川本梅花 フットボールタクティクス

【コラム】J1第34節 #柏レイソル 対 #ガンバ大阪 【無料記事】取材は #三協フロンテア柏スタジアム より

取材は 三協フロンテア柏スタジアム より

太陽の光が眩しすぎてピッチの試合が見られない。帽子のバイザーのように両手を額に当てて光を遮断する。12月だというのに、あまり経験したことのない暖かさだ。薄いダウンジャケットを着ていたのだが、少し汗ばんでいる。14時キックオフの明治安田生命J1リーグ第34節、今季の最終節は、冬の訪れを感じさせない気候の中、土曜日の午後の日差しの下で試合が始まった。

その日の早朝に、携帯電話にメッセージが入っていた。青森県にある特別養護老人ホームにいる母の担当者からの連絡だった。

「こちらは例年になく暖かい12月を過ごしています。雪はまだ降っていません」

母は、父が癌で亡くなった年に、施設に入っている。あれからもう3年になる。母は父が亡くなったことを知らない。なぜならば、脳梗塞で倒れてから、ずっと寝たきりになっているからだ。食事は鼻から与えられ、言葉を話せない。正確に言えば、オノマトペのような声を発する。おそらく、1歳児にも満たない思考回路なのだろう。

母の担当者のメッセージを読んで、もうすぐに年が明けて正月を迎えるのだと実感する。帰省しなければ。そう思ってはいるのだが、実家は地元の漁師の家族に貸しているから、僕が戻る場所はない。母と会ったとしても、僕だと認識さえできないのだから、顔を見たとしても余計につらくなる。

顔を洗って出掛ける準備は整っていた。でも、なんとなくソファに座った腰が持ち上がらない。どうしようか。試合のパスは申請してもらったから、僕がスタジアムに行くだけなのだが、気持ちが切り替わらない。

J1の最終節に柏レイソルの試合を選んだのは、大谷秀和に話を聞きたかったからだ。大谷とは、田中順也(ヴィッセル神戸)の連載記事を『サッカー批評』(双葉社)に掲載していた時に取材して以来、試合後の「ぶら下がり」で必ず話を聞いている。彼との話題は「戦術」がメインで、「具体的に」と僕が言うと、「そこは手の内を明かすことになるので」と返される。「じゃあ、具体的にはこう言うことかな」と聞き返せば、「誰がとか、選手のことではなくて」とヒントを与えてくれる。ピッチの指揮官と言えるほどに、戦い方に熟知している選手だ。

そういえば順也は「大谷が出ていた記事を読んでいない」と言っていた。「読むのが怖い」とも言っていた。自分が大谷にどのように写っているのかを聞くのが怖いから読まない、という意味だったのだろう。

とにかく試合後に大谷に話を聞くのは、今日が最後の日だと思い起こして、僕はスタジアムに向かうために家を出た。

試合は、攻撃的な柏レイソルのスタイルが出ていて見応えがあった。ただし、これは大谷と話したのだが、残留できなかったという結果が出た後の試合だったから、来季には参考にならないと言う見解だ。選手はリラックスして思い切りチャレンジしていた。もしもこれが、残留できるかどうかの瀬戸際の試合だったならば、同じようなプレーができていたのかどうか。それは難しいように思えた。

この日、引退する栗澤僚一と話したのだが、前監督はミーティングが長かったとか、新監督はミーティングは短く、トレーニングの中でメッセージを送るとか、細いことを言えばキリがないけれども、監督の問題だけではなく選手がどうやって戦うのかにテーマがあった、という会話になった。つまり、選手自体も定まらない戦い方に迷ったままプレーをしていた、という意味だ。

僕は引退について栗澤に問う。

「まだやれるんじゃないの」

「そうですね。いろいろ考えたんですけど」

と返す栗澤。

「引退すると決めた理由は?」

と尋ねる。

「選手のままだと、こうやった方がいいとか、立場上、選手に言える限界があるんです。僕も選手であるという限界です」

「じゃあ、もっとこうした方がいいと思っても、監督がいてコーチがいるから、いち選手以上の発言には限界がある、ということなんだね」

「はい。そうしたことから、年齢的なことも考えて、指導者にならないと、指導者になりたい、と思ったんです」

「会社からは具体的な話はあるの?」

「まだですけど、残って指導者としてチームに貢献したいです」

と栗澤は話した。

「長い間、ご苦労さま」

と言って僕は両手を差し出して栗澤と握手する。

取材を終えて、スタジアムを背にして駅までの道を歩いていると、急に、12月の肌寒さが押し寄せてきた。

「年が明けたら一度帰省するか」

そう思って、僕はダウンジャケットのポケットに手を入れて、かじかんだ手を温めた。

川本梅花

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