川本梅花 フットボールタクティクス

【インタビュー】#河端和哉 札幌大サッカー部監督…部の改革、そして選手時代との違い、教育者としての理想

【インタビュー】河端 和哉 札幌大サッカー部監督…部の改革、そして選手時代との違い、教育者としての理想

創部50年の札幌大サッカー部を改革

――札幌大学サッカー部監督に就任してすぐの印象は?

河端 想像していた以上にひどくて……。部室はあるものの、誰も管理していない。本当にひどい環境で驚きました。創部50年という歴史があり、目標やポリシー、理念はあるものの、それは名目だけ。2年先のビジョンや目的といった概念から作り直しました。

――監督就任前は、どのような体制だったのか?

河端 北海道コンサドーレ札幌の方が週に3~4回、外部コーチとしてAチームの練習を見てくれていました。きちんとした指導だったと聞いています。ただAチーム以外のB、Cチームは、選手が自分たちで練習メニューを考えていました。東京の富士通で働いているOBの方が総監督として月1回程度来ていたのと、大学の職員にはサッカー部出身の者がいて、彼らも練習は見ていたんですが、組織作りにはあまり積極的に取り組んではいなかったようです。本当に学生だけでやっている感じですね。組織作りには誰も関与していませんでした。

――その話を聞くと、部として活動できていることが信じられない。

河端 部員は100人ほどいましたし、その中には特待生として入部した子もいました。ある程度「質」のある子がそろっていたので、道内のリーグ戦では2位になるなど、結果を残せていました。ただ大学生の集まりであってプロではないため、組織作りは行われていませんでした。

 

――そうした状態で、どうやって特待生をスカウトするのか?

河端 北海道では歴史のあるサッカー部ですから、高校の先生たちとのコネクションがあります。そうした関係性から入部してもらう。あるいは富士通のOBの方がスカウトして連れてくるといった状況です。

――問題は山積。どこから手を付けたのか?

河端 まず「いまあるものを大事にすること」から始めました。サークル会館という建物があって、そこに部室があります。僕が学生の頃(2000年入学)は、監督が仕事をしたり、トロフィーが飾られたり、きちんと管理されていました。しかし監督に就任して部室へ入ってみたら、ただの物置になっていました。部室は選手の私物でグジャグジャ。自分たちの用具すら管理できていない。就任したその日、9時間かけて独りで部室を掃除しました。

――部員への指導は?

河端 練習内容は、いちから組み直しました。フィジカル面のトレーニングから戦術トレーニングまで全て作り直しです。学生に「昨季は何をやったの?」と聞いたら「知らない」と言うんです。Aチームの20人はコーチが付いて練習していたのですが、それ以外のカテゴリーの選手たちは、札幌大が「どういうスタイルで、こうしたサッカーをやるか」を知らない。Aチームが何をやっているか、それどころかフォーメーションさえ分からない。そもそも部員同士でも、カテゴリーが違うとお互いの名前すら知らないという状況でした。

――部員のメンタル面にも着手した。

河端 普段から責任を持って生活していない。真摯にサッカーに向き合っていないため、勝負が懸かった時やうまく行かない時に言い訳をしてしまう。精神的に弱い部員が多かった。

ある時、こんなことがありました。4年生の部員が寝坊をして練習に遅れてきました。僕が就任する前、遅刻は罰金でした。でも、お金を取るだけでは意味がない。僕は、その部員にランニングをさせてから、みんなの前で謝らせました。そして「いろいろな人に感謝しないといけない。こうして練習ができるのは、いろいろな人の支えがあるからこそ」と言いました。サッカーは構築すればうまくなるのですが、本当に大事なのは誇りや責任感なんです。

実は、彼らも被害者なんですよ。みんなサッカーが好きで真面目。ただ表現できなかった。表現の仕方を知らなかっただけなんです。直接ではないですが、4年生の部員が「卒業したくない」「もっと早く来てくれれば良かったのに」と言っているのを聞き、改革に取り組んで良かったと思いました。北海道の高校や周辺の人からも「札幌大が激変したって聞いたよ」と言われました。

――とても忙しかったのでは?

河端 朝は部員を指導して夜は資料を作る。お金のことからチーム運営まで、本当に全てやらざるを得なかった。部費は透明性を担保するため僕が管理せず、部長に全部預けていました。部費が必要な場合は、具体的に説明をする。休んだ記憶がありませんよ(笑)。

選手時代との違い、教育者としての理想

――昨年度の天皇杯1回戦で古巣のラインメール青森FCと対戦。結果は1-2だった。

https://www.jfa.jp/match/emperorscup_2020/match_page/m3.html

河端 予選の時から「ラインメールと戦うことになるから」と言っていました。普段は前もってこんなことを言わないのですが「これは俺のためにとか言わないけど、俺はどうしてもラインメールとやりたい。もし少しでも感謝の気持ちがあるのなら、天皇杯の北海道大会を優勝してラインメールと戦う切符を勝ち取ってくれ」と伝えました。

――ラインメールと戦った感想は?

河端 試合が終わって、もっとできるし、もっとできたはずだろうと思いました。試合中に「ああ、いまはここまでしかうちのチームはできないんだ」とショックを受けました。ピッチをもっと制限できると思っていましたが、これは僕の力不足です。ラインメールと1回戦でやることになり、相手のチーム状況から勝てるだろうと思っていました。でも、その相手にここまでしかできない。その意味でショックでした。試合が終わってから数日間、落ち込みました。

――選手から監督になり、自身の変化は?

河端 監督になってまだ4年目。毎年、自分の考え方が変化しています。自分がプレーする選手と異なり、指導者は選手を支える立場ですから、毎年そのバランスを考えています。

――理想とする監督像は?

河端 実際にプレーするのは選手ですから、監督の評価は二の次だと思っています。監督は選手を言葉や頭を使って動かさないとならない。そこに難しさと楽しさがあり、毎年考える内容が変わってきているのですが、「彼が監督だから」と言われて評価されることが理想です。

――札幌大監督としての手ごたえは?

河端 北海道の中では一番きちんとしているサッカー部だと思います。あいさつをする。靴をきちんと並べる。時間を守る。人として当たり前のことから手を付けてきました。ランニングでは、僕が声を出して一緒に走る。試合では、ベンチから選手に大声で細かく指示を出す。試合で使った短パンは、僕が全員分を洗濯しました。

結果はすぐには出ませんでしたが、徐々にですが、僕のやる仕事が減っていきました。選手が自分たちでやり出したんです。組織に最初から色はない。札幌大もそうでした。選手を指導する際、優しく言ってみたり、厳しく言ってみたり、試行錯誤しました。僕自身、組織に色を持たせるため、迷いながらですが、少しずつ進めていきました。自分はこうした組織にしたいという理想があり、試合に関しては、絶対に報復行為をしてはいけないと禁止にしました。

僕自身、指導者として一番大切にしていることは、「学生のため」ということです。学生のためしか考えてない。大学生に対する指導経験がなかったので、とにかく学生と向き合うことだけを考えてきました。教育者として、いつも質について考えています。教育とは、もちろん人に教えることなのですが、大学は教えるだけではなく導く、学生に気付かせることが大切です。教育の質を高めようと常に考えていますが、これは永遠のテーマとなりそうです。

川本梅花

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