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【ノンフィクション】初めて味わう“心が萎える”感覚【無料記事】川本梅花アーカイブ #冨田大介 2007年シーズン #大宮アルディージャ での苦闘

冨田大介、2007年シーズン大宮アルディージャでの苦闘

記者席で試合を見ていた時、ふと、自分から見たら右の方向に懐かしい顔が見えた。「ああそうか」と、彼がなぜこの場所にいるのかをすぐに察知する。強化部長の西村卓朗の誘いがあったから、彼をこのチームで見ることができたんだ、と推測したのだった。彼と西村強化部長は、同い年で同じチームに所属していた。そのチームは、毎年、残留争いに巻き込まれている。彼と西村強化部長は、共に体を張って知恵を絞って、難しい局面を何度も乗り越えていく。

そんな彼を、私は、久しぶりにスタジアムで見つけた。

冨田大介が、水戸ホーリーホックに再び戻ってきた。冨田の水戸への復帰はこれで三度目になる。年齢的にも、Jリーガーであることへのラストチャンスかもしれない。

ここから記す文章は、私が、冨田に対して、2007年に取材した時のものだ。なぜ、古い文章を掲載するのかと言えば、冨田大介という1人の選手を知ってほしいからである。10代、20代のサポーターは、冨田がどんな選手だったのかを知らないと思われる。もしも、そうした人々がいたのならば、ぜひ、この文章を読んで、富田の人間性やサッカー選手としての彼の資質を知ってほしいと願っている。

2007年シーズン、大宮アルディージャは残留を勝ち取った

2007年11月24日、第33節のFC東京戦を終えて、冨田大介はサポーターにあいさつしようとバックスタンド前を歩きながら、涙がとまらなかった。

https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=10275

30歳になった男性が、声を出して泣きながら歩いているのだから、チームメイトがいぶかしげに彼を見るのも、無理のないことだ。それでも、冨田は泣きやむことができない。サポーターには、自分の泣いている姿を見せたくなかったので、両手を上げてあいさつしてから、すぐにロッカールームに引き揚げようとした。

その時、彼の背後から「トミ。泣くのはまだ早いよ」と、森田浩史が声を掛ける。確かに、この日の勝利で涙するのは、まだ早かったかもしれない。FC東京戦で2-1の勝利を収めた大宮アルディージャは、最終節の川崎フロンターレ戦を前に、J1残留を“ほぼ”決めていた。

15位の大宮と、16位のサンフレッチェ広島は勝ち点差3。大宮は得失点差で上回っていたが、数字上は広島にも残留の可能性が残されてた。(両チームの得失点差は11)

2007Jリーグ ディビジョン1 順位表【第33節】

だからまだ確定ではなかったのだが、この1カ月間の精神状態を考えると、泣かずにはいられなかった。なぜならば、彼のサッカー人生の中で、本当につらく苦しい1カ月間だったからだ。彼はその場面を振り返って次のように話す。

「試合が終わった瞬間に、感極まって泣いてしまった。この1カ月間は、常に緊迫して緊張していたから、つらかった」

私は、冨田にこのように尋ねた。

「もしかしたら降格するかもしれないという感覚はありましたか?」

「確かに、ネガティブな感じはありました。不安もあった。でもまずは置かれている現実を受け入れよう。残留争いの中で、何かをやらなければいけない、と思って、4人(冨田大介、藤本主税、小林慶行、西村卓朗)で散々話し合った。絶対に残るんだ。僕はこういう状況であっても、残れると思った。僕らは『やれることはやったんだ』という感覚があったから」

「みんなで試合の前にビデオを見て、どこがいけないのか確認して。反省を踏まえて、次の段階に進むようにした。それを繰り返していったら、試合中でも、選手が具体的に声を出せるようになっていった。ここはロングボールを増やそうとか。いつもみんなで言っていたことは、絶対に僕らはJ1でやるべきチームだと。普段の会話においてもネガティブな思考や言動はやめよう。そうみんなで確認して。ゲームでは、ミスをしてもいい。それが積極的なミスならば、受け入れようと」

冨田は冷静に、あの時の感覚を蘇(よみがえ)らせながら語った。

初めて味わう“心が萎える”感覚

冨田の2007年シーズンは、チームの成績と同様に、順調な滑り出しとは言えなかった。開幕試合が始まる2週間前の2月21日、湘南ベルマーレとの練習試合後、彼はサッカーをやっていて初めて、“心が萎える”という感覚を持ってしまった。

その試合の冨田は、守備に関して自分のイメージとかけ離れたプレーをしていた。彼は、「自分のプレーのどこがマズいのか」を誰よりも分かっていた。そうした冨田に対して、ロバート前監督は、試合後にポジショニングのマズさを指摘してくる。

「そんなことは言われなくても分かっている」

そう言い返しそうになる。でも、その言葉をぐっとのみ込んだ。

冨田は、中学時代の恩師に、「お前は大学に行ってからプロになった方がいいよ」と言われた。それも、「筑波大学がいいんじゃないか」と具体的に話しをされた。その助言通りに彼は、筑波大学に行くために、高校は進学校の山口県立宇部高校に入学する。

冨田のプロ生活は、水戸ホーリーホックから始まり、「このままやっていけばJ1のクラブから声が掛かるだろう」と信じてプレーを続けていたと言う。当時、大宮の監督だった三浦俊也が、彼のプレーに目を留めて移籍を勧める。同じJ2だった大宮は、彼のイメージに、J1への昇格が最も近いチームとして映っていた。だから、彼にとっては願ってもない移籍話だったのである。

宇部高校、筑波大学、水戸、大宮と、全てとは言わないが、彼はサイドバックやセンターバックでレギュラーとしてピッチに立ってきた。それがロバート監督になってから、明らかにサブのポジションに押しやられる。だから2007年の開幕当初は、サッカー選手としての彼のプライドが、ずたずたに切り裂かれたと感じた。その結果、冨田はすっかりやる気をなくしていた。

「あれは、人から見たら“ふてくされて”という態度だった」

そう振り返る。

冨田がスタメンで初出場したのは3月31日、第4節・清水エスパルス戦からだった。

https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=10015

開幕試合から1カ月間、彼はサブとしてベンチを温めた。その間に彼は、「自分のサッカー人生」を振り返ったと言う。

「このままでいいのかよ」

「ここでやらなければ、人生がダメになる」

「でも、どうすればいいんだよ」

彼は何度も自問自答した。

「こういう状態から、ダメになった選手を何人も見てきた」

「それが、この俺にも訪れるのか」

「ああ、終わっていくってこんな感じなんだ」

こうした苦境の状態の時に、人は、どうやって抜け出すのだろうか。結局、冨田は自分の内面を誰にも相談しなかった。「とにかく自分で考えてなんとかしなければ」と、もがき苦しんでいた。彼が彼で在ることを証明するためには、“サッカー”しかない。だから練習中から、全力でプレーし続けることでしか、答えは見いだせないと考えた。

「俺は、練習でしっかりとやっている“つもり”でいたのかもしれない」

「やっている“つもり”でいたとすれば、それはただの“ポーズ”でしかない」

「サッカーをやって最初に涙した少年時代、あの頃の気持ちを呼び起こして奮起しなければ、俺の“サッカー人生”は終わってしまう」

冨田は、それだけ自分を追い込んでいった。

藤本主税、小林慶行、西村卓朗の存在

大宮の2007年の初勝利は、4月14日の第6節・名古屋グランパスエイト戦だった。

https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=10030

その試合で彼はセンターバックとしてスタメンに名前を連ねた。

「ここでやるしかない」

そう心に誓ってピッチに出ていった。

試合後のロッカールームで、ロバート監督は「冨田は、練習中から100パーセントの力でプレーしていた。彼をスタメンで起用したのは、そうした彼の取り組み方の結果だ」と選手全員を前に語る。この試合をキッカケにして、心が萎えそうだった彼が、“なんとか持ち直した”と実感することができた。

川崎フロンターレ戦の前日、冨田は3人のチームメイトにメールをしていた。

「明日は、絶対に勝とう!」

彼がメールをした相手は、藤本主税、小林慶行、西村卓朗の3人だった。冨田を含めたこの4人の選手が、今季の大宮の選手たちをまとめて、チームを引っ張った中心的な存在であると言えるだろう。

実は、彼らは同学年、同じ年だ。30歳といえば、社会的にはまだ若いかもしれないが、サッカー選手としてはプレーに安定感を期待される年代だ。彼ら同期が、来季も同じようにピッチに立って、チームを活性化させるためには、いまよりもダイナミックであらなければならない。それには、自分のプレーの視野を広くして、よりアグレッシブに戦う必要がある。つまり、“ファイター”としての要素も求められてくる。

以前、中学時代の恩師がこんなことを冨田に話してくれたと言う。

「中山(雅史=ジュビロ磐田)とかは、30歳を過ぎてもサッカーがうまくなっている。だから、お前ならもっとできるはずだ」

冨田も、「これからも、自分がもっとうまくなれると信じている」と語る。そして、恩師は彼に二つの言葉を伝えてくれた。

「人に向上心を与えるような言葉を話せ」

「気持ちで戦う選手になれ」

2009年シーズンを迎えている冨田大介は、この時の経験を糧に恩師のその言葉に十分にかなう選手になった。

https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=3405

川本梅花

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