日本代表監督は公募して、オーディションで選べ!
写真:Shigeki SUGIYAMA
サッカー界、スポーツ界。いったいいつ頃、どんな形で再開されるのか。スタジアムに活気が蘇るのは、だいぶ先になる気がする。いまは、いつになるかまったく読めない再開後の展望を語るより、もっと長期的な話や根本的な話、もっとこうしたら面白いとか、こういうのもアリなんじゃないかとか、既成の枠にとらわれないフランクな話をした方が、逆に現実的である気がする。
サッカー監督はオーディションで選べ、とか。
サッカーは監督で決まる。これは筆者がかれこれ20年以上前から主張し続けていることだ。プレーや結果に最も強い影響を及ぼすものは監督であると。しかし「ピッチで実際にプレーするのは選手だ」とか「試合が始まったら監督は無力」とする声も根強くあり、監督自らそう言い出す人も少なくなかった。
もちろん日本において、である。欧州の常識とは大きな隔たりを抱えていた。とはいえ、ファンの間では、監督の重要性は年とともに声高に叫ばれていて、欧州を100としたとき、20年前が10〜20だったとすれば、いまでは60〜70のレベルまで達している。
サッカーは監督で変わるーーと、表現を“決まる”から“変わる”に少々弱めれば、賛同者もっと得られると思う。あそこで選手交代をしていれば、布陣を変えていればと、タラレバ話をしたくなるのがサッカーだ。
そして布陣である。攻撃的な布陣から守備的な布陣まで様々な種類がある中で、なぜこれを選んだのか。監督が布陣を選択した瞬間、サッカーの方向性はある程度読める。監督次第でサッカーの方向性は変わるのだ。
目の前で行われているサッカーに最も影響力を持つ人物。監督には絶大な権限が与えられている。しかし、その割にあっさりと決まる。そこで、たとえば「鹿島アントラーズの新監督にザーゴ監督が就任しました」と発表されても、ファンは簡単に頷くことはできないと思う。唐突な印象が先に来る。監督として知名度が低い人物を招いたのなら、それ相応の説明をする必要がある。
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