川本梅花 フットボールタクティクス

【インタビュー】#平塚悠知 を #河端和哉 札幌大サッカー部監督が語る【無料記事】

平塚 悠知を河端 和哉監督が語る

平塚 悠知(水戸ホーリーホック)
1996年4月13日生 北海道出身 175cm 63kg
経歴:TユニティFC-北湘南サッカースクールU-15-北海道大谷室蘭高校-札幌大学-水戸ホーリーホック

札幌大学サッカー部 河端和哉監督の談話

大学3年までの平塚 悠知に対する周りの評価は、そんなに高くなかったです。ただ僕は彼のセンスに期待していました。ボールコントロールが抜群にうまかった。「いいもの持ってるよな」と内心思っていました。

プロになりたいとか、どんなサッカー選手になりたいかとか、そうした話をして感じたのは「もともと持っていない子なんだな」ということです。当時からセンスは一流ですよ。でも自分で自分の好きなことをやる感じですね。性格的におっとりしているというか、人を蹴落としてまでと思うような子じゃなかった。だから周りからも好かれる子でした。

大学生は4年生になると考え方に変化が出てきて、責任感が増します。平塚もいろいろ彼自身の中で変化が見られてきました。それで、彼のセンスを活かすために、夏になって、ツエーゲン金沢の練習に参加させたんです。金沢さんの評価は「いいものは持っているけど守備ができない」でした。J2は、守備ができないと話にならない。当時の金沢は、かなり守備的に戦っていましたから、余計に守備ができる中盤の選手を探していたのですが、本人も、その部分は感じていたようです。

次に、FC琉球の練習に参加させました。琉球からは「興味があるけど、ちょっと待ってくれ」と連絡がありました。そんな時に、北海道コンサドーレ札幌の沖田 優コーチが平塚を気にかけてくれていたんです。沖田さんが水戸の当時強化部長だった西村 卓朗さん(現ゼネラルマネージャー)に連絡してくれたんです。そんな縁から、水戸の練習に参加させてもらうことになりました。

平塚が「金沢では守備のことを言われました。水戸では、どうしたらいいですか?」と聞いてきたので、「じゃあ……困ったらスライディングしろ!」と言いましたね(笑)。なんとしてもボールを止めるところを見せないとならない。だから「スライディングしろ!」と伝えました。本人は「はい」と答えていました。

あれだけセンスがあって、献身的に守備ができれば、オファーされる可能性はあるなと思っていました。平塚が水戸から帰ってきて1週間後に「もう1回見て決めます」と西村さんから連絡がありました。そうしたら数日後に「河端さん、オファーを出します」と言われました。教え子にJ2から声がかかったんですから、本当にうれしかったですよ。平塚はサッカーに対して純粋で、本当にサッカーが好きな子なんです。彼は環境に慣れればなじんでいくタイプなので、そんなに心配はしませんでした。

もちろん僕は練習で彼のプレーに対して怒っていましたけど、3年生までは自分たちのことしか考えられないし、自分のスタイルを決めていく段階にあるので、僕は彼に求めるものはいかにシンプルにプレーするのかでした。大学を卒業する時に「プロなんだから、監督の求めているプレーをしないとダメだよ」と言いました。平塚は持って生まれた技術とか、才能にあふれた選手です。今後どんな選手になっていくのかは、彼自身がどうやって取り組んでいくかにかかっています。

川本梅花

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