【サッカー人気2位】M&Aのプロフェッショナルが…

「ファジラボ」寺田弘幸

【過去の人気記事を無料公開】/【竹田忠嗣インタビュー】『岡山にこれだけいるけど、このままではいただけになりかねない 今年は本当にチャンス』

Jリーグの再開を待つことしかできない今の時間を、ゆっくりと過去を振り返る時間にあてるのもいいのではないか。そう思い立ったので、過去の人気記事を無料で公開していこうと思います。少しでもお楽しみにいただけたら幸いです。

第二弾は、竹田忠嗣のインタビュー。

2016年シーズンにJ2通算200試合出場を達成した直後に行ったインタビュー記事となります。2008年に岡山へ移籍を決めた理由や、それから岡山で過ごしていた日々の想いを、赤裸々に語ってくれています。

あらためて読み返してみると、涙ぐんじゃいます・・・


インタビュー中に一緒になったU-18、U-12の選手たちと一枚 『目指せ!竹田忠嗣』

『岡山にこれだけいるけど、このままではいただけになりかねない 今年は本当にチャンス』

2016年6月16日配信

――200試合出場おめでとう

「ありがとうございます。やっぱり節目だったので、1試合目、50試合目、100試合目っていう試合を思い出したりしたし、相手が松本山雅だったんで、喜山、圭太、イシがいてなんか不思議な巡り合わせも感じましたね」

――ここまで積み上げてきた実感もあるでしょう?

「若い頃にメンバー表を見ていて、100試合以上出ている選手のこととか小林康剛さんが190試合くらい出ているのを見て、すごく偉大に感じていた。それくらい自分が試合を重ねられることができてうれしい気持ちと感謝の気持ちがありますし、プロに入ってから苦しい時期もあって、そういうときを戦った自分とか支えてくれた人の顔が浮かびましたね。J2には若い選手も多いし、そういう人がメンバー表を見て僕が感じていたようなことを感じてくれたらうれしいし、そういう思ってもらえるようにこれからもしっかりとしたプレーをしていきたいなと思いますね」

――ファジアーノだけで200試合はすごいことだ。もう岡山に来て9年目を迎えるんだね

「長いですね。でも、あっという間でした。プロに入って1、2年目の頃は、どれくらい続けられるのか不安もあった。なりたかった職業だけど、すごい厳しい世界なことは分かっていたんで、そういう中で千葉で3年、岡山で9年続けてこれたことはうれしいですけど、自分の中ではまだまだやれるって気持ちがある。今はいろんなことにトライしていて、徐々にサッカーの楽しさってのも見えてきてすごく充実している。もっと上手くなりたいって気持ちは今も昔も変わらないですね」

――そもそもファジアーノに入団するキッカケはどんなことからだったの?

「僕が入団した頃の千葉はすぐに結果が求められるチーム状況だったんです。ナビスコカップに連覇したときでチームも仕上がっていたし、実績のある選手をどんどん獲ってくる状況で、僕たちには本当にチャンスがなかった。なんで、あのときは早く移籍しなきゃって思っていて、ジャフ・リザーブスっていうチームはそこで成長してトップに上がるためのチームだったんですけど、いつしか移籍するためにアピールする場になっていた。その頃に岡山から何回か話をもらっていたんです。でも、僕は大学もあって、関東圏のチームもからも話があったんでそっちの方に魅力を感じていたんですけど、実際に岡山に来てファジアーノと対戦したときに、まずサポーターがすごく熱いなと思ったし、誘ってくれたGMがしっかりとチームのビジョンを持っていたんで、岡山に行くことを決めましたね」

――最初はレンタル移籍だった?

「その頃は契約のこととかも良くわかってなかった(笑)。GMと話しをして、すぐ一週間後に岡山に行きましたから。ちょうど大学は夏休みだったんで、後期から「忠嗣がいないぞ」「岡山に行ったらしい」ってなってましたからね。ただ、自分の中ではまだ大学でサッカーをやるっていう選択肢も考えたりしていて気持ちも揺れていた。ぜんぜん未完成だった選手を岡山はよく拾ってくれたなって思います」

――思い切った決断だったでしょう?

「そうですね。こういうことはあんまり言っちゃいけないと思うけど、岡山って地図に載っていることは分かっているけど、どこだって感じで(笑)。初めて新幹線に乗ってきたときの3時間くらいがすごく長く感じたし、最初はほんといろいろ心配なことが多かったです(笑)」

――岡山に来た年にJ2参入が決まった。Jリーグでプレーできることはうれしかった?

「う~ん、正直に言うと、環境とか練習内容とかが千葉と比べてガクンと落ちたので、大丈夫かって気もちが強かったです。千葉では一世を風靡したオシムさん(イビチャ・オシム。後に日本代表の監督も務め、日本サッカー界に大きな影響を与えた指導者)の下で練習していて、それがこっち来てあんまり頭を使わないような練習が多くなって、それが逆に僕には難しかったんです。それに当時は僕も若かったから、監督が言っていることより自分が正しいと思うことの方をやっていた。それで当時のGMには本当に怒られて(苦笑)、考え方もちょっとずつ変わっていきましたね」

――岡山に来た当初はかなり葛藤があったんだね

「ありましたね。生意気なところもあったし、もっと判断してサッカーをした方がいいって思っていた。考えずに蹴るっていうサッカーだったし、守備も組織的ではなくて、そういうサッカーをしてこなかったからなかなか順応することができなかった。そういう中でいろいろ考えながらやっていって、自分の考え方も変えていきました」

――チームもJに参入したばかりの頃は苦しい結果が続いていた

「素直に言うと、早くどこかのチームに行かなきゃって気持ちがありました。JFLの試合よりもレベルが上がった楽しさはあったんですけど、千葉のJrユースからトップに上がってきて、自分はだいたいこれくらいの能力だって分かっていたつもりだったんですけど、それがぶち壊されていった。J2の1年目、2年目、3年目は『俺ってこんなに下手だったのか』って思いましたね。千葉のときにサテライトリーグに出ても普通にできるなって思っていたのに、『周りが上手かったからできていただけで、自分自身はめちゃくちゃ下手なんじゃないか』っていう考えになったときもあったし、ほぼ楽しいって感覚でサッカーをやっていなかったです」

――ファジアーノでサッカーをするのが楽しくなってきた時期はいつ頃からだった?

「同年代の選手たちが多くなっていって、それも(植田)龍仁朗とか圭太とか徹とか、J1のチームにいてもうまく自分を表現できなかった選手たちを回収してリサイクルするっていう感じで集まってきて(笑)、『俺らでチームを作ってやっていこう』って想えるようになったときからですね。(田所)諒もそうだし、千明とか(仙石)廉も加わって、ウッズ(中林洋次)も来て、それでみんなで勝ったときのうれしさが半端ない時期が来たんです。あのときは、ずっと無失点が続いたときなんかぜんぜんやられる気もしなくて、やっていてすごく楽しかった。たぶんですけど、サッカー部のない高校に入った1年生たちがサッカー部を作って、先輩もいない中で選手権に出ていくっていうような、そんな感じの感覚に似ていた気がします(笑)」

――そして今、ファジアーノはJ1を目指していくチームになった

「そういう時期が一回、去年にメンバーが代わって終わりましたよね。それで一段落して、また新しいチームになっていった中で、去年は準備期間も短かったし、やっぱりそれまでの考え方も残っていたりしたけど、今はそういうこともなくなって一つになっている。今いる選手たちの特徴が何かってことをみんなが理解していて、どうやったらチームとして最大値を出せるかってことをコーチングスタッフも考えながらやっているし、選手たちもそれを感じながらやっている。そういう感じはプロっぽいなって思います(笑)。サッカー以外のところでも要所、要所でプロっぽいなって感じるチームになりましたよね。集中したり緩めたりってこともうまくできていて、プロの組織だなって思います」

――忠嗣君も今年で30歳になる。いろいろ考えることもあるでしょう?

「ありますね。僕が18歳だったときに30歳だった選手って誰だろうって思ったら斉藤大輔さんが思い浮かぶんですけど、僕が18歳のときはすごい年上でお父さんくらいに思っていたんで、今の高卒の選手たちに僕がそういう風にみられているのかと思うと、衝撃ですよ。ただ、若手とも何の分け隔てもなく絡めるっていう選手が僕は好きだったんで、そういう風になれるようにしたいなって思うし、僕は本当に斉藤大輔さんのプレーを教科書くらいに思ってずっと見ていた。メンバー外のときにスタンドから見ていて、ポジショニングとか身体の使い方とかをずっと見て学んできたんで、今の18歳くらいの選手とかユースの選手とかに、自分のプレーをそういう風に見てもらえるようになれればなと思いますね」

――キャリアとして成し遂げたいことは?

「それはもう、僕の中ではもうだいぶ遅れてしまっているんですけど、J1でやることですね。なんとなくですけど、(J2で)50試合出たらJ1に行きたいとか、100試合までには行こうとか、少しずつ目標を決めてやってきたけど、もう200試合まで来てしまった(笑)。去年くらいからは200試合を超えて行こうと思ってきたんで、それは叶えたいと思うし、チームとしても毎年チャンスはないと思うんですよ。毎年(J1から)落ちてくるチームも変わっていく中で、今年は本当にチャンスだと思う。『チャンスの電車に乗れるのは一回しかない』ってジローラモも言っていたし。イタリアのことわざらしいです(笑)。なんで、その電車には乗りたいですね」

――忠嗣君にとってJ1はどんな場所なんだろうか?憧れの場所なの?

「憧れの場所っていうか、プロになる前に一緒にやっていた選手が普通にやっている場所なんで、そいつらと戦いたい。プロになってから一緒に戦っていた選手も、J1で相当上手くなってんだろうなって思いますけどね。あと、岡山にこれだけいるけど、このままではいただけになりかねない。JFLからJ2に上げたときの選手とか、J2からJ1に上げたときの選手って、どんなプレーをしていたかはあんまり記憶に残ってなくても、後々も話題になると思うし、どっかで名前が出てくると思うんです。そういうときに竹田って名前が出てくるような、そういう選手になりたいですね」

 

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