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「ファジラボ」寺田弘幸

【無料】櫻内光太『日常の中にファジアーノがどう入っていくかが大切だと思っています』【クラブスタッフの想い】

櫻内光太

ファジアーノ岡山に2009年に入社して法人営業としてクラブの成長を支えてきた櫻内さんは、作陽高校サッカー部のキャプテンで、弟の櫻内渚さんがJリーガーだ。そして、現在はYouTubeの『ファジアーノNEWS』でMCを務めていて、新設されたリージョナルディベロップメント室の室長としても活躍されている。

たくさん聞きたいことがあったので、駆け足で話を伺わせてもらった。

YouTubeで伝えていきたいこと

昨年からYouTubeでMCのような役割をするようになったきっかけは、コロナ禍の中で岡山県民の皆さんのファジアーノへの興味、関心がちょっとずつ薄れているんじゃないかという危機感があって、動画に力を入れていこうという流れがクラブとしてもJリーグ全体としてもあった中で、リーグ戦が再開する山口戦の事前番組をファジスクエアからやってみようということになったことが最初でした。

スタジアムに来れない皆さんにちょっとでも何かを届けたいという想いと、動画を配信することで少しでもスポンサー企業の露出を増やしていきたいという想いをもって続けてきましたが、しゃべるのは本当に難しいですね。途中で何を言っているのか分からなくなったりしますから(苦笑) でも、映像グループのクオリティも非常に上がってきている。手弁当ではあるんですけど、これからもクラブが自前で制作するからこそ伝えられることを伝えていきたいです。

今季は澤口雅彦と一緒に『ファジアーノNEWS』を配信

クラブのレジェンドと一緒にコンテンツを届けることができてファン、サポーターの方々にも喜んでいただけていると思いますし、澤口自身がファン、サポーターの方にどういうことを伝えていけばいいかを勉強する良い機会にもなっている。澤口ももうクラブスタッフの1人ですし、一緒に頑張って少しでも多くの方にファジアーノを好きになってもらいたいです。

『ファジアーノNEWS』はファン、サポーターの方々にクラブのことをもっと知ってもらうことをコンセプトにしているので、皆さんが知りたい情報や見ていて楽しいコンテンツをどんどん取り入れていきたい。いつもメディアの皆さんに取り上げていただいている内容とは違うこともお伝えしていきたいと思っています。

 

ファジアーノ入社は2009年6月。きっかけは野村先生からの電話

2007年に大学を卒業して2009年の6月15日にファジアーノ岡山に入社しました。きっかけは2009年の5月5日に恩師である作陽高校の野村(雅之)先生からかかってきた電話でした。『Jリーグに参入したファジアーノのことは知っているか?』『騙されたと思って代表に会ってみろ』という話をいただき、木村(正明)さんと会って話をさせてもらう機会をいただいたんです。

大学を卒業するときにもサッカー関係の仕事がしたいなと思っていたんですが、新卒で入れるようなクラブもなかったですし、『まずは自分の長所を作った方がいいよ』というアドバイスをもらったりもしたので、自分は営業で頑張っていこうと思って就職しました。

それで広告代理店に入社したんですけど、飛び込みの営業ばかりしていましたね。『駅に広告を出しませんか!』って1日200社くらいを回っていましたし、『アドトラック』って言ってトラックに広告を付けて音楽をガンガン鳴らしながら走らせるっていうこともやっていました。アーティストが新しい楽曲をリリースしたら、トラックを走らせながら駅の前でゲリライベントをやったりもしました。そういう仕事を大阪と東京でやっていたんですけど、木村さんとお話させてもらってからはすぐにファジアーノで働かせてもらうことを決めましたね。

野村先生には『普及コーチはどうか?』って言われていたんですけど、僕は木村さんと会ったときに『背広組で頑張りたいです』っていう話をさせてもらったんです。そうしたらまだまだ営業収入を増やしていかないといけないので話もすぐに進んでいき、木村さんとお話ししてから1カ月後にはファジアーノで働き始めていました。

 

法人営業としてクラブを支えた13年間

経営者の方々とお会いするときは、基本、サッカーの話はしないです。僕が作陽でサッカーをやっていたことを知っていただけている方も中にはおられます。誤審で取り上げられたことを覚えている方もいらっしゃいますけど、経営者の方々の興味、関心のあるところは全く別のところなんです。木村さんからも最初の頃にずっとそういう話をしていただいていましたし、自分自身も経営者の方々と会っていく中で、話していくことはサッカーのことじゃない。経営の話、人事や組織の話ができないと付き合ってもらえないと思ってやってきました。

Jリーグに参入したばかりの頃は、電話をしても会社の受付の方に『ファジアーノ』をうまく聞き取ってもらえなかった。そういう状況で協賛していただくことは当然、難しかったですけど、それは単純に僕たちの知ってもらう努力が足りていなかったと思います。だけど、熱量だけはすごくありましたね。当時は日付が変わるくらいまで会社にいて、その後に社員同士で飲みに行くこともありましたし、経営者の方々ともよく会食に出掛けていました。どれだけ会食に呼んでいただけるかが1つの勝負だと思っていたので、呼んでいただけたら必ず行くスタンスでやっていましたから。

そうやって突っ走ってきて10年以上が経ちましたけど、まだまだ風向きが変わってきた感覚はないです。ファジアーノのことを知らない方は少なくなっていると思いますけど、スポンサーフィーをいただくことは簡単なことではない。昨年はコロナ禍の影響もあって前年比マイナスになりましたけど、これまで最高で7億9千8百万円のスポンサーフィーをいただけています。J2参入当時はクラブ全体収入2億円台の規模でスタートしたことを思えばファジアーノの規模も大きくなったなと思いますけど、他のクラブの成長度合いも考えるとまだまだ。僕らがJ2に参入した当初は10億円あればJ1に昇格できると言われていましたけど、今はもうJ2の平均が15億円になっていって、親会社があって30億円の規模があるクラブもJ2にいる。目線をもっと上げていかないと苦しくなると思っています。

 

リージョナルディベロップメント室の室長として

もっとクラブの規模を大きくしていかないとJ1昇格も見えてこないですし、もっと頑張っていかないといけない。ただ、企業を訪問している中でもファジアーノにJ1昇格を期待されている方は多いですけど、成績の結果だけではなく岡山県全体を盛り上げることを期待してくださっている経営者の方々もいらっしゃる。ファジアーノがこの地域で果たす役割はいろんな役割があると思っていて、そういう中でリージョナルディベロップメント室が立ち上がりましたが、これからやっていくこともこれまで同様に仲間づくりだと思っています。ファジアーノを知っていただくため、好きになっていただくため、そのために新規事業に取り組んでいこうと思っています。

この前、村井を取材していただきましたけど、岡山市の体育施設の指定管理も僕らの室の1つの事業で、施設を整えていく中でいろんな方々とのコミュニケーションが増えています。そういったことを続けていきたいですし、商品開発という面で宮下酒造さんとコラボをしてビールとレモンサワーを販売させていただいていますけど、そういった形で日常の中にファジアーノがどう入っていくかが大切だと思っています。各小売り店にも『ファジビール』と『ファジレモンサワー』を置いてくださっていて、ポップを貼ってくださっている店舗もあります。そういう形で生活の中のふとしたときにファジアーノが入ってくるような商品を作っていきたいと思います。

 

最後に、プロサッカー選手を弟に持つ櫻内さんに育った環境について聞いてみた

僕は小3のときにサッカーを始めました。キッカケはJリーグの開幕です。それからはサッカーばかりしていましたね。弟とは5つ離れているんですけど、友達と遊んで帰ってきた後によく弟と2人で公園に行ってボールを蹴っていました。ただ、弟がそんなにサッカーばっかりやっていたかと言うと、そうじゃないです。小学生のときはクラブチームに入りながら野球部にも入っていたし、ラグビーも好きですよ。この前に澤口ともこんな話をしましたけど、やっぱり最後は気持ちが強いかどうかだと思いますね。

僕もプロを目指して続けてきましたけど、大学のときにプロの選手のプレースピードに面食らったんです。サンガと練習試合をしたとき、森勇介選手が本当にめちゃくちゃ速かった。『プロってこんなに速いんだ!』って思い、『俺は絶対にプロになれないわ』って思っちゃったんです。僕はそこでプロへの扉が閉ざされた感じがしたんですけど、今思えば自分で扉を閉ざしたんだなって思います。プロになっていく選手は、そこからなにクソ根性で頑張っていくと思うし、速いなと思ったら自分なりの対処法を考えていくと思うんですけど、自分はそこで気持ちが負けちゃったんですね。

青山敏弘(作楊高校で後輩だった)もそうだと思うんです。彼自身も言っていますけど、作陽に入学したときは、誰も彼がプロになるなんて思っていなかったですから。足は遅くて身体能力はぜんぜん高くなかったけど、負けん気が本当に強くて不思議と1年のときから大きな試合で抜擢されては結果を出していったんです。ああいうヤツのことを持っているって言うんでしょうけど、青山はチャンスをつかむための準備もしっかりとしていましたね。

僕が高3でハンガリーに遠征に行かせてもらったとき、治安があまり良くないからホテルの敷地から絶対に出るなと言われていたんです。でも、そう言われたら余計に出たくなりますよね(笑) 僕ら3年はこっそり外出したんですけど、後にプロになる青山と池松(秀明)は2人でホテルの敷地内にあるグラウンドで自主練習していたんですよ。結局外出していたことがバレて、先生は外出していた僕らも『自分たちで散策して違う文化を学ぼうとする姿勢はいいと思う』って褒めてくれて、もちろん自主練していた青山たちのことも褒めていたんですけど、やっぱり自主練していた2人がプロになりましたよね。

〈 了 〉

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