フットボールカンボジア

弱小カンボジアを劇的に強くした日本。日本が育てたU19世代のアジア選手権本戦出場が持つ本当の価値とは。

カンボジア代表、約半世紀ぶりのAFC選手権本戦出場決定。

11月2日から10日までAFCアジア選手権予選グループGがカンボジアの首都プノンペンで行われた。参加したのはマレーシア、タイ、カンボジア、ブルネイ、そして北マリアナ諸島の5カ国。カンボジアはホームアドバンテージを得てはいたが、マレーシア、タイと同組であり、一戦も落とすことのできない難しい予選だった。結果、マレーシアが全勝し首位で本戦出場を決め、カンボジアは3勝1敗の2位、本戦出場の可能性を残しつつも他グループの結果次第では予選敗退という厳しい状況に終わった。これまでのカンボジアからすれば逆立ちしても敵わなかった相手だったタイから勝利したこと自体が、快挙だったが、本戦出場を決めきれなかった事で、勝利で終えた最終日のブルネイ戦後もチームに笑顔はなく、カンボジアが求めているものが更に高い位置にあることを実感させた。

そんなグループ予選が終わってから約三週間がたった11月30日、他グループの結果を得てカンボジアの本戦出場が決まった。1974年を最後の本戦出場を最後に混乱の時代に突入し、その後の内戦によって完全に国際舞台から姿を消していたカンボジアにとって実に約半世紀ぶりの本戦出場となった。

 

勝負の世界で生きて来た日本人指導者が、勝負とは何かを叩き込んだナショナルアカデミー。

カンボジアはほんの数年前まで東南アジアではかませ犬だった。グループ内にカンボジアが入ればそれは相手国にとって勝ち点3を手にする事を意味していた。誰もが状況を変えたいと願っていたが、それが容易ではない事もまた、誰もが理解していた。そんな状況変えるきっかけとなったのが2014年にW杯ロシア二次予選で日本と同組みになった事、そしてナショナルアカデミーが設立されたことだった。

一見関係ないように思えるA代表と育成年代だが、日本と同組みになった事はカンボジア国民がサッカーに興味を持つきっかけを作り、サッカーを応援するという文化を根付かせる大きな要因となった。そして国民からの高い興味と関心がナショナルアカデミーの存在と育成年代に大きな価値を生んだ。もちろんナショナルアカデミーの設立以前もカンボジアでは若手選手の育成を行っており、そこにもJFAから日本人指導者が派遣されていた。しかし、国際規格からはかけ離れた所々土がむき出しのピッチが一面あるだけの施設が仕事場であり、明確な目標設定やスケジュール管理、選手の確保などは整備されておらず、日本人指導者の本来持つ指導力を十分に生かすことができない状況だった。

そんな状況下で、新たに設立されたナショナルアカデミーは首都プノンペンから車で1時間の距離に置かれ、宿泊可能な設備と天然芝3面、人工芝1面の4面のピッチを揃えた近代的な施設だった。そこに全国からスカウトされたU14世代の選手が集められた。指導者は引き続きJFAから派遣された。

2014年1月、初代のナショナルアカデミーコーチはベガルタ仙台で現役のジュニアコーチをしていた壱岐友祐氏だった。若手指導者だった壱岐氏はU13世代の選手たちにとって監督というよりも大きな兄弟のようにも見えた。試合に臨めば、壱岐氏はチームの誰よりも悔しがり、誰よりも勝利を喜んでいた。勝負の世界に初めて足を踏み入れた選手たちにとって、勝負で勝つということの喜び、負けることの悔しさを全身で表現した壱岐氏の影響はとても大きかった。また、壱岐氏はU14世代という身体的にも大きく成長する時期の選手たちの栄養改善にも取り組んだ。チーズや牛乳などの乳製品を積極的に摂らせ、選手たちが入所時に比べてこんなに大きくなったんですよ、と身振り手振りで嬉しそうに話している姿が印象的だった。壱岐氏は諸事情により帰国することになるが、最後までカンボジアに止まる術を模索するほど熱心な指導者だった。

そして2016年2月、後任として同じくベガルタ仙台から派遣された井上和徳氏は壱岐氏から託された選手たちにさらなる勝負の世界の厳しさを叩き込んでいった。カンボジアサッカー協会は全国規模の選手発掘を開始し、ナショナルアカデミーの中でもセレクションが行われ始めた。井上氏は前任の壱岐氏が育てた選手を度々入れ替え、個人の意識をより自立したプロフェッショナルな考え方へと変えていった。2016年中旬になるといよいよナショナルアカデミーがその成果を見せ始める。2016年7月に行われたAFFU16選手権大会において、東南アジア勢ではベトナム、タイについで3位となったのだ。井上氏は2018年1月任期満了に伴って帰国するが、その際にはカンボジアサッカー協会から感謝状を送られている。

そして井上氏の後任となり現在もU18世代の指導を行い予選突破に導いたのが行徳浩二氏だ。ネパールやブータンでA代表監督の経験を持つ行徳氏がチームを引き継いだことで、サッカーの技術的な部分だけでなく、U18世代まで成長した選手たちに今後一人の選手としてどうあるべきかと言う新しい課題を与える考えさせる事にもことにも繋がった。

 

東南アジアをかき回すカンボジア、本戦出場が持つ本当の価値とは。

ナショナルアカデミーが設立されて5年、アカデミーではU18世代で行徳氏、U15世代では井上氏(2019年1月に再派遣)と二人の日本人指導者が日々選手と向き合っている。様々な課題を抱えて、絶え間ない改善を行なっていることは想像に容易いが、ナショナルアカデミーの設立から僅か5年で予選を突破し、本戦出場を果たしたカンボジアは、東南アジアの中で確実に存在感を増してきており、東南アジアの育成年代においてカンボジアが簡単に勝てない国であることは常識となっている。しかし、ナショナルアカデミーと日本人指導者がカンボジアにもたらした価値は単純に成績の向上だけに止まらない。

カンボジアが1970年代に始まった混乱期とその後の内戦で国際舞台から完全に姿を消した事は広く知られているが、国際舞台から姿を消した事で、カンボジア国民の多くがその尊厳と自信を失った事はあまり知られてはいない。国際社会はカンボジアの復興に手を差し伸べたが、援助国と被援助国という関係はカンボジア国民が本来持っている潜在能力を心と体の奥底へとしまい込ませてしまった。混乱の中では長期的なビジョンで方向性を見定め、そこに向かって努力を重ねる事が困難な状況だったのかも知れないが、今日においてもその影響は深刻である。そんなカンボジア国民に、ナショナルアカデミーと日本の指導者たちはサッカーを通して長期的な目標を定め、日々努力を重ねることで、世界と対等に渡り歩くことが出来る事を示した。
この事こそがナショナルアカデミーと日本の指導者がもたらした最大の価値であり最大の功績だ。育成年代は今カンボジアの持つ真のポテンシャルを示すことができる存在であり、カンボジアが尊厳と自信を取り戻す為の重要な一部分となっている。

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