五輪男子サッカーに出場する欧州組の来季を心配する
(写真:岸本勉/PICSPORT)
歴代の五輪代表選手で、最初に欧州のクラブでプレーした選手は、1996年アトランタ五輪と2000年シドニー五輪に連続出場した中田英寿になる。
平塚からペルージャに移籍したのは1998-99シーズン。2000年のシドニー五輪は、ペルージャからローマに移籍したシーズン(1999-2000)終了後に開催された大会だった。
現場には多くのスカウトが駆けつけていた。当時の五輪には、世界の若手選手の品評会的な役割があった。1996年アトランタ五輪を目指した選手は、五輪の最終メンバーとなり、アトランタで活躍することを夢見ていた。五輪世代の選手はまさにライバル関係にあった。チームとして28年ぶりのアジア予選突破を目標に据えながらも、個人レベルでは、出世を争うように代表メンバー入りを目指していた。
中田英はつまり、4年後シドニーン五輪の舞台に、出世頭となって戻ってきたことになる。だが、一方で中田英は、世界の若手の品評会というコンセプトにしたがえば、参加する必要のない選手になっていたことも確かだった。「すでに欧州で活躍している中田英は、育成という意味でのアンダーカテゴリーを卒業した選手。五輪チームに参加する必要はない」と、筆者も当時、力説した。
中田英はその時、ローマでフランチェスコ・トッティとトップ下のポジションを争っていた。シドニー五輪に出場すれば、プレシーズンマッチ等に参加することはできない。ローマへの合流が遅れれば、スタメン争いで後手を踏むことは明白だった。
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