川本梅花 フットボールタクティクス

【コラム】高校サッカー界の古豪である五戸高校が閉校【無料記事】『サッカーマガジン』(「サッカーの灯は消さない」文/小林健志)12月号 ベースボール・マガジン社

【コラム】『サッカーマガジン』(「サッカーの灯は消さない」文/小林健志)12月号 ベースボール・マガジン社

「サッカーの灯は消さない」

  • 注目される存在
  • 変わらぬ「五戸中心」
  • 最後まで受けた声援

文/小林健志

以下、敬称は略させてもらいます。

高校サッカー界の古豪である五戸高校が閉校

『サッカーマガジン』の目次を本屋で見ていた。p.68からp.71に「サッカーの灯は消さない」のタイトルの記事があった。文を書いたのは、サッカーライターの小林健志(@cobatake)。小林は、東北地方のサッカーを熱心に取材されている方である。記事の内容は、五戸高校の閉校によって、サッカー部の廃部が決定したことから生じた、人々のさまざまな思いを綴っている。当然、小林本人も五戸高校サッカー部の廃部について思いはあるのだろうが、抑制のきいた落ち着いた文章で書き記している中で、最後の文に彼の思いは綴られている。

幸いにして、サッカーを愛する町民の情熱は失われていない。1つの歴史の終わりが、新たな歴史の始まりとなることを願ってやまない。五戸町のサッカーの灯(ともしび)はまだ消えていない。

「希望」で終えているところに、小林の思いがあるのだろう。ぜひとも読んでもらいたい記事だ。

ところで、私が五戸高校サッカー部の廃部を知ったのは、五戸町役場の公式サイトからだった。

http://www.town.gonohe.aomori.jp/kurashi/topics/2020-0909-1426-78.html

五戸高校サッカー部最後の試合についてお知らせします。9月12日(土)、午後1時30分からひばり野公園陸上競技場において、高円宮杯アンダー18青森県リーグ大会が開催されます。この試合は、五戸町内で行われる五戸高校サッカー部最後の試合となります。強い意志と誇りを持って試合に臨む選手監督をみんなで応援しましょう。

五戸高校サッカー部は青森県だけではなく、全国のサッカー界にも貢献してきた。V・ファーレン長崎の手倉森誠監督や横浜FCの下平隆宏監督、古川毅コーチらが五戸高校サッカー部のOBにあたる。

五戸町が全国的にサッカーの町として知られる萌芽は、りんご試験場で働いていた1人のサラリーマンにあった。江渡達男というサッカー経験者が、五戸町にサッカー部をもたらしたのである。江渡は、東京農業大学蹴球部に所属。大学卒業後は、故郷の五戸に職を得て暮らしていた。1956年に五戸中学校サッカー部を作った翌年、五戸高校にサッカー部を作ろうと働きかけた人物だと言われている。

五戸高校サッカー部の初代の監督は川崎富康という。彼は、サッカー経験者ではなかった。したがって、どんな指導法がいいのか分からずに、本当に手探り状態だった。これは、五戸町の「町民」の特徴と言えばいいのか、多くの町民が川崎に協力して、町ぐるみで五戸高校サッカー部を支援した。田舎という場所は難しい社会で、何か新しいことを起こそうとする人の足を引っ張る場所でもある。表では協力する顔をしても、実際はそうではない二面性がはっきりあるのが、「田舎」という場所なのである。

いろいろ調べていくと、江渡や川崎は相当な人格者で、人徳がかなりあったようだ。そうしたことがなければ、周りの人々は協力などしない。シビアな世界が本当の「田舎」の姿である。人から人へと協力態勢が継続された結果、大きな果実として実を結んだのが、五戸高校サッカー部であるのだ。五戸町の町民の気質がサッカー部を支えたと思わせる事柄がある。部の創設者と言われる江渡達男の名前がついたサッカー杯が、いまも毎年行われいているのである。江渡のサッカーに対する愛情が、大会の名前となって意志が継承されている。

そして、五戸高校サッカー部は、1963年に全国高校サッカー選手権大会に初出場する。それは、部活創設から7年後であった。この年から、五戸高校サッカー部の歴史は作られていく。

しかし、どんなものにも終わりはやってくる。万物は永遠にその場にとどまることはない。平成元年、サッカー部が全国高校選手権の本大会に出場してから令和になった現在まで、あの舞台に返り咲くことはなかった。

過疎化の波は、青森県ではどこでも避けられない現実だ。私が通った小学校も最後は全生徒が3人となり、統合されてしまった。新しい校舎に行ってみたけれども、そこは私の記憶にない場所だった。村の人口も4000人いたが、いまでは2000人になっている。急激な過疎の波は、どんなことがあっても避けられない。

では、どうすればいいのか。現実はどうにもならないが、だからこそ「意志」しか残せないのだ。「こんなことがあって、こうだったんだ」という歴史とともに、「こうあってほしい」という意志しか残せない。そうしたつらく厳しい現実の中で、私たちは生きている。そうしたことを、あらためて感じさせる出来事と記事だった。

川本梅花

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