石井紘人のFootball Referee Journal

【無料/コラム】CS鹿島アントラーズ×浦和レッズ戦でのPK、家本政明主審への誤審報道に中田英寿氏を思い出す

先日行われたJリーグチャンピオンシップ決勝第一戦の鹿島アントラーズ×浦和レッズ戦後(参考記事:審判批評)、PKをとられた鹿島アントラーズの選手はもちろん(参考記事:鹿島アントラーズ選手「浦和さん寄りだった」)、解説者たちやサッカー誌も家本政明主審を批判した。テレビ解説を務めた金田喜稔氏は「PKになるような接触ではない」と断言し、清水秀彦氏は「PKの場面を見ていて、ああっ、またいつもの流れかと頭を抱えたくなった。この試合を裁いていた主審は、私が監督をしていた時代から「PKとレッドカードを出すのが大好き」と評されていた(中略)ゴール前のポジション争いで生じるボディーコンタクトが『Jリーグでは一切NG』といっているようなものだ。海外のトップリーグなら、誰が見てもPKにはならなかった」と夕刊フジに寄稿している。

もちろん、判定の議論には是々非々があって良いと思うし、私も週刊審判批評で日本の審判員たちを厳しくチェックしている。

しかし、『サッカー競技規則』を無視した審判批判が日本サッカーの進歩を止めることは史実が物語っている。

遡ること13年前。FIFAコンフェデレーションズカップ2003のフランス代表戦で、日本代表はホールディングでPKをとられた。ジーコ日本代表監督(当時)はミスジャッジと批判し、多くの日本人も「フランス選手のシミュレーションだよ」と同調した。

しかし、いま冷静にリプレイを見ると、腕を使っていたのはあきらか。完全にホールディングであり、PKは妥当な判定だった。プレーを反省するのではなく、審判員に責任を押し付けたことで、日本人選手の悪癖は浮き彫りにならなかった。そこから7年間、日本人選手のホールディングは改善されることなく、2010年からJリーグは日本サッカー協会技術委員会と審判委員会が一体となってホールディング撲滅に取り組むことになる。2003年に、ホールディングを反省していれば、空白の7年間が生まれることはなかった。

『サッカー競技規則』をベースにせず、アバウトな「世界では…」で判定を批判してはプレーに発展はない。EURO2016『オーストリアvsハンガリー』や『ルーマニアvsスイス』『アイスランドvsハンガリー』でも、激しくなくても”ボールにプレーできる範囲外”の接触にはPKなど大きなジャッジが下されていた。それはリオデジャネイロ五輪を振り返れば一目瞭然である。

 

▼中田英寿氏の姿勢
先述したフランス戦について、試合に出場していた中田英寿氏の著書『nakata.net2003』(新潮社)に興味深い記述があった。
「(フランス戦の判定に)疑問に思うこともある。しかし、俺としては主審がどんな判定をしようが、出来れば何の抗議もしないでスムーズに試合を進めることに集中したいと思う。(昨日もちょっと抗議したけど、実は周りに促されてなんだよね苦笑)やはり、レフェリーも人間。間違えるときもある。と、こんな話を出したのは、別にPKが間違った判定だったと言いたいわけではなくて、みんなに、とにかく試合に集中しようと言いたかっただけ(中略)文句を言って、それで判定が覆るのなら(抗議も)ありかもしれないが、残念ながらサッカーの判定は絶対に変わることはない。主審に対して文句を言うことはただの時間の無駄だと思う」。

国際審判員だった岡田正義氏は以前「中田さんが新人の頃、『今のチャージは何でファウルなんですか?』と聞かれたので、『腰だからだよ』と伝えました。すると『分かりました』と言い、同じファウルチャージはしませんでした」と語っていた。中田氏は、ファウルとなることを理解し、プレーを変えたのだ。中田氏のチャージの巧さの秘訣ともいえるかもしれない。それこそが、選手と審判員が両輪となる関係性ではないだろうか。

解説者たちが現役の時と現在では、世界の判定基準は大きく変わっている。ゆえに、近年のプレミアリーグでは、サッカー解説者たちに『サッカー競技規則』や判定基準の啓蒙を行っている。『サッカー競技規則』や基準をベースに解説するだけで、視聴者のストレスが減るからである。

国際審判員として活動し、PKを見極めたレフェリー。近年の『サッカー競技規則』や世界の判定基準を語らない方々。ガラパゴス化しているのは、どちらなのだろうか?

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