川本梅花 フットボールタクティクス

【無料記事】サッカーを観ること。それは「生きること」そのもの…【コラム】映画「シーズンチケット」を見て

映画「シーズンチケット」を見て

事務職に従事する人のことを「ホワイトカラー」、現場で作業する人のことを「ブルーカラー」と呼ぶが、この映画は、イギリスの「ブルーカラー」を題材にしている。主人公たちの生きざまは、決して反体制的な反抗ではない。それは「反逆」というよりも、サッカーを観ることが「生きること」そのものと呼ぶべきだろう。

映画のプロット

主人公は、15歳の少年2人。ニューカッスル・ユナイテッドFCのシーズンチケットを手に入れようと、時には悪事に手を染める彼らが、悪戦苦闘する姿を描く。父親の家庭内暴力が原因で離散した家族の中にいる少年。おじいさんと2人暮らしで貧しい家の少年。こうした恵まれない家庭環境を吹き飛ばすものが、ニューカッスルの存在だった。悪童と呼ばれる少年たちの、繊細な心を映し出す青春映画。

安易なファウルを嫌ったアラン シアラー

監督のマーク ハーマンは、ブルーカラーたちがブラスバンドを結成して大会に出場するという映画『ブラス!』を撮った人。ここで取り上げる『シーズンチケット』も、ブルーカラー階級を題材にしている。さらに、ニューカッスルの中でも労働者階級の街であるウォールズエンド出身のアラン シアラー本人が出演している。シアラーはニューカッスルのセレクションに失敗し、ブラックバーンへ加入。その後、マンチェスター・ユナイテッドからのオファーを断り、ニューカッスルに戻って活躍した地元の英雄である。また、彼はプレーヤーとして、ほとんどファウルを犯さなかった。そんなシアラーに憧れている2人の少年ジェリーとスーエルが、この映画の主人公だ。

サッカーの前では純粋になれる

この作品は、サッカーへの、クラブへの偏愛であふれている。それは冒頭の場面を見ればよく分かる。主人公2人は、暗闇のスタジアムの中で、芝生を掘り起こす盗みを働く。盗み自体は罪だ。しかし、彼らには彼らなりの理屈がある。僕らは「試合の一部になれないから、一部をいただく」のだと。当然、この行為は事件となり、「愚かなる蛮行」とか「冒涜(ぼうとく)だ」とか非難を浴びる。

次に2人が盗んだものは、練習場の駐車場に止めてあった、憧れのシアラーの自家用車だった。さすがに車泥棒は「ヤバい」と思い、2人は途中で乗り捨てる。その時に、シアラーの車を盗んだことは、「孫に聞かせる話」ができたと自慢する。彼らは全ての行為をニューカッスルへ通じる道に置き換えてしまう。

2人の少年は学校にも行かない。彼らの日常は、万引やクスリが当たり前。退廃と破滅がいつも向かい合わせにある。そんな彼らが、唯一自分たちの中で「純粋性」を保てるのがサッカーであった。だから2人の目標は、ニューカッスルの試合をスタジアムで観戦できるようになること。それも究極、1枚500ポンドの「シーズンチケット」を手に入れることだった。

屈辱を晴らすためのチケット

ある日、ジェリーがスーエルに語る。

「“フィールド・オブ・ドリームス”だ。いつか競技場で試合を見ようよ。雰囲気を味わうために早々と行ってさ。まず紅茶だ。砂糖は2つ、ミルクたっぷりでね。選手が登場したら立ち上がってクレイジーな声援を送るんだ。試合が始まったらリラックスしてさ。席に座って、ゆっくり紅茶を飲みながら観戦する。なんて最高なんだ」

どうして彼らに「シーズンチケット」が必要なのか。それは、人から「敬意」を得るためだ。家庭崩壊の中で育った2人は、どこに行ってもバカにされ続けてきた。そうした屈辱を一気に晴らす手段が、「シーズンチケット」を持ってサッカー観戦することだった。そのために彼らは、ありとあらゆる手段でお金を集めようとする。最後は銀行強盗までやらかそうとする。

私が、この映画で一番好きな場面は、ジェリーの独白シーンだ。彼は2週間だけ学校に行けばサッカーチケットをもらえると説得されて登校する。ある日の授業で、父親と初めてサッカー観戦した思い出をみんなの前で語る。しかし、この体験はジェリーのものではない。実は友人のスーエルのものだった。それを自分の体験のように語るジェリー。それは本当に切ない光景だ。人の「純粋性」の支えとなるものがサッカーであったという、この作品のテーマを象徴する、心動かされるシーンであった。

川本梅花

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