日本に望まれるのは、巧いのに巧さをひけらかさない奥ゆかしさ。
ボールの奪い方が巧いサッカーを見るたびに思う。日本が目指すべき道はこれだ、と。
最近では今季のヨーロッパリーグ(EL)を制した、アトレティコ・マドリーだ。シメオネが監督に就任してから、ずっと続く傾向でもあるが、そのボールの奪い方は芸術的でさえある。
メンバーには好選手が名を連ねている。技術的に高度な巧い選手で占められているが、彼らは「私たちは巧いです」と、技量をひけらかそうとしない。きわめて地味にボールと相手を追いかける。
たとえば、EL準決勝のアーセナル戦。パッと見、巧そうに映ったのはアーセナルだ。その華麗そうに見えるパスワークに、プレスで対峙するアトレティコの姿は、弱者の兵法に見えた。しかし、よい奪い方を決め、アーセナルが落胆した瞬間、アトレティコがキラリと技術を披露すると、強者と弱者の関係は一転。実はボール操作の巧さでも、アトレティコが上回っていることが鮮明になるのだった。相手チームが油断していると突然、超高度なパス回しを披露する。技術を出し惜しみするかのように。
アーセナルの落胆ぶりは、いっそう鮮明になった。巧さを最大のよりどころにするチームは、巧さ比べで負けると、必要以上にショックを受けるとは、サッカー界でよく言われることだが、この場合のアーセナルがそれだった。
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