川本梅花 フットボールタクティクス

【無料記事】スポーツそのものが喜び、順位や勝ち負けは関係ない【コラム】映画「アザー・ファイナル」を見て

映画「アザー・ファイナル」を見て

映画のプロット

日韓W杯決勝戦、ブラジル対ドイツの一戦が行われた2002年6月30日に、FIFAランキング202位のアジアの小国ブータンと203位のカリブ海に浮かぶ小さな島モントセラトによる、“裏W杯決勝”と呼べる最下位決定戦があった。この作品は、その準備段階から実際の試合までを追いかけたドキュメンタリーである。商業主義の色合いが強くなったW杯とは違って、素朴さというサッカーの持つ別の側面を見せてくれる良作と言える。

FIFA世界最下位決定戦

「FIFA世界最下位決定戦」が、ヒマラヤ山中の秘境ブータンの首都ティンプーで行われた。対戦したのはブータンサッカー代表とカリブ海の島国・英領モントセラト代表であった。

ブータンは、チベット密教を国教とする仏教国で、人口は67万人。国の面積は、九州より少しだけ大きい。この国は、地理的に、北は中国とチベットに、南はインドに挟まれている。南のインド国境は熱帯ジャングルであり、海抜200メートル。北はヒマラヤ山脈がそびえ立ち、7000メートル級の山々に囲まれている。

こうした立地条件の場所にサッカーをするためにやって来たのが、カリブ海の小アンチル諸島に位置する火山島で(1995年にスーフリエールヒルズ山の火山噴火によって、かつての首府プリマスは壊滅。現在はブレイズに臨時政庁が置かれている)、15世紀にかのコロンブスによって発見された人口9000人のモントセラトであった。

サッカーの母国による植民地化

両国は、大英帝国と深い関わりを持つ。まずブータンの方は、18世紀に他国侵攻を進めるイギリスと衝突する。1773年にクチビハール王国が、続いて1826年にアッサムがイギリスの支配下に入った。さらに1864年に、ドゥアール地方の領土をめぐってイギリスとブータンは戦争になる(ドゥアール戦争と呼ばれる)。

敗北したブータンは翌年、年間5万ルピーの補助金を受け取ることと引き換えに、ドゥアール地方の支配権を放棄し、外交面ではイギリスに委ねることになった。ブータンとイギリスのこうした関係は、20世紀になってブータンにさまざまな変化をもたらし、今年、絶対君主制から立憲君主制へと移行する運びである。

一方、モントセラトは、1625年にチャールズ1世が植民地開拓の特許をイギリスに与えたことから侵略対象領土となる。1632年にセントキッツ島にから来たイギリス人プロテスタント入植者たちによって本格的にイギリスの植民地となった。その後、1782年にアメリカ独立戦争によってフランスが一時占領する。しかし再び、1962年にイギリスの植民地となり現在に至る。

対決のキッカケはオランダ敗退

両国へのサッカーの伝播は、当然、イギリスにその源を置く。ブータンのサッカーは、インドへの留学生が自国に持ち帰ったものである。モントセラトへは、イギリス海軍によってもたらされている。このようなイギリスとの歴史を持つ両国が、最下位決定戦を行うことになった理由は、この映画の監督でCM畑出身のオランダ人、ヨハン クレイマーが勝手に思いついたからだという。そのキッカケは「オランダがドイツW杯予選で敗れてガッカリしたから」というものだった。

作品は、試合実現の準備段階から、実際の試合の後のトロフィー贈呈までを撮り続ける。物語は、最初から最後までハプニングの続出。例えば、試合数日前にブータンの監督が急死する。今度は同日、モントセラトの監督が内輪もめで辞任。さらに、モントセラトの選手がブータンに来る途中5回も飛行機を乗り継ぐ羽目になり、半数の選手が感染症に苦しむ。そして試合前日まで、審判も決まらない。こうしたはちゃめちゃな現実の中で、ついに物語はフィナーレを迎える。

映画の中で、何も描かれていない真っ白いサッカーボールが常に登場する。その球体は、時に道を転がり、時に誰かに蹴られる。監督は、この白いボールをある象徴的な意味で映し出す。おそらく真っ白な球体は、「虚飾されていないサッカーステージ」を象徴しているのだろう。虚飾とは、内容を伴わない、うわべだけの飾りを指す。

ある場面でブータンの大臣が「スポーツそのものが喜びなのです。最下位だろうが関係ない。大切なのは勝ち負けではない。2つの国が理解をし合い、ともに敬意を抱き友情を深めることが一番大切なこと」と静かに語り続ける。悟りを知った修行者のような彼の言葉は、素朴で純粋性を備えたサッカーの本質を言い表している。それこそが、この作品のメッセージに他ならないのだ。

川本梅花

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