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石井紘人のFootball Referee Journal

【石井紘人コラム】ゼロックス後に家本政明主審が批判された理由

ゼロックススーパー杯の判定が、ここまでの騒動になるとは思わなかった。

今週水曜日、サッカー協会の審判委員会「Jリーグ対応セクション」による、メディア向けの判定基準講習会が行われた。そこで流されたゼロックススーパー杯で問題とされた数々のシーンのスローリプレーは、家本政明主審のジャッジがここまで問題になるものではないことを物語っていた。

では、なぜここまで問題が大きくなってしまったのだろうか。

一つは、我々も含め、ルールへの理解不足がある。この日の講習会でも、家本主審のジャッジに対する質疑応答の中で、「佐藤寿人がPKを蹴る前に、GKのタイミングをずらす動き、フェイントで釣る動きをした。あれは、ファウルではないか?」という質問があった。しかしこれは、以前のルールだ。

サッカーのルールはかなりのスピードで変化している。講習会では、ビデオ映像を使い、ひとつ一つをファウルか否か判断するテストのようなものが行われたが、私の結果も惨敗だった。ファウルの判断は合っていても、警告と退場の判断で間違いが多かった。このテストはJリーグ各クラブの選手も受けたが、全問正解はわずか1人、半分以上正解した選手はたったの5割で、ほとんどがそれ以下だったという。

このように、我々メディアも含め、ルールへの理解不足がある。そのズレが審判に対する不信感を生んでしまうのだ。

そしてもう一つが、審判の本質に対しての理解だ。家本主審について、ゲームコントロールが不十分だったとする意見が新聞報道をはじめ巷に溢れているが、そもそも審判のゲームコントロールとは何なのだろうか。その内容を聞いていると、試合の“空気を読む”という意味合いで使われているのも少なくない。

立ち上がりにPKや警告の判定があると、「まだ立ち上がりでしょ。空気読んでよ。試合をコントロールしてよ」とぼやく声がよく聞かれる。その気持ちは理解できなくもない。しかし、実際に立ち上がりだからといって、注意で済ませたり、PKをとらなかったら、次に同じシーンが起きたときにどのような判定になるだろうか。どんどんおかしくなってしまう。

審判に必要なのは、見えないことをなくすのはもちろんだが、見えたものに対してしっかりと対処すること。そしてその判定にブレがないこと。さらに、選手とコミュニケーションをとるマン・マネージメント能力だと思う。

それは、警告を注意で済ませるというものではない。事前に、警告を出さなくていいように注意するのはもちろんだが、警告に値するファウルだと判断したのならば、注意ではなく迷わず警告を出すべきだ。それが基準になるからだ。

コミュニケーションをとって警告を出せばいいし、警告を出した選手を落ち着かせればいい。こういったことを含めたものが、ゲームコントロールではないだろうか。

 

ゼロックススーパー杯で、家本主審は早い段階で警告を出したが、前半は決して荒れていなかった。それでも、警告の多さがゲームコントロール力の欠如とイコールにして語られている。

逆に、東アジア選手権での日本対中国戦では「主審はカードを出してゲームをコントロールするべきだった」という論調が多かった。つまり、審判、そしてゲームコントロールというものは、カードの枚数などで決められないのだ。警告が11枚出たという結果だけを見て、試合中のレフェリングも見ず、「荒れた試合になった」と評したり、先入観のみで批判をするようでは、サッカー文化の進歩はない。

どうやら、家本主審は一定期間、Jリーグの割り当てからはずされるようだ。完璧なレフェリングはめったに見られないと思っているが、確かに完璧なレフェリングではなかったから、こうした処分は仕方のないことかもしれない。

 

しかし、ならばこうも言わなければならない。講習会で流されたPKのルールを説明する映像の中に、ドイツW杯日本対クロアチア戦の川口能活のセービングシーンがあった。ゼロックススーパー杯でやり直しを命じられた曽ケ端準は、キック前に2歩飛び出ていたのに対し、川口は範囲内とされる半歩も前に出ず、ライン上であのスーパーセーブをしていた。

家本主審のレフェリングが議論の的になるのならば、選手のプレーもしっかりと分析されなければ「互いにフェア」ではない。今回の問題を受け、改めて強く思った。(了)

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