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新井涼平(ヴァンフォーレ甲府)18歳の春、Jリーグ開幕戦を待つ【無料記事】川本梅花アーカイヴ

目次
はじめに
17歳の夏、ブラジルへ渡る
18歳の春、Jリーグ開幕戦を待つ

はじめに

ヴァンフォーレ甲府の背番号8番を背中にした新井 涼平に最初に取材したのは、彼が大宮アルディージャに所属していた頃だった。ブラジルへのサッカー留学を終えて、日本に戻ってきた新井は当時18歳である。クラブ側から「新井をぜひ取材してほしい」とのリクエストだった。未来の大宮を背負って立つ逸材と関係者は口をそろえて新井の可能性を話した。「無限の可能性の発芽」と称された新井のデビュー戦をスタジアムの記者席から観戦した。J1リーグの第1節、清水エスパルス戦だった。高卒新人で開幕デビューを果たす。18歳125日でのデビューとなった。観客も当然、新井のプレーに注目した。新井がボールをもって縦パスをFWに入れると「オオー」と歓声が上がる。いまでも新井のプレーを見ると、18歳の頃の彼のプレーがよみがえる。31歳になって迎えた2022シーズンは、試合にはまだ顔を出していない。早く新井のプレーを見たい。そうした気持ちを込めて、当時取材した文章を公開することにした。

新井涼平プロフィール
1990年11月3日 183cm 67kg
江南南サッカー少年団-上福岡SC-大宮アルディージャJrユース-大宮アルディージャユース-大宮アルディージャ-FC岐阜-大宮アルディージャ-FC岐阜-大宮アルディージャ-ギラヴァンツ北九州-ヴァンフォーレ甲府

17歳の夏、ブラジルへ渡る

17歳の夏、新井 涼平はブラジルのサンパウロ州イトゥ市にいた。

その街は、サンパウロ市から車で1時間くらいかかる小都市である。新井は、イトゥ市に拠点をかまえるイトゥアーノFCの18歳から20歳までのカテゴリーのチームに参加する。クラブの監督は初日、選手たちを前にして新井にこう告げた。

「お前を1人の選手としてこれから見るからな」

日本人のサッカー留学生として特別扱いしないと宣言される。

新井は、中学生で大宮アルディージャの育成組織に入って、その当時からポジションはボランチだった。そして、2009年からトップチームに昇格してプロ選手となった新井のタレント性を、大宮のユース関係者は高く評価していた。この大器を開花させるには、短期間でも海外での練習に参加させることが、1つのキッカケになるかもしれないと考えて、ブラジルへのサッカー留学を勧めた。ブラジルに渡った新井を待っていたのは、ハングリー精神にあふれた同世代のサッカー選手たちだった。

練習に参加してから最初の1週間は、「どうせサッカー留学の日本人だろう」という目で周囲から見られる。「だから短い期間ですが、ここで何かを残してやろうと思いました」と話す。日本人の17歳の少年は、ブラジル人たちの記憶に何を残そうと考えたのだろうか?新井は「ブラジル人はプレーが激しかったんですけど、彼ら以上に激しさを見せられれば『こいつはサッカーができる日本人だぞ』と思われると考えたんです。だから練習でも相手を倒すような激しいプレーをしました」と語る。

一般的に激しいプレーとは、ルール上許される範囲で相手に激しく挑んでいくことを指す。しかし新井がブラジルで経験したものは、そうした側面とともに日本のユースではあまり見かけない別な側面であった。

「審判の見ていないところでユニフォームを引っ張る、スパイクを上から踏まれるのは当たり前でした。日本ではクリーンにやることが大事だと思っていたので、ブラジルに行くまでは相手のユニフォームを引っ張るような経験はなかった。それにハイボールで相手と競り合う時のプレーが違います。日本ならばハイボールを頭でヘディングするところを、ブラジル人はヘディングに行かないで、普通に足でボールを蹴り上げようとするんです。ボールと一緒に相手も蹴っちゃうみたいな感じですね。そんなプレーを日本でやったらすぐにファウルを取られますけどね」

ブラジルで新井が経験したのは、プレーへの激しさだけではない。ある日、練習が終わってクラブハウスにいると、選手が1カ月の給料をクラブ関係者から手渡される場面に遭遇する。予想されたより低い金額を渡された選手は、大声で文句を言う。「その場面を見た時に、サッカーに自分の生活がかかっていて、サッカーで成功しないと何もないんだと感じました。彼らに比べれば、同世代のJリーガーは生活できるだけの金額をもらっている。自分がプロになったらもっとやらないとならないと感じました」と述べた。「もっとやらないとならない」と話す新井は、「『がんばる』っていうことしか言えないんですけど」と話して少し考えながら「常に試合にからめる選手になりたいんです。試合になればチームのためにプレーできる選手。相手を倒してでも止めるという激しい守備を得意にしているんで、それでチームに貢献できるようになれればいい」と語った。

18歳の春、Jリーグ開幕戦を待つ

大宮のユース出身の新井は、ユースのサッカーとトップチームのサッカーでは、何も違和感がないと言う。「チームはトップからユースまで一貫して同じサッカーをやっているので、いつトップに行っても同じプレーをやれば問題ないと思っていました」。そうしてプロになっても自然とチームに入れた彼は、グアムキャンプを迎えることになるが、新人研修で1週間キャンプに遅れることになった。「その時にコンディションにちょっと差が開いたと感じました。自分でも取り戻すために、ほかの選手よりも動くように努めました」と言う。練習ではコーチが「ダウン!」と伝えるまで終始身体を動かす。全体練習で選手それぞれがグループにわかれてランニングをする時でも、新井の姿はそのグループの先頭にいつもいる。「走るというのは自分の特徴でもあるんです。走ることに関しては、僕は若いし誰にも負けたくない」と話す。そういう彼に、「走るのは苦じゃないの?」と問う。新井は迷わずに答える。「誰よりも動けると思っています。攻撃でも守備でも運動量が多いところを示せて、相手の攻撃の芽を潰すことに一番力を入れています」。

プロ契約した時に彼の両親は、「ここがゴールじゃないからな」と話した。新井は、プロになれたことに満足せず自分の限界までやってみるという言葉の代わりに「プロになってそのまま終わってしまう人もいます。いつまでも続けられる人もいます。僕は、どこまで続けられるか分からないけど、『もうサッカーをやりたくない』というとこまでやろうと思います」と語る。

18歳の新井は、Jリーグ開幕戦の第1節、清水エスパルス戦においてスターティングメンバーとしてピッチに立っていた。

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