川本梅花 フットボールタクティクス

【無料記事】青空を誰がみられるのか(1)【サッカー小説】

【サッカー小説】青空を誰がみられるのか(1)

プロット

主人公は香月陽翔(かずき ようしょう)。J1リーグのシエロアスール東京に加入。前所属のフゴール東京ではキャプテンを務める。監督と衝突してキャプテンを外される。その後同じ東京のクラブに移籍。物語は、1年後、前クラブとの対戦から始まる。

登場人物:香月陽翔(かずき ようしょう)シエロアスール東京所属

藤田 翼(ふじた つばさ)フゴール東京所属

1.「怨念」と「信愛」が交差する

「この試合でたとえ身体が壊れてしまってもいい。それで選手生命がダメになってもしょうがない」

香月陽翔は、1年前に所属していたフゴール東京戦を前にして、自分自身に何度もそう言い聞かせていた。

キックオフの笛が鳴らされる前に、両チームのスターティングメンバー全員がピッチに勢いよく出ていく。センターサークルを起点に横一列にきれいに並んだ。

香月は、あごを上げて胸を張る。スタジアムの最上段を見上げた。

「いろんなことがあったよな」

そう思った瞬間に涙が溢れ出てきそうになる。一方で、「お前な、こんなときにそんな感情に浸っている場合じゃないだろう」と、感傷的な気持ちを抑制させた。

「このスタジアムでフゴールを潰さないと気がすまない」という怨念に近い気持ち。「こんなに思い入れの深いフゴールから、なんでぼくは無礙な扱いを受けたんだ」という信愛に近い思い。フゴールに対して彼の心の中で「怨念」と「信愛」が交差する。

2.「冷静に、冷静に」と心を鎮めて

シエロアスール東京の選手たちを乗せたバスが、フゴール東京のホームスタジアムに到着する。バスを囲みにサポーターが群がってくる。

 香月は、古巣との対決に高揚した気持ちを抑えられずにいた。このときの彼の心境は、1シーズンの中の1試合という価値では計れないものがあった。彼は、2019年6月にフゴールからスポルティング千葉にレンタル移籍する。その年の末にフゴールを契約満了になる。続く2020年シーズンにはシエロアスールに完全移籍した。

文字にして移籍の経緯をこのように記したなら、選手として必要とされたので活躍の場所を移していった、というように映るかもしれない。しかし、フゴールからスポルティングにレンタル移籍した理由が、対フゴール戦への彼自身が抱えるようになった闘志と葛藤をもたらしたのである。

 スタジアムにバスが到着して、車窓から向こう側を見る。知っている顔がたくさんいる。フゴールのフロントの人。フゴールにいたときからのサポーターの人。「あっ、あの人だ」とすぐにわかった。

 そんな中で、彼は、家族や親戚と目が合った。香月の両親は、 シエロアスールで身に付けている7番のユニホームを着ている。両親に向かって軽く手を挙げる。そして、地元東京都世田谷区出身の香月の凱旋を迎えたのは、世田谷区のサッカー少年団の子どもたちが約200人と、中学生のサッカークラブの子どもたち約200人だった。合計400人の子どもたちがつめかけていた。

試合前日は「何も考えないようにして静かに寝よう」と思って、実際にぐっすり眠れた。朝起きてすごく冷静になっていた自分に驚く。でも、冷静にいれたのはスタジアムに着くまでだった。バスの中で「冷静に、冷静に」と心を鎮めていた。そんな時に、「ようしょう!」と子どもたちの声援が耳に入ってきた。彼の中で、いろんな気持ちが湧き出てくる。応援してくれる大勢の人の姿を見た。一気に闘志に火がついた。

3.フゴール東京対シエロアスール東京のダービーマッチ

スターティングメンバーは、試合の3時間前のミーティングの中で伝えられる。「香月」と自分の名前が呼ばれる。待ちに待ったフゴール戦でのスタメン。「よし、行くぞ!」と心に言葉を落とし込んだ。

スタジアムの中で、なるべくフゴールの関係者に会わないようにした。ロッカールームに入る前に、フゴールのスタッフが3、4人、香月を見つける。『おお、ようしょう!』と言って握手しに来る。でも、気持ちはすごく複雑だった。

 昔の仲間と握手し終えてロッカールームに入った香月。

〈試合が終わるまでは過去のことを懐かしんでいる場合じゃない。ここで俺は自分のプレーを見せないとならない。なんのためにいままで頑張ってきたんだ。このスタジアムでプレーしなければ俺は終われない〉と心の中で呟く。

フォーミングアップルームに行く。そこではじめて外部と孤立された状態になる。落ち着きながらも興奮状態にある心身。〈いい状態だ。気持ちは落ち着いている。でも、完全に身体は興奮している〉。

アップするためにピッチに出ていく。「ようしょう! お帰り!」と言った声が聞こえてくる。声援される声と同時に、ブーイングの声もある。半分以上のサポーターがブーイングした。

〈だろうな。でもそんなことはどうでもいい。ぼくがやらなければならないこと。それは、ピッチの中で自分らしさを発揮すること。そして、すごくいいプレーをしてシエロアスールを勝利に導くということ。そのためにここまで準備をしてきたんだ〉

2020年11月28日15時00分。J1リーグ第33節、のフゴール東京対シエロアスール東京のダービーマッチがはじまろうとしていた。

 4.香月は行けなかったし、藤田も来なかった

アップが終わって、一度ベンチに引き揚げた。再びピッチに出て整列する。フゴールのスターティングメンバーが縦並びになる。挨拶しに行こうと思った。でも、まったく足が前に進まない。香月を見つけた後輩たちが挨拶に来る。挨拶するという気持ちにはなれない。試合前に〈(藤田)翼と挨拶しなければ〉と思ってはいた。でも、香月は行けなかったし、藤田も来なかった。お互いの姿は視界に入っていたはずなのに。 

両チームの選手がピッチに入場してくる。大歓声の中、コールもブーイングも入ってこない。 

キックオフを前にして、「いろいろあった」過去の出来事が、香月の記憶の中で走馬灯のように甦ってくる。

それは、2019年にスポルティングにレンタル移籍するまでの出来事だ。

あのいまわしいミーティングからすべてははじまった。

(続く)

川本梅花

 

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