川本梅花 フットボールタクティクス

【ノンフィクション】どんなに苦しいことがあっても僕らにはサッカーがある【無料記事】川本梅花アーカイブ #藤本主税 #久永辰徳 永遠のライバルにして無二の親友

再会、そして二度目の別れ

サッカーによって友情を結んだ2人は、それぞれ別の方向に走り出すことになる。1999年になって、藤本はサンフレッチェ広島に移籍する決心をする。藤本から移籍の話を聞いた久永は、「『ああ、移籍するのはすごいな』と思いましたね。僕自身は、『まだ移籍するには力が足りない』と感じていました。当時は、移籍ということ自体、なかなか認められない状況でしたから。それに僕は、自分のプレースタイルが確立していなかった。まだ、どんなプレースタイルなのか見つけられずにいた。だから『先に行かれた』と。主税は、彼のプレースタイルを見つけたんだなと思いました。プロなので、自分の力を見せるために移籍を選んだ」と語る。

藤本が移籍を決める前日に、久永に口をとがらせながら伝える。

「移籍するわ。やってられへん」

久永は、彼の言葉を受けて語りかける。

「お前は行け! 俺はまだ、こっちでやることがあるから」

福岡をあとにした藤本は、それから、2003年に名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)に移り、2004年にはヴィッセル神戸、2005年に大宮アルディージャに加入する。ここで藤本と久永の友情の糸は、再び大宮で結び合わさる。藤本より先に、久永が2004年に福岡から大宮に期限付き移籍していたのだ。

藤本は、電話で移籍の話を切り出した。

「ちょっと、大宮から移籍の話がきたんだけど……」

「来いよ!一緒にやろうよ。クラブは、J2からJ1に上がるから、お前みたいなプロ意識があるヤツがきたらクラブは強くなるから」

そう言って久永は、藤本の加入を歓迎した。

「再会した時は、お互いにもう独身じゃなかったけど、サッカーに対する気持ちは何も変わっていなかった。大宮で最初に一緒にプレーした時に、『お前、そんな選手だったっけ』と主税が話してきたんです。あの頃の大宮は、監督の三浦(俊也)さんがゾーンディフェンスを採用していたので、僕は中盤の守備の技術を学んでいました。『こんなに守備、うまかったっけ』と主税が言うんですよ。コースの切り方。ボールの追い込み方。プレッシャーの掛け方。全て体に染み付いていました。だから、主税には守備のアドバイスをしました。彼は、僕の話をすんなり聞いてやっていました。1日でも早く三浦さんのスタイルを習得しようとしていたんです」

大宮での2人の共演は、2006年の改修工事を目に前に控えた大宮公園サッカー場だった。対戦相手はガンバ大阪。0-0で押し込まれていた大宮だったが、藤本のセンタリングを久永がヘディングで決めて勝利を収める。

試合後に、グラウンドの上で2人の最後の会話がある。

勝利の歓喜の中、藤本が近づいてくる。

「やったな!」

「んん。あそこにクロスがくると思ったよ。(DFの)宮本(恒靖)の癖も知ってたからな」

「そやろ」

そう言って藤本は満面の笑みを浮かべた。

期限付き移籍の期間が満了して、久永は福岡に戻ることになる。

「さびしいな。完全移籍せんのか?」

藤本が久永との別れを惜しむ。

「福岡には、思い出とか愛着とかあるからな」

「お前は、J1の選手や。J2に行くのもったいないわ」

「ああ、2年目に完全移籍の話をくれたけど決断できなかったんよ。3年目になる来季は『お金が払えない』と監督の佐久間(悟)さんが言ってきた。やっぱり、福岡という土地が頭を離れないんだよ。最後は、福岡で終われればいいなと思っているんだ」

「最後?まだまだ先の話やな」

そう話した藤本はこの時、久永が数年後に現役を引退するとは思ってもいなかった。

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