川本梅花 フットボールタクティクス

【ノンフィクション】アキレス腱断裂から復帰して得たもの【無料記事】川本梅花アーカイブ #榎本達也

絶対にこれで終わりたくない

榎本はすぐに病院に搬送された。診断の結果はアキレス腱断裂。その日の夕方に手術が行われた。手術は成功したものの、6週間の入院と長期のリハビリ生活が待っていた。それは想像を絶する過酷な日々で、復帰までの道のりは1年近くを要するだろうと思われ、サッカー選手として復帰できるかも分からなかった。

手術から数日後、足首にギプスをはめられ、ベッドであおむけになって病室の天井を眺めていると、携帯電話の着信音が鳴る。発信者は、昨季まで在籍していた神戸のGKコーチ・武田治郎だった。

「治郎さん」

榎本が名前を呼ぶと武田はやさしく語りかける。

「いいか、今回のケガは『休め』ということだからな。ゆっくり休むんだぞ」

「はい」と答えた榎本は、武田の声を聞いて「このまま終わりたくない」という感情が沸き出てきた。

「絶対にこれで終わりたくないと思いました。サッカーを終えるのが嫌だというよりも、こんなケガでサッカーを終えたくない。ケガでサッカーを辞めるというのが嫌だった。『ケガをしたからサッカーを辞めたんだ』という思いだけは残したくなかった。だから絶対に復活してやろう。何がなんでもピッチに立ってやろうと自分に誓いました」

ケガと戦う意志を駆り立たせたのは、電話の相手が武田だったからだろう。榎本にとって武田は、人生観を一変させてくれた心の恩師だった。

マリノス時代・サブメンバーの屈辱

榎本は横浜・F・マリノスを契約満了になって神戸に移籍してきた。そこでGKコーチをしていたのが武田だった。武田と出会う前の榎本は、1人の人間として、自分の生き方や物事に対する考え方が正しいのかどうか思い悩んでいた。それは、彼が横浜FMを退団した経緯に関係している。

「横浜FMを辞めることになったキッカケは、監督と折り合いが付かなかったからです。いま考えると、僕もまだ青かったというか、人としての器が小さかった部分があったと思います」

そう語る榎本は、移籍に至った出来事を静かに説明する。

当時の横浜FMは、水沼貴史が監督を務めていた。水沼は榎本をレギュラーから外してそれまで控えだったGKを試合に起用する。GKというポジションは、いったん試合に出られなくなったなら、すぐに出場機会を与えられるポジションではない。チームが試合に勝ち続けていた場合は、チーム状態の良い流れを切ることを恐れ、監督はスタメンの変更を嫌う。特にGKはレギュラーがケガする以外、なかなかチェンジされないポジションだ。榎本も、そうしたチーム事情は十分に理解していた。しかし、プロの選手ならば誰でもそうだが、頭では理解はしていても、納得して自分の現状を受け入れることは難しい。榎本はレギュラーになる前は、川口能活がイングランドのポーツマスに移籍するまでの5年間、第2のGKとして苦汁を舐めてきた。たとえ川口のコンディションが良くない時でも、川口が試合に使われた。川口の経験がもたらす信頼感を、榎本は上回ることができなかった。川口が移籍して、やっとレギュラーポジションを手に入れた榎本にとって、サブメンバーでいることは屈辱であったに違いない。

榎本は、たとえ試合に出られなくなっても、練習では決して手を抜かず、技術向上に真剣に取り組んでいた。そうした状況の中で、1つの事件が起こった。

ある日の練習中に、榎本の目には、全体の雰囲気が遊び感覚で練習をしているように映った。そうした雰囲気の中で練習しなければならない自分の立場に耐えられなくなる。試合に出られないイライラに加え、真剣に練習に取り組んでいるのに認めてもらえないことに、腹立たしい思いがつのってきた。彼は、練習を途中で止めてクラブハウスに無言で戻ってしまった。榎本の背後から監督の呼び止める声がする。

「おい、エノ(榎本)、怒って帰るんじゃないよ」

榎本は、監督の言葉が、どこか人をちゃかしているように感じられてしまう。その日、2人の間で、そうしたやり取りが3回ほどあった。

「僕が頭に来て、監督という立場を無視してシャットアウトしてしまった」

2人のやり取りを見ていたチームメイトの清水範久が、すぐに榎本へ助言した。「あれはまずいだろう。謝るのはしゃくに障るかもしれないけど、お前が大人になって、明日の朝、謝ってこい。今回のことで試合にも出られないかもしれないし、ベンチからも外されるかもしれないけど、それはしょうがないだろう。お前が謝って『もう、しこりはありません』と監督に言った方がお前のためにもいいだろう」

榎本は1日考えて、翌日の朝「謝るだけ謝ろう」と思って監督室へ謝罪に行った。しかしチームにとって絶対的な存在である監督に反抗した、彼の態度は許されることはなく、その後ベンチからも完全に外されてしまう。

10月になって彼の代理人がクラブから呼ばれる。クラブは「来年は戦力に入ってない」と告げ、代理人は「早めに(移籍先を探して)動くことにするわ」と榎本に伝える。

「代理人からクラブの意志を聞いて、僕として後悔はなかったです。ただ最初に話を耳にした時は、マリノスで10年間プレーしてきて、タイトルを獲得した時にも貢献しているので、もしかしたら、ちょっとくらい引き留めてくれるのでは」と淡い期待を抱く。妻の律子にも、「もし引き留められたらどうする?」と話す。
12月の話し合いで、クラブは「2番手のGKになって試合に出られないのはお前の本意ではないだろう。クラブとして来年は戦力と考えていないからどこかチームを探してくれ」と話される。家に帰って、妻にマリノスからの宣告を伝えると、「じゃあいいじゃない。これですっきりして出ていけるね」と明るい声で励まされた。

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