石井紘人のFootball Referee Journal

「審判員はなぜ生まれた?」「レフェリーは裁判官じゃない!高圧的ではなく”毅然”と笛を吹こう」坂本康博・夏嶋隆【審判批評無料コラム】

「試合前などに、ルールの原点を子どもたちに説明しても良いかもしれません。元々、初期のイギリスでのサッカーの試合(パビリック スクールでの試合では統一されたルールはなかった)にはレフェリーは存在しなかったのです。問題が起これば両チームのキャプテンが話し合い、試合が再開されていました。しかし、サッカーが普及し対外試合が多くなると、ルールの統一が必要となります。そこで2名のレフェリーで判定をしていたのですが、2名では判断が分かれたときに問題の処理ができないため、フィールドの外にいた第3者に判断を”Refer”して解決していました。ただ、この状況が続くと、試合進行がうまくなされないためにReferされた人がフィールドに入って(Referee)として判断をしようということになり、3人で試合の進行を任されたという歴史があります。ルールの精神というのは、両チームの選手が怪我をすることのないように『安全』を守り、両チームが同じルールの元にプレーできる『公平』があり、その中でプレーする『喜び』があります。それをチームからレフェリーが“Refer”されています。そう伝えることで、“委ねて”もらえるかはわかりませんが、アプローチの一つではないでしょうか」

「私は、レフェリーは裁判官ではないと思っています。選手に高圧的な物言いをするべきではありません。どちらかというと、ディレクター、演出家の要素があるのではないでしょうか。子どもたちがエキサイトしてしまった時に、ガス抜きをするような、ゆとりがあればよいと思います。そのためには、サッカーも知らなければいけません」

http://www.sakaiku.jp/column/challenge/2016/012611.html

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ