川本梅花 フットボールタクティクス

【コラム】サッカーから取り除かれるべき「不条理」【無料記事】第7話:『シジュポスの神話』とVAR

『シジュポスの神話』とVAR

サッカーから取り除かれるべき「不条理」

アジアカップで採用されるVAR

アジアサッカー連盟(AFC)は、2019年にアラブ首長国連邦(UAE)で行われるAFCアジアカップにおいて、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の採用を予定していることを発表した。

AFCのイブラヒム アル ハリファ会長は、VAR採用について次のように語っている。

「アジアのフットボールは、試合をより良いものにするため、テクノロジーを取り入れることを決めた。UAEで開催されるアジアカップの、いくつかのステージにおいてVARの導入を検討している」

AFCアジアカップは2019年1月5日から2月1日に掛けてUAEで開催される。日本代表はウズベキスタン代表、オマーン代表、トルクメニスタン代表と同組のグループFに入っている。

このコラムで筆者が述べたいことは、Jリーグにおいても早急にVARを取り入れるべきである、ということだ。

不条理を哲学に昇華させた『シジュポスの神話』

私たちが生きているこの世の中で、私たち自身、思った通りに物事が進んだことが、どれくらいあったのかを思い巡らしてみるとよい。

「ああすれば良かった」

「こっちの選択をしていれば」

「こんな風になるとは思わなかった」

私たちが過去を振り返り、いろいろと考えてみる時、どうしてもこのようなネガティブな発想をしてしまわないだろうか。

それは、なぜなのか?

答えはそんなに難しくない。

私たちが生きているこの世の中が、不条理という事柄に満ちあふれていると実感しているから、ネガティブな発想をしてしまうのである。

不条理は本来、「筋道が通らない(非論理)」や「道理に合わない(矛盾)」という意味だが、この言葉を哲学的な問いに昇華させたのは、フランスの文学者アルベール カミュの『シジュポスの神話』に由来している。

表題の「シジュポス」とは、ギリシア神話から取られている。ギリシアの伝説のコリントス王は、人間のうちで最もズルイとされて、神ゼウスさえ欺いた人物である。そのため彼は、神罰を受けることになる。冥府では岩を山の上に押し上げる仕事を命じられた。しかし、岩は山頂に達するたびに転げ落ちてくる。未来永劫に呻吟(しんぎん)することになる。

カミュは著書の中で「不条理とは本質的な観念であり、第一の真理である」と語る。コリントス王が、山頂に岩を運んでいくが、そのたびに、岩は転げ落ちてきて、岩を抑えないといけなくなる。その繰り返しを、カミュは不条理と捉えて第一の真理とみなす。

ギリシア神話からヒントを得たカミュのこの作品に、いくつもの解釈が成り立つ。1つの解釈として、山頂まで岩を運んでも、繰り返して岩を抑えなければならないことに対するコリントス王の思いを取り上げることができる。岩を抑えなければいけない行為を不公平に感じるのか、それとも自分に課せられた使命だと思うのか。

いずれにせよ、それを不公平だと捉えても使命だと捉えても、答えは変わらない。つまり、不公平だと感じるのは使命を求めているからであり、使命だと感じるのは不公平から脱却したいと求めていたからである。それが意識的なのか無意識的なのかは問題ではない。「不条理とは本質的な観念であり」なおかつ「第一の真理である」からだ。つまり、どんな条件や状況があったとしても、「第一の真理である」ので不変なのである。

私たちがこの世界の、さまざまな物語を不条理だと感じる時、それは、ある人には不公平だと思うことと、ある人には使命だと思うことがあって、それらの対立があるから不条理が存在していると私たちが捉えられるのである。

カミュが作品で掲げた「不条理」は、最終的な結論として、「神」によって与えられた事象であるとされる。「不条理」が、人によっては「苦しみ」と感じられる場合、その「苦しみ」を鈍感にさせる特効薬として人は、神の名前を持ち出して良薬としてきた。「神」は、人に意味のない「苦しみ」を与えることはない。「神」が与えたこの「不条理」な物語は、きっと何かの意味があるはずだ。そうした考え方が存在しているから、自分に降りかかった「不条理」を、人は納得させてきたのである。

サッカーを巡る、さまざまなテクノロジー

2018FIFAワールドカップ ロシアが終わった。このW杯で初めて採用されたVARは、サッカーの試合の中で見られるいくつかの「不条理」を解決する手段になった。

ただし、VAR導入にはいろいろな意見が事実としてある。

優勝国のフランスに対して、アルゼンチンのオレ紙は「フランスがチャンピオンになれたのは、VARが存在したためだ」と述べている。また、ニューヨークタイムズ紙では、クロアチア代表のズラトコ ダリッチ監督はコメントを載せている。

「VARを重んずるが、自分たちの願ったようになれば、それは良いこと。望んだようにならなければ、それは悪いことだ」

次に、欧州主要リーグにおけるVAR使用に関しての動きを見てみよう。

ドイツのブンデスリーガは、2017-2018シーズン、8月18日のバイエルン対レバークーゼンでVARを初使用する。また、イタリアのセリアAでは、2017-2018シーズンのセリエA全試合でのオンライン・テスト実施を決定する。イタリアでのVAR導入は、審判団からの強い要望だったようだ。

さらにスペインのリーガでは、2018-2019シーズンからのVAR制度導入が確定した。そして、イングランドのプレミアリーグは、クラブ投票を実施して来シーズンのリーグ戦にはVARをテスト導入しないことにした。

またベルギーなどの国のクラブは、VARを導入するには大規模な予算が必要で、自重する国がいくつもある。しかし、サッカーへのテクノロジー導入による、審判補助システムでの判定の流れは避けられそうにない。

VARの他に、ボールがゴールラインの内側か外側かを判定するゴールライン・テクノロジー(GLT)や、数センチ単位でオフサイドかどうかを判定するバーチャル・オフサイドライン・テクノロジーの導入も検討されている。

「不条理」は取り除かれるべきである

欧州サッカー界の流れとして、VARの設置は義務化されることになる、と予測される。では、日本のJリーグではどうだろうか。おそらく、欧州の動向を追うことになる。

VAR投入のデメリットとして、当然、経費の問題が挙げられる。VARを行うための設備投資をしなければならない。また、審判団は講習を受けて、VARの適用法を学ぶ必要がある。確かに、いくつかのデメリットが考えられる。

それでも筆者は、VARの導入を求めたい。なぜならば、VARで確認して解決されることの中に、「不条理」への対策が見られるだろうからである。その対象は、「得点の場面」「PKかどうかの場面」「退場のプレー」「プレーヤーの違い」である。

これらの4点は、Jリーグの中で見られた主審のジャッジにあった項目である。言い換えれば、主審が下した「不条理」な判定の中に見られた項目であると言える。テクノロジーの導入によって、少しでも「不条理」が取り払われるならば、すぐにもVARを導入するべきあろう。サッカーには、「神」によって与えられた「不条理」は、あってはならない、と筆者は考える。

川本梅花

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