ねたことがある。

「新井くんは、シンガポールで卓朗と一緒に練習したの?」

「はい、西村さんのパスを受けましたよ」

と、新井は答える。

「どうだった? ボールを受けた印象は?」

私がそう聞くと、彼はすぐに返事をする。

「僕は、いろいろな国の選手のパスを受けています。シンガポールに来てから、イギリスや中東、南米の選手たちとサッカーをやっています。そうした中で、パス交換をしただけで、パスの威力やボールの軌道によって、その選手がどのレベルにあるのか、すぐに分かるようになりました。卓朗さんのパスは『ああ、Jリーガーのパスだな』とすぐに分かりました。蹴られたボールが生きている、というか」

私は、新井のこの感想を聞いて、「表現が分かりやすくて面白い」と思った。同時に、「サッカー解説の切り口も面白いかも」と感じた。

新井には、日本代表の守備に関する取材に答えてもらっている。今回は、8月31日に行われるW杯アジア予選のオーストラリア代表戦を前に、6月13日に1-1で引き分けたイラク代表戦を語ってもらった。そこでも、非常に面白い視点がある。読者の皆さまにはまず、新井健二がどんな選手であったのかを知ってもらいたい。そのために、このノンフィクションを掲載することにした。

どうかお読みください。

解雇かシンガポール行きか

アルビレックス新潟に加入していた新井健二は、プロ生活3年目を終えようとしていた。新潟在籍中、彼のリーグ戦の成績は、1年目は20試合に出場したが、2年目は2試合、3年目は4試合。しかも、ほとんどが途中出場だった。新潟から解雇通告をされても不思議ではない状況にあった。しかし、実際にクラブハウスに呼ばれてクビを告げられた時は、目の前が真っ暗になってしまった。

「これから何をすればいいんだ」

と新井は、途方に暮れる。

第二の人生の設計図は全く描いていなかった。「お世話になりました」と最後の挨拶をしようとした。その際に、クラブ側から1つの提案が出される。

「シンガポールに行ってみないか?」

「え?! シンガポールですか?」

「ああ。アルビレックス新潟シンガポールというクラブを立ち上げるから、そこにレンタル移籍という形でキャプテンをやって現役を続けてみてはどうだろう。もちろん、現地で活躍すれば日本に戻ってプレーできるチャンスもある」

「分かりました。少し考えさせてください」

そう言って新井は、クラブ側の提案をいったん持ち帰ることにした。

新井はその日の夜に、大学時代の恩師の秋山隆之(現新潟医療福祉大学サッカー部部長)に電話をしている。秋山は、ジェフユナイテッド市原・千葉の強化部にいて、立正大学監督だった。新井がプロになれたのも秋山が大学で彼にサッカーのイロハをたたき込んだからだ。そして、新潟のスカウトに新井を推薦したのも秋山だった。

「(新潟の契約が)ダメになってしまいました」

と新井は、か細い声で話し出す。

「そうか、お疲れさま」

秋山のいたわる声が返ってくる。

「でも、シンガポール行きの話があるんですけど、どうしようか迷っています」

2人の間に少しだけ沈黙があった。秋山は静かに話を切り出した。

「その話は、自分にとっていいオファーだと思って受けたらいい。今後の道は自分で決めていかないといけないからね。海外移籍という話があるんだったら、チャレンジしてみたらどうだろうか」

電話を切ってから「どうしようか」と、しばらく考える。新井は、新潟で味わった自分のふがいなさをかみしめた。それと同時に、秋山が助言してくれた、「チャレンジ」という言葉が頭を駆け巡る。

「『クラブからシンガポールはどうか?』と言われて、最初は、がっかりしたんです。でも、向こうで活躍したらJリーグの新潟に戻れるかもしれないという話をされて、秋山さんにも『チャレンジしてみたら』と言われたので、迷ったあげくシンガポールに行く決断をしました」

このような決断をするまでの新井は、いったいどんな経験を積んで、どんな生活を送ってきたのだろうか? それは新井がシンガポールに渡ってやってきたこととは逆のことだと言ってもいい。新井がプロのサッカー選手だと自分自身が自覚を持つまでには、日本で彼は、どうであったのかを語らないわけには行かない。

プロの洗礼。たった一度のミスがトラウマに

開幕試合のスターティングメンバーを告げられたのは2日前だった。ミーティングルームのホワイトボードに書かれたメンバー表は、大きな紙で覆い隠されている。コーチがその紙をめくった時に、センターバック(CB)の場所に新井健二と記された自分の名前を見つける。

「頑張るしかない」という意気込みと同時に、「なんとかなるだろう」という割り切った気持ちが交差した。新井は、立正大学を卒業して2001年に、当時J2のアルビレックス新潟に加入する。当時の監督は反町康治(現松本山雅FC監督)だった。反町は、大学を卒業したばかりのルーキーを開幕試合でいきなりスタメンに起用する。新井は、反町の期待に応えてルーキーらしからぬ落ち着いたプレーで新潟のディフェンスの要になりつつあった。

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