川本梅花 フットボールタクティクス

【コラム】シュレディンガーの猫【会員限定】『片野坂知宏の挑戦 カタノサッカークロニクル』(内外出版社)

【コラム】シュレディンガーの猫『片野坂知宏の挑戦 カタノサッカークロニクル』(内外出版社/著 ひぐらしひなつ)

  • プロローグ
  • 第1章「戦術は緻密にして柔軟であるべし」
  • 第2章「試練は粛々と乗り越えられる」
  • 第3章「いま、立ち返るべき場所」
  • 第4章「目標達成へのマネジメント」
  • 第5章「勝負のアヤを過たず決断すべし」
  • 第6章「愛すべき指揮官が愛されるチームを作る」
  • エピローグ


カタノサッカーの独自性と単独性を図式化する

本書のタイトル『カタノサッカークロニクル』の「クロニクル(chronicle)」とは「年代記」の意味であり、そのタイトルが示す通り、この本は「カタノサッカーの年代記」になっている。2016年、大分トリニータに片野坂知宏監督が誕生してから現在までの大分の戦術史、「戦術」とは「戦い方」だから、片野坂監督がどんな戦い方をしてきたかを記した通史と言える。

著者は、大分を長く取材しているライター兼歌人のひぐらしひなつ(@hinatsu_h)さん。彼女は大分公式コンテンツ「トリテン」サッカー新聞「エル・ゴラッソ」でも執筆しており、本書は1つのクラブにずっと関わってきたライターしか書けない内容になっている。

本書を読んでいくと、いくつかのポイントが出てくる。それらポイントの最初を紹介するだけで、この本がいかにカタノサッカーのクロニクルになっているか、うかがえるはずだ。カタノサッカーの最初の分岐点は、30ページから記される。

リーグ戦の中断期間に行われた天皇杯の大分県予選決勝・日本文理大戦と1回戦のMD長崎戦で、片野坂は3バックシステムを採用した。

2016年に片野坂監督が就任した時、多くの人々はサンフレッチェ広島でコーチとして経験した「ミシャ式」と呼ばれるミハイロ ペトロヴィッチ監督(現・北海道コンサドーレ札幌)の可変式3バックシステムを採用すると思ったが、実際は「4-4-2」のボックス型を採用してJ3リーグ優勝を成し遂げた。大分はJ2リーグ復帰後、可変式3バックシステムを採用する。(p.32)

「J3に比べると相手の攻撃力の高いJ2では、こちらのシステムの方が守備が堅くなるので」

さらに、片野坂監督は、可変式3バックシステムを用いた動機を次のように語る。(p.32)

「いまいる選手たちの特徴を考えると、前から奪いに行く守備の方が合っているので」

片野坂監督は、J2で戦うために基本フォーメーションを可変式3バックシステム「3-4-2-1」に定めた。その理由を、著者は次のように説明する。(p.32)

攻撃になるとボランチの片方が最終ラインに下り、陣形は4-1-4-1になる。守備時には5-4-1で自陣を固める可変システム。縦パスがシャドーに入ったのを合図に1トップ2シャドーが入り乱れながら攻撃する(後略)

カタノサッカーのシステムは「スタートポジション」「攻撃的ポジション」「守備的ポジション」に3区分できる。以下の図で示す。

スタートポジション「3-4-2-1」

攻撃的ポジション「4-1-4-1」

守備的ポジション「5-4-1」

可変式3バックシステムの基本的な様式は上記のように3区分になり、さらに片野坂監督が師匠の「ミシャ式」から独自の思考を取り入れる。著者は以下のように解説する。(p.33)

ミシャ式のように整然と5バックで構えるばかりでなく、ウイングバックや最終ラインの一枚がスライドして4枚のブロックを敷く形も取るようにした。相手のフォーメーションによっては必ずしも5枚で守る必要はない。守備の人員をダブつかせることなく、相手の状況次第で守備陣形を変化させる。「同数なら守れる」というのが片野坂の考えでもあった。

4バックの守備的なポジション「4-2-3-1」

大分が勝利を重ねると、当然相手チームもカタノサッカーを攻略してくるし、それに対して片野坂監督も防御策を講じる。相手チームが練った思考を超えた思考を築いていかないと、勝利はつかみ取れない。そうした反復作業により、カタノサッカーが独自性と単独性を獲得したのだと分かる。

シュレディンガーの猫の思考実験とカタノサッカー

戦術に関する言葉を羅列して文章化した「戦術論」は、しばしば「机上の空論」と捉えられる。しかし書き手が、そうした意見と戦う必要はない。自分がピッチで見た現象を忠実に書き記せば、反論となるからだ。本書はその実践で、誰が読んでも理解できる用語で、カタノサッカーが記述されている。「ミシャ式」を採用した試合の日時やそのキッカケ、さらに対抗策を講じる対戦相手を凌駕するための試行錯誤、新しいやり方……。そうした片野坂監督の思考の反復と同時に、著者も戦術的な視点を積み重ねてきたことが明白になる。

「この本を読んで、カタノサッカーの真髄が分かりますか?」と問われたら迷わず「この箇所を読みなさい」と答える。(p.116-117)

「ある程度『攻撃はこうしよう』とか『守備はこのラインから誰が入れていこう』とか、そういう決まりがあったほうが、選手に取ってはわかりやすいんですよね。そっちのほうが戦術が具体的にあると言えるんですけど、僕は、戦術の具体的な型はあまり持たない。つねに相手があって、ボールがどこでどういうふうに持たれているのか、相手がどこにいるのか、そういったいろんな情報を入れた中で、11人が『じゃあこのときはこうだね』『守備はこうだね』という判断を合わせるのが、トリニータのサッカーです。その判断が早く賢く出来る選手がこのチームには必要だし、そういう選手がプレーするからちょっと特殊な感じのサッカーになっていくのかと思います」

量子力学の考え方の愚かしさを示した思考実験「シュレディンガーの猫」のように、カタノサッカーに既存のシステム論は当てはまらないのである。

川本梅花

追記:著者のひぐらしひなつさんにインタビューしましたので、後日、期間限定で無料公開します。

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