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【ノンフィクション】アキレス腱断裂から復帰して得たもの【無料記事】川本梅花アーカイブ #榎本達也

人として歩くためのリハビリ

神戸からの退団を前に、榎本へオファーが届く。J1昇格を目指して補強に力を入れていた徳島ヴォルティスである。彼は、気持ちも心も一新しようと喜んで徳島への加入を承諾した。しかし、J2開幕戦を控えた2週間前、榎本はPSMでアキレス腱を断裂してしまう。復帰するまでのリハビリは、いままでに彼が経験したことのない辛さを味わうことになる。それは自分自身との壮絶な戦いでもあった。

「膝をケガしている人だったら足を付けるじゃないですか。びっこを引きながらでも、膝の曲げ伸ばしができて、リハビリをどうするかという話になると思います。でもアキレス腱を切ったら、腱がしっかりするまでは歩くこともできない。体重を掛けるのも、最初は体重の4分の1、その後は体重の3分の1と、だんだん体重を掛けることが始まりとなります。だから最初からは歩けない。生活していても松葉杖しか使えない。足も地面に着けてはいけない。ちょっとずつ体重を掛けていくのですが、微々たるものです。自分の中では前進、1歩前進という感じですが、装具を外して歩く時には、歩こうとしても力が入らなかった。スポーツ選手のリハビリではなくて、人として歩くためのリハビリなんですよ」

アキレス腱断裂とは、30歳以降のスポーツ外傷として頻度の高いものである。発症原因として、3つの要因が考えられている。

  1. 腱への直接の外力
  2. 腱を無理に伸ばそうとする力
  3. 腓腹筋(ふくらはぎの筋肉)の強い自動収縮

3番目に挙げた原因が大多数を占める。また腱断裂は3分の1がウオーミングアップ不足で発生すると言われているが、残りの3分の2は受傷以前からのアキレス腱痛、腱の変性が原因と考えられている。榎本の場合、体のケアには特別に気を配っていたので、ウオーミングアップ不足は考えにくい。つまり本人に自覚があったかどうかに関わらず、受傷以前からアキレス腱に異常があったと想像できる。

6週間の病院生活、できる範囲で腕立てや上半身の強化を行っている。だが、それは気休めにしかならない。健常者としてプレーしていたイメージとケガを負った彼の姿は、あまりにもかけ離れていた。「元通りに動けるのか」という不安な現実を見せつけられるだけだった。「絶対に帰ってこられるか?」と自分に問いかけても、返答が絶対に返ってこない状況。「絶対に大丈夫だから」と誰も言える状態ではなかった。

ある日、妻の律子は、病室で上半身の強化に必至に取り組んでいた榎本の姿を見ると、余計に切なくなった。「ケガはしょうがないよね。でもなんでだろうね。こうも続くかね」とぽつりと呟いた。2010年5月11日、Jリーグヤマザキナビスコカップ・グループステージ第2節・浦和戦で受傷。加古川市内の病院に運ばれ、診断結果は中心性頸髄損傷(不全型)だった。すぐに手術が行われたものの、全治2カ月のケガを負ってしまう。その年のシーズン終了前に、クラブから解雇される。サッカーができる新天地を求めて、徳島にやってきた。「よし、これからこのクラブに恩返しをしよう」という矢先にアキレス腱断裂で長期離脱。チームに貢献できない時間が長く続く。入院中のリハビリを終えても、それからまたピッチに立てるまでのリハビリが待っている。もはや自分のイメージ通りに体が動かせるかも分からない。「こうも続くかね」と言った後で、妻は「でも、そんなの気にしていても、しょうがないからね。しっかりリハビリして戻るしかないよ」と言葉を掛けた。

榎本がピッチに立って練習を再開したのは、7月も終わりに差し掛かった頃だった。「グラウンドに出た時は『やっとここまで来たか』という思いと『本当の意味でのキツさは、ここから始まるのだろうな』という思い」が交差した。

最初はバランスよく歩くことに1カ月半を費やした。びっこを引きながら、ゆっくりゆっくりと、歩けるようになるまで反復する。普通に歩けるようになったら、次の段階で、サイドステップを試みて、そしてジャンプがどこまでできるのかを見る。最終段階は、片足のつま先立ちでジャンプができるかどうか試すのだが、その段階へ行くまで、筋力トレーニングを続けて、バランスやスピードの確認をし、前方に走るだけではなく、後方やや斜め、さらに後方にジャンプする。これら全ての動きが正常化されたと認められないと、グラウンドでチームに合流することはできない。「今日は、この動きができたけど、なんかしっくりこない」という毎日だった。

「グラウンドで最初に体を動かす時に、アキレス腱をやった瞬間のイメージが残像としてあるので、前方への動作は怖かったです。ただ、何度も同じ動作で前に行くような練習をやればやるだけ、安心感は出てきました。最初はほんと、恐怖心しかなくて。どこまでやっていいのか分からなかった。トレーナーは『いいよ。動いても大丈夫だから』と言ってくれるのですが、自分で無意識にセーブしているところがあったと思います。自分の意識の中では『100パーセントでやっているつもり』という矛盾はありました」

リハビリも最終段階を終え、ケガから復帰後、初めて練習に加わった時は「うまく行かないな」という感覚しか持てなかった。

「切る前と切った後は、体も意識も別人なんですよ。『自分が復帰したらこうやって動ける』というイメージを持っていたのですが、全く比較できない。『いかにイメージに近づけるのか』がテーマでしたが、無理なんですよ。絶対に違うなと思ってしまって、イメージした自分の動きと復帰した自分の動き、その違いを考えだしちゃうと、イライラが始まってしまうので、あまりそのことは考えずに『今日はこういうプレーがうまくできた。じゃあもっと、こういう風にしたらどうだろう』という感じで考えるようにしました」

足にはもう痛みはない。バランスも悪くない。筋力も戻ってきた。いまはもう恐怖心はない。自分でもケガをしたという意識はなくなってきた。でもフィジカル的な要素ではない部分で以前とは「何かが違う」。しかし榎本は以前の感覚との「違い」にとらわれないように、過去よりも現在、現在よりも未来に向けて、一歩一歩、前に進んでいくことを考えた。
根気よくずっとケアをしてくれたトレーナーには、「いままで見てきた中でも、むちゃくちゃ頑張っていたよ。しかもアキレス腱を切って、こんなに早く復帰するヤツは初めて見たよ」と話される。

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