石井紘人のFootball Referee Journal

無料コラム #Jリーグジャッジリプレイ への批判に覚える違和感。審判同士の見解が異なるのは世界でもあること。JFA審判委員会も「色々な人たちが(競技規則を元に)語れるのは凄くサッカーのジャッジが身近になって有難い」


Jリーグジャッジリプレイ』での元レフェリーの見解と、『レフェリーブリーフィング』での審判委員会での見解が違うことに疑問の声があがっているが、レフェリーには裁量がある以上、それは当然のことである。

海外のトップレフェリーたちもそうだった。

【石井紘人コラム】罵詈雑言ではなく、西村雄一主審のレフェリングを語ろう

マッシモ・ブサッカFIFA審判部長は西村雄一主審の判定を支持。同じスイスの日韓ワールドカップ韓国×ドイツ戦の主審マイヤーと意見分かれる

審判界でも議論が分かれる西村雄一主審のPKジャッジ。UEFA CL&EURO決勝の主審ドイツのマルクス・メルクは「あのPKはダメだ」、W杯フランス大会担当したタイの主審は「接触が激しかろうと軽かろうとPKを取ることができる」

【無料記事/連載:Jリーグ紀行第7回】浦和レッズ×鹿島アントラーズ 両監督は西村雄一審判団をどう評価したか?

同じスイス出身者のレフェリーでも見解は違うし、FIFAレフェリー同士でも変わる。

だからこそ、その基準を統一するために、審判委員会はアセッサーを育成し、リーグや大会内でのレフェリー間での共有を図る。

もちろん、『Jリーグジャッジリプレイ』に審判委員会や審判アセッサーが出演出来るのがベストではある。だが、常にベストな状況を作れる訳ではない。

だからこそ、冒頭の点を記者から指摘された扇谷健司国際・Jリーグ審判デベロプメントシニアマネジャーは「色々な人たちが(競技規則を元に)ジャッジについて語れるのは凄くサッカーのジャッジが身近になるので有難い」と好意的に答えたのだろう。やっとJリーグでも競技規則が語られるようになったのは『Jリーグジャッジリプレイ』があるからではないか。

一方で、 #Jリーグジャッジリプレイで取り上げて が晒し首的に使われてもいるのは本質から外れている。

判定を取り上げるのは「あの試合、本当は〇〇が勝利でした」と謝罪する意味合いではなく、

「シーズン中には次の試合もあります。審判にはトリップしたように見えたけど、実際はボールをつついた後で接触していた。本来は正当なプレーです。それが残念ながら審判はファウルとしてしまい、退場としてしまった。それは判定だから受け入れてもらうしかないのですが、終わった後に映像で見て「プレーヤーの方はボールにプレーしていました」と伝えることで、次のプレーも自信を持っていけるじゃないですか?もちろん、次になってしまうのは申し訳ないです。」(参照リンク

例えば選手のコンタクトレベルを向上させるためであり、日本サッカー界で正しい情報を共有するためでもある。ゆえにフォーカスされるのは難しい判定が多く、相違が起こる。しかし、そのグレーさはフットボールの醍醐味でもある。

論点が審判個人の〇×となるストレス発散を目的とした番組にしてはいけない。そこを『Jリーグジャッジリプレイ』側もタイトルでアピールするのか、番組内にテロップを入れ続けるのか、何かしらの対応は必要だ。話を戻して、今後も今回のようなことは起こるだろうし、反復するが個々の主義主張があるのがフットボールだ。出演者が「私は」と付言しているのが最たる例ではないか。けっしてJリーグ公式見解ではない(リーグ側の改善策が必要な時のみ「Jリーグとして」という言葉を原博実氏も発している)。

言葉を発すればそのまま記者が記事にしてくれる。「カイロ大学卒、首席」にしても、誰も疑わず記事にした。メディアが「本人が言っていることだから」とそのまま活字にしてしまう、活字になればそれが事実として定着して広がっていく

読者の皆様はどのようにお考えでしょうか?

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ