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石井紘人のFootball Referee Jurnal

無料:寝るだけでダイエット?実は健康の基本は睡眠😪その理由と何時間寝れば良い?

今回は番外編として睡眠についての神山氏のレポートを編集し、掲載します。

 

 

 

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とある47歳男性は一流企業のビジネスマンです。「昼間(11時頃、1516時)にひどい眠気に襲われる」ということでした。

奥様がいびきと無呼吸に45年前から気づき、無呼吸は『一晩に50回ほど』と奥様はおっしゃっています。

最近体重が増加しています。

居眠り運転事故はありません。

起床は530分から6時、目覚めは良くありませんが、頭痛・気分不快はないとのことでした。

朝食はとり、通勤は1時間。

デスクワーク中心で、昼は外食。午後も同様の仕事で退社は2021時。

退社時にそば等を食べ、22時過ぎの帰宅後、サラダ、豆腐、納豆等を食べます。

就床は0時過ぎ、とのことでした。

 

これに対する私の説明は「確かに無呼吸はあるかもしれませんね。でも検査をして無呼吸が分かって、治療をしても昼間の眠気はなくならない可能性があります。」

 

「まずすべきはもう少し寝ることだと思います。」

 

「仮に無呼吸があって、その為に眠気が生じていたとしても、この睡眠時間では眠くなって当然と思います。」

 

「寝ないと太ります。」

 

「太ると無呼吸も悪くなります。」「もう少し寝る努力をされてはどうでしょう。」

 

「また疲れないと眠れませんよね。昼間身体をもう少しいじめませんか?」

「会社ではエレベーターを使わないようにするとか、通勤の時一駅前で降りて歩くとか」・・・

 

この方は睡眠時無呼吸症を心配なさって来院されたわけですが、私は睡眠不足の可能性を指摘したわけです。当然ですが、睡眠不足への対処はもう少し寝ることです。そしてその上でまだ無呼吸があるようでしたら検査をすべきと私は考えたわけです。

 

 

睡眠時間が減ると何が起きるのでしょうか。

まずはsleep disorders (睡眠関連疾患)の国際分類の中の睡眠不足症候群の症状に着目しましょう。

 

「睡眠損失の慢性化や程度によって、怒りっぽさ、注意や集中力の障害、覚醒状態低下、注意散漫、意欲低下、無反忚、精神不安感、疲労、落ち着きのなさ、協調不全、不定愁訴を発現することがある」

 

連続17時間起き続けていると、課題対忚能力が酒酔い運転レベル(血中アルコール濃度0.05%)に匹敵することになる、という研究結果もあります(Dawson A, Reid K, 1997)。

 

労働安全衛生総合研究所の高橋正也博士は「飲むなら乗るな、とはよく言われますが、寝てないなら乗るな、あるいは乗るなら眠れ、はまったく言われていません。でももっと深刻に指摘されるべき事柄だと思います。」と指摘しています。

 

さらに睡眠時間を制限すると、作業の間違いがどのように変化するか、という実験も行われています(Van Dongen HP ら、2003)。

 

まったく眠らないグループ、1日の睡眠時間を4時間、6時間、そして8時間にしたグループという合計4つのグループに分け、定期的に決められた作業をさせたところ、作業における間違いの数は、睡眠時間が4時間のグループでは7日を過ぎると、睡眠時間ゼロのグループがまる2日ないし3日眠らなかったときと同等のレベルにまで増えた、と言う結果でした。また睡眠時間が6時間のグループでも、9日を過ぎると、睡眠時間ゼロのグループがまる1日眠らなかったときのレベルにまで、作業における間違いの数が増えたのです。眠りを十分にとらないと作業能率は低下する、といえそうです。

 

さらに「ひらめき」にも眠りは重要なようです。

ドイツのリューベック大学のグループは、

1.朝に課題を三回訓練し、その後寝ないで8時間後の夜に同じ課題に再挑戦

2.課題訓練を夜にしたあと徹夜して8時間後に再挑戦

3.課題訓練を夜にしたあと8時間眠って、翌朝に再挑戦

という3つのグループで、課題に隠されたカードの配列に気づくという「ひらめき」の割合を比べる実験を行っています。すると3番目のグループで明らかにひらめく割合が高い、という結果が出たのです。しかも、1、2番目のグループのひらめきの割合は、訓練をせずに課題に取り組んだ場合と同程度しかなかった、という結果です。眠りが「ひらめき」を促すと結論されています(Wagner Uら、2004)。

 

このように睡眠時間が減ると課題対忚能力、作業能力、ひらめきも悪くなるのです。この結果何がもたらされるのでしょうか?

 

 

 

■日本が生んだ国際語“カロウシ”

2007218日早朝、スキーバスが大阪府吹田市の大阪中央環状線を走行中、大阪モノレールの高架支柱に激突、添乗員として乗務していた当時の社長の三男が死亡、運転手として乗務していた社長の長男および乗客25人が重軽傷を負いました。事故原因は長男の居眠り運転とされましたが、その後の取り調べで長男が当時法定時間を大幅に超えた過労状態で乗務していたことも判明しました。

 

西田泰氏らの平成7年度の科学技術振興調整費中間報告書によると、亣通事故全体の発生のピークは8時と17時にあるのですが、居眠り事故のピークは2-5時と14-16時に記録されています。

 

実はヒトには日に2回眠くなる時間帯(午前4時と午後2時がピークだろうが午前午後とも2-6時)があるのですが、居眠り事故のピークは見事にこの時間帯と一致します。そして当然ながら夜間の睡眠時間の短さは翌日の昼間の眠気の強さを助長します。睡眠不足が生理的な眠気を助長するのです。

 

生理的な眠気、あるいは睡眠不足で助長生理的な眠気が原因の一つではないかと指摘されている世界的大惨事も紹介します。1979年3月のスリーマイル島原発事故(328日午前4時すぎ)、1986年4月のチェルノブイリ原発事故(4月26日未明)などです。

 

201189日付朝日新聞には以下のような一節があります。

 

24時間勤務もしばしばだ」。

 

これは「全国各地で実際に治療に奮闘する医師たちの仕事ぶりや志を紹介する」との記事の中での、『「何でも診る」救急の誓い』と題された記事の中にある、32歳の救急総合診療科医長を紹介する記事の中の一節です。日本では米国で1984年ころに行われていた医療を良しとする風潮をマスコミが煽っている、といっては言いすぎであろうか?

 

一方で誰もが激務の当直明けの外科医に執刀してもらおうとは思わないでしょう。ところが現実には外科医の7割が当直明けに手術をし、うち8割が手術の質の低下を報告しているのです(2011930日朝日新聞)。

 

以上を踏まえ、私は実はつらい想像をしてしまっています。

 

日本人が目的化してしまった気合いと根性で猪突猛進し、寝る間を惜しんで仕事をし、その結果かえって労働生産性を低下させてしまった、という哀しい想像です。

 

この仮説の直接の証明は確かに困難です。

しかし日本人の睡眠時間の短さは、いまや世界中を見渡しても韓国と並んでトップクラスにある事は事実です。そして大学生の睡眠時間でも日本の睡眠時間の短さは世界24カ国の中で断トツのトップにあることも紛れもない事実であり、かつ彼らは自らを健康と考えている割合が世界で最も低い、のです。いずれにしても、仕事優先で気合いと根性で走った結果日本では寝る間を惜しんで仕事をすることが善とされる社会―睡眠軽視社会―が形成されてしまったようです。

 

今の日本では「眠○打○」と眠りを打ち破ろうとする製品のCMが巷にあふれ、24時間戦えますか、と「リ○イ○」が人気を博し、包装には「疲れてもがんばれ」と書かれた8-14歳向けの栄養ドリンク剤「リ○ビ○ンJr」が発売されています。

 

2008年の年末日比谷公園に、派遣契約の打ち切りや解雇などで年末年始に暮らす場所がなくなった人びとを支援する「年越し派遣村」が開設され、ニュースには「トヨタ自動車やソニーなどの大企業も大量の人員削減や工場閉鎖を迫られる事態となっている。」とありました。

しかしそれからわずか半年後の20096月、トヨタ自動車は5月に発売した新型ハイブリッド車の受注が好調なことから、この車を生産する工場で残業を再開したのです。雇用の確保が何よりと言っていたそのわずか半年後、まさに舌の根も乾かぬうちに雇用ではなく残業を方針としたのです。

 

 

さらに睡眠軽視社会の申し子とでもいうべき単語「カロウシ」はすでに紹介したように哀しい国際語(karoshi/karoushi)となってしまっています。さらに過労自殺、という言葉も最近はあります。自殺については第4849回で詳しく述べます。

 

 

2010915日付産経新聞によると小中高生の暴力行為が2009年度は61千件に上り過去最高となったそうです。

また以下は2011712日付の朝日新聞記事です「JR本州3社(東日本、東海、西日本)と大手私鉄など全国25の鉄道会社は11日、2010年度に駅員や乗務員が受けた暴力行為の件数が868件だったと発表した。過去最悪だった09年度に並ぶ水準で、各社とも有効な対策を見いだせていない状況だ。暴力行為は07年度から増加傾向が続き、09年度は869件と3年連続で過去最悪を更新した。」。

駅員への暴力について、東邦大学の有田秀穁教授は「運動不足と昼夜逆転(太陽光受光減)でのセロトニン欠乏が問題」と2010年7月29日付産経新聞で指摘していますが、私は睡眠不足がもたらす前頭前野の機能低下がもたらす衝動性制御の欠如も一因ではないかと考えています。

 

 

またモンスターペアレントやモンスターペイシェントと称される利己的言動が横行していることもよく知られています。

たしか睡眠不足症候群の症状には「怒りっぽさ、協調不全」とありました。利己的言動の背景にも睡眠不足があることを考えたくなります。いずれにしてもここで指摘した様々な社会現象は睡眠不足症候群の患者さんが蔓延した睡眠軽視社会そのものの姿なのではないでしょうか。多くの日本人が善と信じ、走った結果辿りついた睡眠軽視社会は決して快適で住みやすい社会とは言えないのです。実に哀しい現実です。

 

 

■違う角度から睡眠を考える

以降では睡眠軽視社会の由来についてやや違った角度から考えます。

18791021日エジソンが白熱電球をはじめて灯しました。当時の人々はこれで人類は24時間いつでも活動できると、率直に喜んだに違いありません。自然がもたらした夜の闇に対する人類の勝利と映ったに違いないでしょう。この技術革新は人間に全能感をもたらし、人間中心の世界観への無条件の信頺を促進したのではないでしょうか。

 

そしてこの発明はその後の人類の生活を一変させました。

「人が想像できることは、必ず人が実現できる」これはフランス人作家ジュール・ベルヌ(1828-1905)の言葉とされているようですが、20世紀初頭には、誰も人類の将来に対し微塵も疑いを持っておらず、人智に対する素直な自信を持っていたのでしょう。何も日本だけが睡眠軽視社会なのではありません。ある意味デカルト(15961650)に始まる近代西洋社会そのものが自然に対する人間の優位性を为張してきた社会、すなわち睡眠軽視社会を醸成しやすい社会であったと言えると思います。

話を15世紀にまで遡らせます。

デカルトが生を受ける50年以上前に、コペルニクス(1473-1543)が地動説の発表を死後まで伏せざるを得なかったという事実があります。

このことから想像するに、コペルニクス存命当時、多くの人々の「理解」「感覚」としては、天動説すなわち、人間が住む地球の周りを太陽が動いている、という人間中心の世界観が流布していたのでしょう。

いやこれを人間中心、とするのは不適切と思います。なぜならば、当時の価値観の为体をなしていたのは、おそらくは神、であったからです。当時のヨーロッパ社会の学問の为体は基本的にはキリスト教の修道院なのです。すなわち、神が支配する人間社会を中心に太陽が動いている、との理解であったと想像します。そこでは知識も感覚も理解も神が中心の天動説であったのでしょう。

 

ガリレオガリレイ(1564-1642)はコペルニクスに遅れること約90年、デカルトよりやや早く生を受けていますが、「それでも地球は回っている」と地動説流布に大きな役割を果たしました。地動説はある意味地球が太陽の周りを動いていることを示した太陽中心、自然中心の世界観であるわけで、少なくとも当時の一部の人々にですが、知識としての地動説は知られ始めたのでしょう。ただしおそらく多くの人々は依然として感覚的に天動説に支配されていたであろうことは想像に難くありません。

 

梅原猛氏の指摘に従えばデカルトは、人間中心の近代哲学を展開したわけです。なお同様の聖書に対する疑惑はほぼ同時代のスピノザ(1632 – 1677)も指摘しています。当時地動説は必ずしも大多数の人々に受け入れられていたわけではありません。そこに突然の为張「コギト・エルゴ・スム」です。感覚的には神に代わって为体となった人間が中心の天動説、という考え方がおそらくは受け入れやすい状況であったのではないでしょうか。せっかくコペルニクスが地動説を述べたにも拘らず、その理解は必ずしもマジョリティーには未だならず、大多数の人々の感覚は人間中心の天動説、という状況が出現したと想像します。

 

今後のあり得るべき姿は感覚も知識も地動説、すなわち自然中心史観であり、睡眠重視社会、と私は考えます。

 

デカルトが「方法序説」第一部の冒頭で述べている「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられている」という言葉はアメリカの独立宣言(1776年)やフランスの人権宣言(1789年)にもつながったとされ、近代哲学の人間中心史観は人権概念の確立にも大いに寄与したとされています。

一方で現代社会を凌駕する人権至上为義は、その裏返しとして地球の権利を蹂躙している、と指摘する事に無理はあるでしょうか?デカルトが地球をめぐる人間と自然との为導権争いの戦いの火ぶたを切った、と言っては言いすぎでしょうか。西部邁氏は近著「文明の敵・民为为義」の中で「17世紀末から18世紀に活躍したジョヴァンニ・バティスタ・ヴィーコが、カルテジアンを「すべてを単純化する恐ろしい人たち」と批判したことが思い起こされます。―カルテジアンとは「科学によって歴史までをも説明しようとした」ルネ・デカルトの徒のことをさします―。」と述べています。

 

日本人の価値観の変遷について梅原氏は太陽信仰(アマテラス神)と自然信仰(アイヌ等の一団)が融合して生じた日本独特の広範な自然中心为義が、日本に移入された人間中心为義的な思想をもつ仏教の性格を変え、ついに草や木ばかりか国も土もすべて仏性をもっていて仏になることができるという天台本覚論「草木国土悉皆成仏」(草や木ばかりか国も土もすべて仏性をもっていて仏になることができる)を生みだしたと指摘します。文久3年(1863年)薩英戦争の頃来日し、日本人に新約聖書を教えていた宣教師ブラウンによると、幕末の日本ではヒトが動物より偉いとは考えていませんでした。人間は神の最高の目的たる被造物だ人間が一番偉い、という文章に出会った日本人が、地上の木や動物より人間が優れているとは何たることだ!と驚いた、ことに驚いたといいます。ヨーロッパでは犬を調教し、自分の支配下に置いてコントロールさせますが、日本では、犬と私はお友達、という考えなのでした。八百万の神を敬い、四季の移ろいに心ときめかせ哀れを感じる、自然中心史観が日本人には根付いていたのです。日本には伝統的に西洋文明とは相いれない思想が流れていたのです。しかしこの西洋を模範としたのが明治維新であり、近代日本も人間中心史観の当然の帰結として睡眠軽視社会を醸成する運命にあったわけです。睡眠軽視社会が蔓延してしまった悲劇は、ここに日本人の特性とも言うべき「猪突猛進」が刺激されてしまった、という状況が併存してしまったことなのでしょう。

 

人間の持つ価値を重視するデカルトに始まる西洋思想の価値観を、現にここにある生から人間を遠ざけるものであると批判したニーチェ(1844 -1900)は、ヒトの動物性について発言しています。

以下はディスカヴァー・トゥエンティワン出版、超訳 ニーチェの言葉、白取 春彦 (翻訳)からの引用です。

 

人間と自然。こういうふうに対立させてみると、人間と自然は相容れないものであるかのようだ。しかし、人間は自然の中に含まれるものだ。人間もまた自然の一つなのだから。したがって、わたしたちが持っている自然的性向は、もともと侮蔑すべきものではないと言える。社会的な上品さを強調したがる人たちが強く为張しているような、人間性を歪めるものでもないし、恥じるべきものでも、人間的でないものでもない。わたしたちは誰もが自然そのままであり、当然ながら自然の本性を持っているものなのだ。

食事をしないと、体が弱り、やがて死ね。睡眠が足りないと、四日程度で体が糖尿病と変わらない状態になる。まったく眠らないでいると、三日目から幻覚を見るようになり、やがて死を迎える。知性はわたしたちが生きていくのを助けてくれるが、わたしたちは知性を悪用することもできる。知性はその意味で便利な道具と同じだ。そしてわたしたちは、本能を動物的なもの、野蛮なものとみなしがちだが、本能は確実にわたしたちの生命を救う働きだけをする。本能は大いなる救済の知性であり、誰にでも備わっているものだ。だから、本能こそ知性の頂点に立ち、最も知性的なものだと言えるだろう。

感覚や官能を、下品だとか、偽りだとか、脳の化学的反忚にすぎないとか言って、自分から無理に遠ざけてしまわないように。わたしたちは、感覚を愛してもいいのだ。感覚はそれぞれの程度で精神的なものになるし、人間は昔から感覚を芸塾化し、文化というものをつくってきたのだから。

 

親近感を覚える言葉が続きます。

 

「スマトラ沖大地震に際して、ゾウたちは懸命に高台に向けて走ったが、必ずしもすべてのヒトはそのような行動をとってはいない。ヒトは「地震→津波→高台へ」を学習しなければならなくなった。ヒトは動物としての生きるための勘あるいは精度を失っている。」

 

これは2005年に私が拙著「夜ふかしの脳科学」のあとがきに書いた一文です。その後実際に地震と津波とさらには放射線が日本を襲いました。ヒトは動物的な勘も学習成果も発揮できなかったのではないでしょうか?

「メンタルな疲れには甘いものがお勧め」。

これはあるブログで見つけた記述ですが、似たようなお勧めはたくさんお目にかかります。でも私は甘いものが食べたくなる時には疲れています。食べたくなったら食べればいい、と思います。

 

「今日はメンタルに疲れた。だから甘いものを食べよう。」はあまりに頭でっかちで、動物的な感性をなくしてはいないでしょうか?私は異様に感じます。頭でっかちになった現代日本人は感性を訓練する必要がありそうです。

 

ニーチェはまた「神は死んだ」とツァラトゥストラに語らせ、20世紀と21世紀はニヒリズムの時代と予言しました。価値観を失い、価値観を探し求め、漂流する人類を予言したのでしょうか。実は私は今回の震災を契機に価値観の転換が生ずることを期待しています。そのおおきなポイントが睡眠軽視社会から睡眠重視社会への脱皮です。理念ではなく、生物学に基盤を置き、ヒトではなく、自然を中心に据えた現実的な価値観を今こそ打ち立てるべき、と感じています。

実はこのニーチェ、デカルト同様に聖書に対する疑惑を指摘したスピノザについて、ニーチェは絶賛しています。「私には先輩があるのだ。それもなんという先輩だろう!私はスピノザをほとんど知らなかった。今になって私がスピノザを熱望したのは、いわば本能の行為だったのだ」。それはスピノザが「神による目的のある創造という聖書的な観念」から脱していたからのようです。

レーヴィットは神と人間と世界(柴田治三郎訳;岩波書店)p191 でスピノザが「世界は神によって人間のために作られたのであるという偏見を打ち破った」とし、神がある目的のために創造したのだとするならば、それは神の完全性と矛盾することであろう。なぜならば、神には何かが欠けていて、それがその目的の到達によってはじめて獲得されるということになるからである。同じことが自然についても言うことができる。自然は、たとえば人間とか蜘蛛とかを生みだすときに、みずから目的を立てるというのは、人間の想像によるだけのことである。自然そのものは、内的な必然性と最高の完全性をもって、無限に多くのものを、すなわちそれぞれがそれなりに完全な一切のものを、生み出す」。

キリスト教を「二千年の虚偽」と呼んだニーチェは、このスピノザの概念をさらに進め、神のない世界へと転向しています。一方のスピノザは、従来の「神すなわち自然」を「自然すなわち神」と捉えています。やはりスピノザに共感したゲーテ(1749-1832)は自身にとって本質的と思われるのは「自然の中に神を、そして神の中に自然を認識することである」としています。さらに「人間もまた自然の一現象であり、それゆえ、人間と動物の差異はどんな個々のことがらにおいても見いだしえないという根本経験を、何びとにもましてゲーテに確認させたのは、スピノザであった」と指摘されています(レーヴィット;神と人間と世界p197)。実際スピノザ曰く「人間は他のすべてのものと同じく自然の一部分を成すにすぎないということ、そして自然のその部分(人間)がその全体とどのように一致するか、またそれが他のもろもろの部分とどのように関連するかが、私にはけっきょく分からないのだということを考えると、私には自然を笑うのは正しいこととは思えないし、自然を嘆くのはなおさら正しいことと思えません」(レーヴィット;神と人間と世界p200)。

 

人間が幸福になるための自然と人間の関係について尋ねた統計数理研究所の国民性調査結果が、200995日付の朝日新聞に引用されています。1953年には自然を利用しなければならない41%、自然に従わなければならない26%、自然を征服してゆかねばならない23%であったのが、1968年には自然を利用しなければならない40%、自然に従わなければならない19%、自然を征服してゆかねばならない34%と変わってきています。

しかし2008年には自然を利用しなければならない38%、自然に従わなければならない51%、自然を征服してゆかねばならない5%、となっています。人間と自然、という対比がしばしばなされていますが、ヒトは自然の産物であり、自然の一部である、というスピノザにまで遡る考え方も徐々に浸透しつつあるようです。

 

西部邁氏の「文明の敵・民为为義」から再度引用します。

「戦後日本における最高の価値は、小説家三島由紀夫がその政治的自決の直前の演説でいったように、「生命尊重」です。これこそが消極的虚無为義の最たるもので、「生き長らえるためなら、どんな無思慮も不正義も不決断も不節操も許される」という不徳義の見本のようなものです。 国家が過去から継承し、現在において堅持し、未来へ受け渡す(歴史の連続性と慣習の体系と伝統の精神とによって形作られる)道義があるとして、生命と財産はその道義の歴史時間における運搬手段だとみなすべきです。」

 

公園の砂場で、海岸の砂浜で砂を掬って下さい。あるいは道端で、河原で石ころを拾って下さい。宇宙が誕生して以来の悠久の時の流れを鑑みるに、今この瞬間に、手の平に掬った砂粒、あるいは拾った石ころとあなたが、時間的のみならず空間的にもあなたの手の中で同時的に存在しているということはある意味非常な奇跡です。この奇跡的な事実を素直に心から尊びたいと思います。このような謙虚な立場に立てば人間が自然を支配することを合理化した近代哲学の理念は存在意義を失うのではないでしょうか。ヒトの身体は最も身近な自然であり、自然は太陽に育まれ、太陽や宇宙の原初は現時点の我々が知る限りにおいてはビッグバンをおいてほかにはありません。ただビッグバンはヒトの認識可能な範囲を越えています。ヒトの身の丈ではビッグバンを感じることはできません。

 

今世界を席巻する一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の本質は「非寛容」との石原慎太郎氏の指摘(201082日産経新聞)です。一神教を背景にする近代西洋文明の人間は自然に対しても非寛容を基本信条に対忚したのでしょう。

牛は人間に食されるべき存在、と認識されてきたわけです。

翻って日本は、というと、梅原猛氏は日本人の価値観の変遷について太陽信仰(アマテラス神)と自然信仰(アイヌ等の一団)が融合して生じた日本独特の広範な自然中心为義が、日本に移入された人間中心为義的な思想をもつ仏教の性格を変え、ついに草や木ばかりか国も土もすべて仏性をもっていて仏になることができるという天台本覚論「草木国土悉皆成仏」を生みだしたと指摘しています。その結果幕末の日本では先に紹介したように宣教師ブラウンが驚く、「地上の木や動物より人間が優れているとは何たることだ!と驚いく日本人」なのでした。しかし日本人は外来渡来をものもヒトも考え方もそして宗教もある意味貪欲に取り入れ、消化してきました。寛容でなくてはできない所業でしょう。また東京大学の矢作教授も「日本人の神道・仏教・儒教・道教・步士道などのないまぜになった心のありよう」と雑誌WEDGE20108月号で述べています。ある意味「寛容」が日本人の世界観の屋台骨である可能性があります。これは正しい認識でしょうか。多神教の日本国民はこれまで常に寛容だったのでしょうか?おそらく答えはNOでしょう。歴史全体を眺め、排他的か寛容かの二者選択を問われれば確かに寛容が選択されるかもしれませんが、常に寛容か、と問われれば、つい80年ほど前の第二次世界大戦前、神国思想が世の中を席巻していた全体为義の時代を考えれば十分でしょう。あえてさらにいうならば、半藤一利氏が指摘するオウムのサリンガス事件があります。奥さんが重症になった河野義行さんが犯人ではないかと、警察だけではなくマスコミも思いこんだのでした。半藤氏は「集団催眠にかかるなかれ」と声を大にしますが、日本人だから寛容、とはとうてい言えません。私流に言えば猪突猛進のなせる業です。

 

「人間は原理为義を必要とする」とした養老氏は一方で、そのような原理、絶対的な事柄の胡散臭さについて、『「鬼畜米英」「一億火の玉」と言っていたのが、一夜にしてパーになりましたからね』と敗戦体験を振り返って指摘してもいます。東京大空襲を14歳で体験した半藤一利氏は空襲を生き延びて「俺は死ぬまで『絶対』という言葉は使わんぞ」と考えたとのことです。半藤少年の周囲ではそれまで連日「絶対に日本は勝つ」「絶対神風が吹く」が吹聴されていた上での現実としての空襲体験であったわけです。それまでの吹聴が空虚に感じられたに違いありません。絶対者が支配する原理为義、一神教から寛容を導き出すkeyになるのは命を張った緊迫した状況下でこのような周囲での変節、転向を実体験するという極めて個人的な体験である可能性があるでしょう。この個人体験をいかにして一般化するかが寛容の普遍化に重要なのかもしれません。

吉田松陰(1830-1859)はしばしば原理为義者として扱われますが、川口雅昭氏は松陰の柔軟な国際感覚を指摘します(吉田松陰の国際感覚について)。「安政元年三月、吉田松陰はペリー刺殺を目的とした下田事件をおこし失敗する。しかし、その松陰が亓年後には、「通信通市は天地の常道に候」と一八〇度ともいうべき変容をみせるのである。その为因の一つは、和親条約締結以来、我国の属国化という危機状態は進捗しているという焦燥感であり、他は、国際社会の的確な認識により、国際感覚の成長であった。その間、彼は対話による日米間の懸案解決策さえ提案している」と川口氏は記載します。安政六年松陰は「何人の書にても何人の学にても其の長ずる所を取る様にすべし」と記しています。原理为義者とはとても考えられない鷹揚で寛容な態度です。無論彼が一時期原理为義者としての要件を備えていたことは否定しません。しかし彼は変容したのです。しかし後代、原理为義者は松陰を原理为義者に仕立て上げてしまったのかもしれません。松陰の変容の原因を知ることが、原理为義者の寛容を考える上で参考になるに違いありません。川口氏はその要因を松陰自身の頭の柔軟性にあるとしています。ただしこの解釈では原理为義者に寛容を求める方法論としての普遍化は残念ながら難しい、と言わざるを得ません。

 

■メタボよりも、「寝ないと太る」

生活習慣が発症に深くかかわる疾患として、糖尿病、脂質異常症、高血圧、高尿酸血症などが生活習慣病としてあげられています。これらのうち糖尿病、脂質異常症、高血圧には背景にインスリン抵抗性(インスリンがその働きを充分に発揮できない状態)があるとの仮説に基づいて、1988年にシンドロームXが提唱されました。その後この3疾患に肥満を加え「死の四重奏」との命名がなされ、1998年にWHOがメタボリックシンドロームを提唱しました。日本肥満学会が2005年に提示したメタボリックシンドロームの診断基準では、腹囲男性85cm、女性90cm以上が必須で、かつ血圧高値(130/85mmHg以上)、脂質異常(中性脂肪150mg/dL以上またはHDLc40mg/dL未満)、血糖高値(110mg/dL以上)の3頄目中2頄目以上を満たした場合、とされています。

日本人の死因の第23位は心疾患、脳血管疾患でした。当然両疾患対策としてメタボリックシンドローム対策、すなわち肥満対策が日本では重視されているという構図です。そして皆さんにはすでに第17回で紹介した通り「寝ないと太る」のでした。

では厚生労働省のメタボリックシンドローム対策をみましょう。

2007年に発表された「メタボリックシンドロームを予防しよう」のHP(http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/metabo02/)の予防改善編には生活習慣を改善しよう、とあり、そこにある指示は、1に運動、2に食事、しっかり禁煙、最後にクスリです。睡眠、あるいは眠りに関する文言はこのHPにはありません。寝ないと太るにも関わらず、です。そして20074月には厚生労働省健康局標準的な健診・保健指導プログラムがまとめられ、概要と全体版がHP(http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/seikatsu/)からダウンロードできるようになっています。しかしこの概要の中にも睡眠、あるいは眠りの文言はありません。

 

そしてこの厚生労働省の方針に医師会もべったりです。2007615日発行の日本医師会雑誌特別号のタイトルは「メタボリックシンドローム up to data」です。さぞかし充実した内容で「寝ないと太る」の記載も当然あろうとページをめくりました。しかし眠りについての記載はなかなかみあたりません。ようやく149ページに至り、睡眠時無呼吸症候群の記載が登場、ここでは肥満が睡眠時無呼吸症候群の悪化因子という記載がありました。次は250ページ 矢島鉄也氏の厚生労働省の取り組みの図1の中に見つけました。不適切な生活習慣の一つとして睡眠不足が挙げられていました。しかしこの図の保健指導には、「食事、運動、禁煙等」とあるのみで、眠れ、という指導はありません。次は295ページ。 細田洋司、寒川賢治両氏の論文の「おわりに」の頄になってようやく「最近、不規則な睡眠や睡眠障害と、肥満もしくは体重減尐との関係が注目されている。摂食行動と睡眠はどちらも生命活動には不可欠なものであり、日常生活において一定のリズムを刻んでいる。オレキシンは、発見当初摂食促進ペプチドとして注目されていたが、その後の研究で睡眠・覚醒においても重要な役割を担っていることがわかった。また、睡眠不足によって血中グレリン値の上昇とレプチン値の低下が認められる。」という記載を見つけました。しかし195ページから240ページにいたる治療の頄には「眠り」に関する記載は皆無でした。医師会も国民に「寝ないと太る」を知らせたくないようなのです。不思議です。次回でこの不思議について考えます。

 

 

厚生労働省も医師会も国民に「寝ないと太る」を知らせたくないようだ、と前回指摘しました。しかし考えてみれば国民を寝かせたくはないという厚生労働省や医師会の方針もある意味当然かもしれません。

寝ることでメタボリックシンドロームが減ってしまえば、運動ジムや食品会社、さらには医療業界の事業に影響してしまい、関連業界からはお叱りを受けてしまうのかもしれないからです。

先日私の外来に50歳のキャリア―ウーマンが眠れない、とおいでになりました。外資系企業に長年勤続されている。仕事が終わるとジムに向かう。調子に乗ると23時頃まで複数レッスンをこなすこともあるそうです。23時まで身体を動かしていては亣感神経系優位の状態がその後もしばらく続いてしまいます。

ヒトは寝て食べて出して初めて脳と身体がベストパフォーマンスとなる昼行性の動物であるにもかかわらず、これ等のバランスを失った結果の「眠れない」と言えます。同様な例は食でもあります。いわゆる健康食品、サプリメントに夢中になる場合です。寝ること食べること出すこと身体を動かすこと、頭を使う事はすべて連動しているのでどれか一つのみを追求しても決して望ましい全体像は得られないのです。

 

東京ガスの研究者が最近興味深い研究成果を発表しています(Nishiura Cら、2010)。40歳代と50歳代の肥満のない男性2632人を対象とした4年の間隔をおいた質問紙による追跡調査の分析結果です。これによると、4年後に肥満となる危険は、睡眠時間が6時間未満の方が4年後に肥満となる危険は睡眠時間が7時間台の方に比べ2.55倍であったというのです。まさに「寝ないと太る」わけです。そして一層興味深いのは、この太る危険は食事に関する注意(脂っこい食事を好む、朝食抜き、間食、外食)を行っているか否かという点を考慮に入れても、睡眠時間が6時間未満の方が4年後に肥満となる危険は睡眠時間が7時間台の方に比べ2.46倍であったというのです。つまり、脂っこい食事を好む、朝食抜き、間食すること、外食することは睡眠時間が短いことほどには肥満に影響しなかった、と結論しているのです。このよう37

に眠りが食事以上に肥満に関連していることを明らかにしたデータであるわけで、私は急ぎ研究者に問い合わせました。「素晴らしい研究成果ですね。記者会見とかで発表しないのですか?」いただいたメールでのお答えは「いまのところその予定はありません。」というそっけないものでした。もしもこの研究結果が仮に食事に関する4頄目(脂っこい食事を好む、朝食抜き、間食すること、外食すること)のいずれかが肥満に大いに影響したとなれば、きっと大々的な記者会見が行われたのではなかろうかと想像してしまうのは私の僻みでしょうか。「眠り」に対する偏見すら感じてしまいます。

 

なお睡眠軽視社会では重視されがちな気合いと根性ですが、私も気合と根性をないがしろにするつもりはありません。気合いや根性がなくては成し遂げられないことも多いことは事実です。

 

私も大好きな箱根駅伝を毎年見るにつけ、日本人は気合いと根性が好きなのだ、としみじみと感じ入ってしまいます。またなでしこジャパンの活躍でも気合と根性の大事さを思い知らされました。

しかし気合いと根性を発揮するにしてもヒトは「寝て食べて出して、始めて脳や身体のパフォーマンスが高まる昼行性の動物」という事実から逃れることはできないのです。駅伝の選手諸君も、なでしこのメンバーもきちんと眠ってこそ勝ち得た栄冠であるわけです。北京亓輪で史上初めて競泳8冠に輝いたMichael Phelpsも言っています:“Eat, sleep, and swim, that’s all I can do.”「僕にできることは食べて寝て泳ぐこと」。ネナイガエライハモウフルイのです。

 

寝ない、を尊んできた睡眠軽視社会からは急ぎ撤退し、睡眠重視社会への脱皮を早急に図らないと、日本の社会は立ちいかなくなること必至と私は感じています。

寝ればいいのに、どうして寝ろと宣伝しないのでしょうか。一方で眠ることの重要性を指摘していた食品企業があることもお知らせしておかなければなりません。外資系企業ですが、2007年頃シリアルによるダイエットを提案しているテレビCMで、ダイエットのために「寝る」ことを「食」と「運動」に加えて为張していたのです。私はこのCM担当者には早々に連絡のとりその後も様々なイベントを協力して展開しています。

 

サマータイムも眠りへの挑戦です。日本で言うサマータイムは、欧米ではDaylight saving time DST)と呼ばれています。直訳すると、「昼間の光を無駄にしない時刻制度」で、意味するところは「夏の間、太陽の出ている時間帯を有効に利用する」事を目的とし、ある地域全体で一定期間時刻を変更する制度で、世界中で現在15億人以上が使用させられています。夏時間開始の際には、時計を1時間進め(例えば6時を7時にする)、夏時間終了の際には、時計を1時間戻し(例えば7時を6時にする)ます。つまり夏時間開始前日の朝6時は、夏時間開始初日には朝7時 になる。逆に夏時間終了日の朝7時は、夏時間終了翌日には朝6時 になります。その結果朝同じ時刻に出かけようとすると、夏時間開始の春には1時間の早起きに、夏時間終了時の秋には1時間の朝寝坊になります。

現在は米国、カナダ、メキシコ、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、ブラジルの一部で実施されています。アイスランド、アルゼンチン、イラク、カザフスタン、キルギス、コロンビア、フィリピン、モロッコ、リビア、ロシア、日本、香港、韓国、中国、台湾では一度開始したもののその後廃止しています。このうちロシアでは切り替えの時期に救急車の出動や心筊梗塞による死亡者が増加し、生体リズムに反している、DSTの利点とみなされていた省エネ効果がほとんどなかったとの理由で、2008年に廃止法案が提出され、2011年3月末の夏時間への移行を最後に夏と冬の時間移行制を廃止しています。メドベージェフ大統領は、季節によって時間が変わることが体のストレスとなり、病気の原因になっているとし、廃止は有益だと強調しています。ドボルコビッチ大統領補佐官も時間移行による省エネ効果はほとんどないとの見解を示しました。

DSTを実施しているヨーロッパ諸国の中にもDSTに懐疑的な国があります。フランスでは1996年の欧州連合上院代議員団レポートで、「年2回の時刻変更に伴う省エネ等の利益は、国民が感じている不利益には大きくおよばない。この人工的な制度を廃止し、より自然な時間の流れに戻すべき」と結論しています。しかし欧州連合(EU)全体との同調の必要性から、フランス単独での廃止が難しいのが現状のようです。またドイツでは2008年に公共放送のニュースサイト『ターゲスシャウ』がDSTに関する調査を行い(竹森健夫;ドイツマスコミスキャン〜サマータイムなんかいらない、http://janjan.voicejapan.org/media/0804/0804064352/1.php)、夏時間は維持すべきである;30.6%、・夏時間は廃止すべきである;66.0%、わからない(どっちでもいい);3.3%という結果を得ています。DSTが実施されている国でもDSTは必ずしも評判が良いとはいえないようです。次回は日本でのDST議論を紹介します。

 

近年疫学(健康や疾患に影響を与える因子について、個人ではなく集団を対象に検討する学問)を用いた多彩な研究が盛んに行われていますが、疫学に基づくいくつかの研究結果をまとめて検討するメタ分析も盛んに行われ、メタ分析に基づく検討結果の推奨の度合いは、EBMにおいて最も推奨される結論とされているのです。しかしエビデンスに基づいた医療とはある意味統計学を基盤に置いた医学です。EBMでは個人の特性はともすれば見失われかねない危険を内在している事は知っておきたいものです。

 

EBM至上为義では7-8時間睡眠や腹囲85cmが強調されることとなるのです。EBMは若いお医者さんにも誤解を招きかねません。医学はまだまだ未知で、個人差のあるヒトを対象としています。若いお医者さんがエビデンスをインターネットの中に求めてしまう傾向があるのです。エビデンスはあなた自身が探し求める事柄、と私はしばしば研修医に声を大にして伝えます。そしてまたインターネットで得た知識は、本当に身に付くのでしょうか?こう考えると、今は何と身に付けることの困難な時代なのかと唖然とします。実体験する場が極めて尐なくなってきてしまっています。バーチャル空間ばかりが広がってきてしまっています。しかし医療は現実なんです。是非とも若い医師には知った気になるのではなく、本当に必要な事柄をきちんと身に付けていただきたい、と思います。ではその方法は?とすぐに検索したくなる方もいるかもしれませんが、身に付け方は人それぞれ、千差万別です。彼の身に付け方、彼女の身に付け方があなたにとって適切な身に付け方とは限らないのです。あなた自身の身に付け方はあなた自身が考え、試し、探るしかありません。あなた自身がご自身の身に付け方を体得し、本当に必要な事柄をしっかりと身に付けていただきたいのです。身に付けた気になる、などというようなことはくれぐれもないようにお願いします。

 

日本人の睡眠時間が生理的下限に達したと考えられる1995年の3年後の1998年から自殺が急増していることになります。さらにアジア諸国での自殺は高齢者に多いのですが、1998年以降の日本の自殺では就労年代の自殺数が高齢者の自殺数を上回っています。自殺が働き盛りを直撃しているのです。その反映か、最近では過労自殺も急増しています。

 

そこで筆者は仮説を発表したのです。日本人がもう少し寝たら自殺は減るのでは、という仮説です。やや詳しく説明しましょう。

 

心を穏やかにする作用があると考えられている神経伝達物質―セロトニンの働きはリズミカルな筊肉運動(歩行、咀嚼、呼吸)で高まります。手を振ってしっかりと歩くこと、食べ物をよく噛むこと、丹田呼吸に代表されるゆっくりとした腹式呼吸をすることがセロトニンの働きを高めることに重要であることが分かっています。

うつ病対策の薬の多くはこのセロトニンの働きを高める方向に作用する薬であることは今や多くの方もご存じであろう。夜ふかし朝寝坊、時差ボケ状態や睡眠不足では元気が出ず、リズミカルな筊肉運動どころではなくなり、セロトニンの働きが高まらず、様々な精神的な問題点が生じてしまうことを私は懸念しているのです。さらに最近進歩が著しい神経経済学の分野では興味深い研究成果が挙がっています。

 

18-64歳の日本人の平均睡眠時間は現在6.4時間と報告され、これは韓国と並んで世界でもトップクラスの短さです。できればあと1時間、せめてあと30分日本人が睡眠時間を多くとれば日本の現在の状況は変わるのではないか。

 

最近では不眠を切り口とした自殺予防対策を積極的に行っている自治体(静岡県富士市)もあります。内閣府も自殺対策キャンペーンを展開しているが、キャッチフレーズは「お父さん眠れてますか?」です。これは普段からスリープヘルスの充実を伝え、眠りの大切さを強調している社会であるのならば受け入れられるキャンペーンでしょうが、「不眠不休」を良しとし、「寝る間を惜しんで仕事をする」が基本信条の睡眠軽視社会ではこのキャンペーンはいかがなものでしょうか?お父さん眠れていますか?と眠れない事態に陥った方々に脅しをかけるのではなく、普段からスリープヘルスを心がけるよう、社会全体で取り組むことが何より大切であるに違いありません。スリープヘルスを教育する社会がすなわち睡眠重視社会にほかなりません。

 

ではスリープヘルスとは何でしょう。スリープヘルスの基本は4+αです。

     朝日を浴びる事

     昼間に心身を活動させること

     規則的で適切な食事を摂ること

     夜は暗い所で休むこと

プラス眠りを妨げる物質や状況を避けること、すなわちカフェイン、アルコールやニコチンといった不適切な薬物使用や、過剰なメディア接触を避けることです。スリープヘルスの4+αは結果的には生体時計の乱れを抑え、セロトニンとメラトニンを高める方向に作用させるための基本事頄です。簡単なようで奥が深い4+αを解説します。

 

ここで初めて出てきた生体時計を紹介しておきます。ヒトは朝起きて、昼間に活動し、夜に眠り、体温は朝が一番低く、午後から夕方に高くなり、成長ホルモンは夜寝入って最初の深い眠りに一致して多量に分泌され、メラトニンは朝目が覚めて1416時間して夜暗くなると分泌されます。このようにおおよそ1日の周期で変化するヒトの生理現象の周期(リズム)は脳内の視亣叉上核にある生体時計がコントロールしています。ただこの時計の周期は大多数の方で24時間よりも長いために、毎日生体時計の周期を短くして地球時刻と合わせる作業(リセット)が重要となります。この作業がなされないと時差ぼけ類似の体調不良(作業能率・意欲・食欲の低下、疲労感増大、不眠、眠気、活動量低下等)に陥り、十二分な能力の発揮が難しくなります。そして生体時計の地球時刻へのリセットに何よりも大切な刺激が朝の光です。大多数のヒトは朝の光を受光することで、周期が24時間より長い生体時計の周期を短縮し、地球の周期24時間に合わせています。これが4+αの第1のポイントの根拠です。一方夜の光は生体時計の周期を伸ばし、もともとある生体時計と地球時刻とのズレをいっそう拡大させてしまいます。さらに夜の光は生体時計の機能そのものを阻害する可能性も最近指摘されています。これらが4+αの第4のポイントの根拠です。

 

朝の光は心を穏やかにする作用や将来予測をするに際し重要と考えられている神経伝達物質セロトニンの働きを高める働きもあります。

 

藤原和彦さん流に言えば、成長社会であり、暗記が重視させられた20世紀であればよかったかもしれませんが、これからの成熟社会21世紀においてはこのような後援会の利用のされ方は極めてもったいない時間の浪費です。○○中学に入った。□□高校に入った。◇◇大学に入った。▽△株式会社に入ったことがもてはやされた時代には「講演会に行った」事のみを記憶することでもよかったかもしれませんが、これからの時代は、せっかく講演会に行ったならば、多少とも考えるきっかけを得ることが重要なのではないでしょうか。そんなことを考えながら、睡眠重視社会実現に向けた手段として、聴衆のみなさんに問いかけを続けている私ですが、睡眠重視社会実現に向けた手段の搦め手としては私は読み聞かせを考え、また今後重視すべきと考えているキーワードとしては医眠同源、リテラシー、そして快を考えています。

 

次のポイントはリテラシーです。リテラシーとはWikipediaには「「言語により読み書きできる能力」を指す言葉で、元来「識字」と日本語訳されてきた言葉である。近年、情報化社会の進展からコンピュータの利用技術を持つか否かによって個人の可能性が大きく左右することから暗に「情報リテラシー」を示すことが多い。また、原義にはないものの「ある分野の事象を理解・整理し、活用する能力」一般をリテラシーと称する場合もある。」とあります。要するに各自自らが自らについて判断することができるようになることが重要で、そのために必要な能力、ということになります。あなたに必要な睡眠時間はあなた自身が、自らの身体の声に耳を傾けることでしかわかりません。どのような情報もあなたに必要な睡眠時間についての情報は提供してはくれないのです。最終判断者はあなた自身しかいないのです。つまりあなたに必要な睡眠時間について、あなたは誰かに教えられるのではなく、あなた自身が考え判断しなければならないのです。その際に必要な能力がリテラシーです。

「考えて、考えて、考えぬけ。考えることはタダだ。」と東京大学名誉教授でNPO法人日本医療政策機構代表理事の黒川清氏は述べています。しかしこの「考える」ということが実に難しいのです。なにしろここ60年以上にわたり、日本では考えることを放棄することが教育の場では教えられてきたのですから。過去60年以上にわたり日本では暗記は得意だが考えることのできない日本人を量産してきました。いまこそ「考える」ことの訓練が大切です。藤原和博氏は著書「35歳の教科書」のなかで考えるためのヒントを提示しています。藤原氏の提案に私の考えを亣えて述べると、20世紀までの成長社会に必要であったのは暗記であり、ジグソーパズルを早く完成させる能力であり、フランス革命は1789年という知識でした。しかし成熟社会となった21世紀に求められるのは想像力であり、レゴを無限に発展させる能力であり、フランス革命の意義を考え続けることです。

 

早起き早寝やラジオ体操が道徳、修身、倫理の観点から強調され、かつ内容があまりに明らかであるがために反発したくなることはある意味人間、特に若者にあっては当然の反忚かもしれません。西洋文化はギリシャローマ時代の青年期を経て、その後キリスト教支配の暗い辛い時代を経て、今や老年期に到達したのかもしれませんが、日本社会はこの意味では永い鎖国時代に育まれた幼児性からの脱皮が未だ完成出来ていない青年期にあって、非合理的ながらもあまりに当然の事実には反撥を感じてしまうのかもしれません。しかし近年そのあまりに当たり前のことを裏付ける生物学的事実が明らかになってきている事は見てきた通りです。そろそろ猪突猛進から卒業し、道徳や倫理ではなく生物学的背景を踏まえ、合理的な判断として、睡眠重視を選択してほしい、と思います。猪突猛進は日本人にとって、青年期特有の一過性の特徴であってほしいのです。そうであれば日本人もそろそろ青年期を脱して冷静な熟年期に入る、ということが期待されます。

かつて地球温暖化への歩みを「不都合な真実」と元アメリカ副大統領アル・ゴア氏は指摘しました。睡眠重視の必要性も、「早起き・早寝・朝ご飯」も現在の日本人にとっては不都合な真実なのかもしれません。しかし生物学的にその必要性が裏付けられている睡眠重視、「早起き・早寝・朝ご飯」をヒトという動物は忌諱するわけにはいかないのです。そして注意すべきは、睡眠重視、「早起き・早寝・朝ご飯」には快感が必ず伴う、という事実です。動物であるヒトはその快感を大切にすべきでしょう。「不都合」はあまりに頭でっかちの人間中心史観から生じた枕詞と感じられます。人間が快感に身を委ねるなどとんでもない、との立場もあるでしょうが、ヒトは所詮動物です。快感追求は生存の基本条件です。そして快感を重視すれば、睡眠重視の必要性も、「早起き・早寝・朝ご飯」も気持のよい真実となるのです。決して不都合な真実ではなくなるのです。養生訓は禁欲的に過ぎます。もっと素直に快感に身を委ねたいものです。

 

 

■眠るのを快楽に

睡眠軽視社会では眠りとは活動するためにやむを得ずとらなければならない行動、できることならばなしで済ませたい行動、となります。これは「寝て食べて出して行動する」という動物の基本原理からの逸脱です。ヒトは寝て食べて出してはじめて脳と身体が充実した活動が可能となる、という基本原則に戻ることが重要でしょう。ただ快眠のみを追求することはナンセンスです。なぜならこの4つ(四快)は極めて密接に結びついているからです。

快食の必要条件は快眠快便快動で、快便の必要条件は快眠快食快動で、快動の必要条件は快眠快食快便だ。そして当然だが快眠の必要条件は快食快便快動です。そして寝ること、食べること、出すこと、活動することが動物の基本的生理現象であるがために、おそらくはこれらの生理現象には快が伴うのです。しかし今や多くの日本人が快を感じることができなくなってしまっています。いや人間という存在は動物とは異なる存在だ、人間を動物だなどと貶めてはいけない、快を求める人間などとんでもない、という考え方もあるかもしれません。しかしこのような考え方は思い上がり、奢り以外の何者でもないのではないでしょうか。ヒトは周期24時間の地球で生かされている動物に過ぎず、その身体はもっとも身近な自然なのです。四快(快眠快食快便快動)を求めていただきたいと思います。しかし現実の世界で我々は動物の本質としての四快を求めることからは程遠いところにいます。行動規範が身体感覚から遊離しているのです。現代人は理屈で身体を支配しようとしているのです。頭でっかちな行動規範と言えるでしょう。頭でっかちで身体感覚から遊離した行動規範は人智の脳・考える脳、すなわち大脳皮質に基礎をおく学問体系です。今日はあとビタミンA400IUとビタミンC30mg取らなければならないのでトマトを200g食べよう、がある意味現代日本人の思考過程です。そのようにして食べたトマトはうまいのでしょうか。食べて快は得られるのでしょうか。塾に行く途中電車内でカ○リ○メ○トをかじる小学生は快を感じて食べてはいないでしょう。しかし私は違います。

 

真っ赤なトマトを見てうまそう、と思えばそれが今の自分に必要なのだろうと感じてむしゃぶりついてうまいと快を感じたいのです。生体時計をリセットしないといけないから早起きをするのではなく、朝日を浴びると気持ちがいいので早起きをしていただきたいのです。夜間の光がヒトに悪影響を与えるから夜ふかしをしないのではなく、夜眠ると気持ちいいから眠るのです。

 

小学校一年生の息子さんが学校で友達とうまく関われないと悩んだお母さんが、その原因が息子さんの睡眠時間の短さにあるのではないかとお考えになり、息子さんを夜8時に寝かせることとしました。夜8時になると布団に息子さんを寝かせ、お母さんもその隣に横になって、真っ暗にして、お子さんが寝入るのを息をひそめて待っているのだそうです。いかがでお感じになりますか?これでは息子さんにとって眠ることが苦行になってしまうのではないでしょうか?

 

「お母さん。眠りが楽しいもの、と息子さんが思えるようにしてあげませんか?今日はどんな夢を見るのだろう?明日の朝気持ちよく目覚めたら、きっと明日は元気に過ごせるに違いない。そんな事を息子さんが感じられるような工夫をしてあげて下さい。」

 

現代の日本人は快よりもダメを優先し過ぎていると危惧します。

周りを見回してください。禁止条頄が多すぎるとはお感じになりませんか?駐車禁止、禁煙、携帯禁止、ノーテレビデー、「白線からでないでください」「エスカレーターでは駆け下りたり駆け昇ったりしないでください」「この公園では騒がないでください」等々。子どもの早起きをすすめる会で私自身も、生体時計をリセットしないといけないから早起きをするのではなく、朝日を浴びると気持ちがいいので早起きをしていただきたい、と思いながらも、夜ふかしはダメ、と結果的にダメ社会に加担してしまっていた面もないわけではないかもしれません。ダメ社会ではおそらくは前頭前野は活性化されないでしょう。寂しい社会が想像されます。

 

「私は息子に良いと言われることは何でもやりました。早寝早起き朝ごはん、手作り料理を食べさせて、ノーテレビに読み聞かせ。でも中学生になった息子はわたしに口をきいてくれません。毎日不機嫌そうで、父親と話をしようともしません。私の子育ては失敗だったのでしょうか。」

皆さんは中学のころ、毎日ご両親とにこやかに夕食を摂っていましたか?悩みなどない毎日楽しい思春期でしたか?私などは中学高校の6年間父親と会話をした記憶がありません。また今息子さんがご両親と口を聴いてくれない、ということで息子さんの2030年後の事までお母さんには分かってしまうのでしょうか?このお母様のおっしゃることは特別なことではない気がします。多くのお母さん方がひょっとしたらお子さんが石川遼君や斉藤祐樹君のようになるとお思いなのではないかと想像します。私からすればこのご両人の将来の方こそが心配です。子育てに正解がないことは言うまでもありません。現代人はもっと自らの感性を鍛えて、快を感じる事が出来るようにしなくてはならなければいけないのではないでしょうか。

 

 

 

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